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残念な兄

 私には5つ上の兄がいる。彼は地元で居酒屋を経営している。今はコロナの影響で閉めているが、もう3年くらいどうにか一人で店を切り盛りしているようだ。彼はいまだに実家に住んでおり、結婚はしていない。今日は彼のことを書く。

 彼は子供の頃、私を公園に連れて行くなどして度々子守りをしていた。実際は友人との遊びの場にただ私を連れて行き、「そこのベンチに座ってろ」というような感じで、一緒に遊んでくれるわけでもなく、自分は友人と鬼ごっこやサッカーなどをしていた。私が小学1年生のころ彼らは6年生なので、もちろん対等に遊べるはずもなく、私もそれを受け入れていた。きっと母が「半人前も連れて行け」と言ったからそうしたのだろうけど、母からみたら「妹の面倒を見ている良いお兄ちゃん」として映っていたのだから、なんとも卑怯なやつである。今それに気づいてちょっとイラッとした。彼は普通に私をぶん殴ったりプロレス技をかけるようなやつだった。子供の頃、流行っていたミニ四駆のスイッチを入れ、私の頭に押し当てることもあった。もちろん私の長い髪はタイヤに絡まり、ぶちぶち音を立てながら抜けていった。恐怖でしかない。なんでこんなことが許されていたのかはわからない。私は母に何度も訴えていたが、兄が私に行う悪戯や暴力は見逃されていたように思う。それは長男として大切にされていたからなのか、単純に母が注意するのを面倒くさいと思っていたかはわからない。私が祖母に訴えたときは「お兄ちゃんが悪くても、半ちゃんが謝るんだよ。お兄ちゃんとはそういうものだ。」と言われた。本当に理不尽だ。だけどそういう教えがあったからか、彼が10代のうちにした私に対する理不尽な暴力や暴言は、「兄という生き物とはそういうものだ。」という認識のもと許されていった。自分の機嫌が悪いと話しかけたらぶっ飛ばされる、しかし機嫌が良ければお菓子をくれたりゲームを貸してくれたり。母も兄と同じような性格なので、私は家の中で常に機嫌を伺う子供だった。「今日は怒られませんように。」と祈りながら話しかける。それが日常。しかも彼は時々私にタイマンを仕掛けてくる。普通に嫌だし、負けるのだが、応じないと一方的に殴られるので渋々外に出て戦う。大抵ビンタされたりお尻を蹴られたりして私が泣いて終わるのだが、一度、「本当に嫌だ!殴られたくない!」と思った私は、勢いよく彼の喉ぼとけを手の先で突いた。自分でもなんでその動きができたかわからないが、彼は咳き込み、非常に苦しそうにしていた。私は初めて勝利した。その後の復讐に怯えていたが、なぜか彼は満足げで、それ以来勝負を仕掛けてこなかった。全く意味がわからないんだよ...。いちいち怖いんだよ...。

 中学3年生になった彼は進路相談で「高校には行かない」と言い出した。母も先生もびっくりしていた。彼は特にヤンキーでもなければ、成績が悪いわけでもなかったからだ。なんとか彼は母の説得のもと、家から一番近い進学校に行った。そしてバイトに励んでいた。彼が選んだバイトはヒーローショーの演者だった。彼は子供の頃から仮面ライダーが猛烈に好きで、仮面ライダーの中身になりたかったのである。一度か二度、ショッピングセンターで彼がステージに立っているのを母と見に行ったことがある。被り物で顔は見えないが、彼がキレッキレに踊っている現実は受け入れ難かった。全然家とは違うじゃねえか!とびっくりした。その後、彼は高校3年生になり、また進路相談で「大学には行かない」と言った。とりあえずセンター試験だけでも...と先生と母が勧めるので渋々受験すると、県内の私立大学が合格範囲だった。母はお金は出すからとどうにか大学に行かせようとしたが、彼は首を縦には振らず、彼のフリーター人生がスタートした。彼はその後、いろいろな職を経験する。花屋、学童の先生、リサイクルショップの楽器コーナー、自動車工場の部品組み立て、事務職。何を基準に選んでるかはわからない。だけど無職でいる時期はほぼ無く、一つの仕事を辞めるときには次の仕事を見つけて途切れなく働き続けていた。落ち着かないやつだな、と思っていたが家に金を入れるので、誰も文句は言わなかった。実際私も恩恵は受けた。私が中学3年生のときに通っていた学習塾の月謝は、兄が払っていた。私は塾に行きたいと母に懇願したが、うちは割と貧乏だったので断られた。そのときなぜか彼が「俺が金を出そう。」と言ったのだ。私が15歳のころ彼は20歳なのだが、20歳のフリーターが妹の月謝を払うのは結構すごいことだと思う。私だったら絶対に嫌だ。20歳の頃なんて自分以外に絶対に金を使いたくない。塾に行った甲斐があって、私はそこそこ伝統のある進学校に合格した。

 私が高校生になってからはお互いあまり家にいなかったので、彼が何をしてどんなことを思っていたかはほとんど知らない。ただ、私は高校生の頃からバンド活動にハマり、夜遊びが酷かった。そのことで母から激怒されることが多かった。そんな私を見た彼は「もっと上手くやれよ。」と言ってきたことがあった。私は何かと母と衝突しては苦しんできたが、それは私が母の前で上手に振る舞えないせいだった。兄のやりたいことは通るのに、私は否定されてばかりだと思っていた。実際のところ、彼は隠れてコソコソやるのが上手かったのである。うちの母は高血圧のため、家で出す料理の塩分を控えめにしていた。味気がないため、私は冷蔵庫から醤油やドレッシングを取り出し、かける。母は激怒する。兄はというと「自分の部屋で食べるから。」と言って部屋の扉を閉める。彼の部屋には調味料がたくさん並んでいた。彼は家で絶対にタバコを吸わなかったし、酒も飲まなかった。実際はヘビースモーカー(というよりチェーンスモーカー)だし、酒癖も恐ろしいくらい酷い。彼にとって上手くやるとはそういうことだった。彼は時々「俳優になりたい」と言って東京にオーディションを受けに行くなど、突飛な行動もしたが、それが許されていたのは普段の信頼が高かったからなのではと私は思う。(そのオーディションはDAIGOのいる事務所のもので、合格はしたがレッスン代がかかると言われて断念したと、のちに聞かされた。)

 彼は30代前半のときに「居酒屋を経営する」と言い出した。私は「絶対やめとけ!」と思った。なぜなら先に書いたように彼は酒癖が非常に悪かったからである。急性アルコール中毒になって病院に運ばれるのは当たり前。酔っ払って家の下で寝て通報される。最近は泥酔したときに一緒にいた友人と口論になり、友人のスマホを持って逃走し、行方不明になるということもあった。現代で人のスマホを奪うなんて1番の悪行だと思うが、なぜかうちに来た兄の友人は「俺が悪かったから戻ってきてって伝えてください。」と言っていた。朝の6時に。その後、兄は自分の店のトイレで父に発見された。酒癖以前に彼は飲食店で働いたこともなければ料理をすることもほとんどなかったので、絶対に無理だとこのときばかりは家族全員で反対したが、「失敗しても35歳からまた再就職する。」と言ったので、それならまあ…と店はスタートしたのだった。その後彼は共同経営者だった友人に裏切られたり、コロナの影響を受けて休業する羽目になるのだが、実家に帰ったときに会ったりするとなんとものほほんと過ごしている。なんならご機嫌でいる気さえする。休業するたびに店で使うはずだった食材をくれたり、ふるさと納税でもらった返礼品を分けてくれたりする。彼は大人になってから急に性格が丸くなりはじめ、両親から信頼され、確固たる自信を持って生きているように見える。自分は自分。俺なら出来る。そう感じる。同じ家で育ったのに何が彼をそのようにしたのかはわからないが、一つの要因に彼のセルフイメージがHYDEだということはあるだろう。彼が中学生から愛してやまないHYDE。昔、本当に気まぐれで彼とカラオケに行ったときの、彼のラルクの歌い方で一発でそう感じた。HYDEが降りてきている…!ちゃんと補足しておくが、彼の見た目は全くHYDEに似ていない。声は麒麟の川島さんだし、見た目はコットン(元ラフレクラン)の西村さんを10発殴ったような感じだ。ファッションセンスはゼロで、母親が暇潰しに編んだ毛糸のヘアバンドを外でもつけて歩くくらいのものである。

俺さ、友達から「残念な兄」って呼ばれてるんだ。

彼は自分から私にそう言った。
私は「こいつは家の外でも兄という立場を背負って生きているのか?」と不思議に思った。
私は妹しか経験したことがないからわからないが、下に兄弟がいる人は長男や長女としての自覚をしっかりと持っているのだろうか?

なぜか知らないが、彼は自慢げだった。

 3年ほど前に、たまたま街で兄を見かけた。私はバンド仲間と一緒にいて、普段なら無視するところを思わず「兄ちゃんだ…」と言ってしまった。
バンド仲間が面白がって無理矢理兄に声をかけさせた。
兄は綺麗な女性を連れていた。そしてあからさまに「ゲッ…。」という顔をした。女性は私が妹だと知らないので、変な女が急に声をかけてきたと思ったのかサッと側を離れた。私もテキトーに二言三言会話して立ち去った。

私はバンド仲間に
「あいつ、本当にファッションセンスないんだよ。残念な兄って呼ばれてるらしいよ。」と言ったら

バンド仲間も
「うん…。あのパーカーの長さはいただけないね。」と言った。

私の周りでも彼は「残念な兄」として認識された。

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