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家庭料理の継承について -母のもやしと春巻に寄せて-

うちの母は、もやしのヒゲ根を全部取る。夕方、一人でニュース番組を観ながら、ポキポキポキポキとヒゲ根を折るその背中を幾度となく眺めてきた。小さい頃は面白がって手伝ったりもしたものだが、高校生になってからはそんな覚えもなく、母がせっせと整えたもやしを食べるばかりだ。

一人で暮らし始めて六年が経ち、何とはなく、僕ももやしのヒゲ根を取る。友人と鍋をする時にもヒゲ根を取るものだから、よく理由を聞かれるのだけれども、理由なんて特にない。母がそうしていたから、惰性でそうしているだけだ。

幼い僕も母にその目的を訊ねたことがある。ヒゲ根の口当たりが好きじゃないと彼女は言っていたけれども、僕は大して気になりはしない。強いて言うならヒゲ根の見た目は好きじゃない。だとしても一パック数十円のもやしにわざわざ手間と時間をかけて行う作業ではないとは、自分でもつくづく思う。それでも僕はもやしのヒゲ根を取るのだ。「母がそうしていたから」以上の理由は、きっとこれからも見つかりそうにない。

この世で食べられるどんな春巻よりも、母が作る春巻が好きだ。あの味に他所で出会ったことがないし、ネットのレシピで作ってみても近しいものが作れた試しもない。一人暮らしを始めたばかりの頃、ふとあの春巻が食べたくなり、スーパーから、電話で材料を聞いて作ったことがある。それ以来、僕の作る春巻は、限りなく母が作るそれに近い。

我が家は両親と僕と弟の四人家族で、弟はあまり料理をしない。そんな我が家において、もし僕も料理をしなかったとしたら母の春巻はどこへ消えるのだろうと、ふと怖くなることがある。

何十年も作り続けてきた母の春巻。それはもしかしたら祖母から受け継いだものかもしれないし、あるいはその更に昔から、手渡されるように受け継がれてきた、我が家だけの特別なレシピなのかもしれない。

名店のレシピは、きっとどこかで受け継がれていくだろう。

では、しがない家庭のレシピは?

脈々と、多くの場合は母から娘へと受け継がれてきた家庭の味。それは極めて土着的で、私的でありながら、当人にとっては最上級となり得る特別な味だ。一世代前くらいまでは、その継承が確かに行われていたように思う。

母も年季の入ったノートを持っていて、そこには祖母から受け継いだレシピがいくつも記されていた。僕の世代でそういった継承が行われている事例は、ほとんど見かけない。そうして歴史の中で消えていく、数々の無名のレシピたちを思うと、すごく怖く、そして寂しく思うのだ。

母の料理の全てを再現したいとは思わないけれども、好きだった料理くらいは自分でも作れるようにありたい。そうして少なくとも、もやしのヒゲ根と春巻は、今やしっかりと僕へと受け継がれている。

僕が六年前に実家を出て、弟も去年から一人で暮らし始めた。実家には母と父だけ。正月くらいは実家に戻るけれども、母はもう昔のように、豪勢なおせちを作りはしない。突然、来年の年末はおせちの作り方を教えてほしいと言い出した僕を、母はどう思っただろう。

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