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僕はお茶作りに生き方を見た

あまり大きい枠で話すのは好きではないのだけれども、何十人もの生産者と話して、彼らの作ったお茶を飲んで、お茶作りって生き方そのものだと思ってしまった。

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生産者と話していると、今僕はすごく大きな物に触れている、という感覚がある。

先祖代々引き継いで来た歴史と土地と技術。「お茶」という長い伝統のその最先端。自分のいる場所がそういう場所なのだと改めて気付かされる。

傾きつつある茶業の中で、それでもお茶と関わる人生を選んだ彼らの一挙手一投足は、彼らの生き方そのものだ。

何十年、何百年という歴史を背負い、誇りと伝統のお茶作りを守る人。

少しずつ大きくなる違和感に従い、過去の商慣習を全て捨て去って新しいスタートを切る人。

時代に合わせて臨機応変に、自身のスタイルを変化させる人。

信念の元に、あまりにも険しい研鑽と情熱の、唯一無二のお茶作りを選ぶ人。

彼らのスタイルは正に十人十色で、一人として同じお茶作りを行う人はいない。そして昨今の茶業を取り巻く状況下では、既存のやり方だけでは立ち行かなくなってしまう生産者も少なくない。その度に彼らは決断している。守るのか、それとも攻めるのか。

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先日お会いした生産者は、一代目だった。

実家もお茶農家ではあるものの、待ち受ける未来の暗さから一度は茶業を離れる決断をしたという。そんな折、たまたま出会った釜炒り茶に魅了された。自分が作りたいお茶の形はこれだと、実家を手伝いながら山を拓き、苗を植え、5反のごく小さな茶園を作った。

お茶という農作物は、植えてから数年は販売ができない。茶樹が十分に育つまでには4〜5年かかるし、その土地、その品種で作るお茶を何度も試作し、満足いく製品ができるまでにも時間がかかる。そもそも畑を作るのだって簡単じゃない。文字通りゼロから始まった彼のお茶作りは、今年で14年になる。

彼のお茶作りは、誤解を恐れずにいえば正気の沙汰じゃあない。十数種に及ぶ品種と尋常ではない数の試作。そして気が遠くなるほどの時間をかけた実験の日々。あまりに独特で、先人などいるはずもない未開の領域を手探りで切り拓いていくような、そんなお茶作り。彼と同じことをしている生産者を少なくとも僕は知らないし、話から推測するにかなりの期間を無収入で過ごしたのではないだろうか。

それでも彼には信念があった。自分が作るべきお茶のビジョンがこれほどまでに明確で、そして体現できている生産者を他に知らない。

そしてそのお茶は、当たり前のように美味しい。それが簡単な美味しさではないことを、僕は知っている。

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その日お会いしたもう一人の生産者は三代目。

今年から、これまで最大の買い手であった問屋との取引を全て無くし、全量を自社での販売と直取引に切り替えたという。

基本的にお茶の最大の買い手は伊藤園などの超大手か、茶商と呼ばれる問屋である。年間何百キロという量のお茶を、自分たちの手だけで売り切ることがどれだけ大変なことかは想像に難くない。(ちなみに日本の一人当たりの茶葉消費量は300g程度)

そこにあったのは、市場が求めるお茶と自分が作りたいお茶との乖離だという。

問屋が求める旨いお茶と、彼が作る香り高いお茶。どちらが優れているという訳ではないが、彼が作るお茶は、問屋が求めるそれの真逆を志向している。

新茶時期、毎朝市場にお茶を持ち込むも、期待するほどの評価は受けられなかった。それは美味しくないからでは断じてない。事実彼が作るお茶は個性豊かで美味しい。

結果彼が選んだのは、市場に左右されない自分だけのお茶作りだ。歴史と技術を守りつつ、彼にしか作れないお茶の味を求道することは、言うは易いが行うは難い。

子供たちは皆実家を離れたという。そのタイミングでのこの決断は、人生の大きな仕事をひとまず終え、少しだけ身軽になった彼らの新しく大きな挑戦なのだと思う。

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お茶作りは、その土地にものすごく大きな影響を受ける。ワインで言う「テロワール」の概念だ。そしてその土地は、何十年、何百年という時間をかけて引き継がれてきた、彼ら独自の財産だ。

作りたいお茶と市況のトレンド。染み付いた商慣習と守るべき家族、家業。そういったしがらみの中で続けるお茶作りは、決断の連続だと思う。

どんなお茶を作るのか、どんな相手と取引をするのか、そもそもお茶作りを続けるのか。

ある人は歴史と伝統を守り、またある人は信念を胸に革新の道を行く。

彼らの話を聞いてそのお茶を飲むことは、決断の物語に触れることと同義だ。僕らが販売しているこのお茶と彼らのことを考えると、スッと背筋が伸びる。

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FETCのお茶の定期便では、毎月2種類ずつお茶をお届けします。



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