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写真展で感じたこと〜土門拳の古寺巡礼〜

ゴールデンウィークの時の話になります。

私はゴールデンウィークの期間中、2023.3.18(土)〜5.14(日)に東京都写真美術館で開催された、写真展「土門拳の古寺巡礼」に行きました。

私は、普段写真展にほとんど行きません。
今回はお誘いがあり、お寺や仏像の撮影も好きだったので「ぜひ実際に写真を見てみたい」と思い、行きました。

今回は、写真展で写真を見て感じたことをお話します。

<写真家について>
土門拳は、戦前から戦後の昭和の時代を主に活躍した写真家です。

今回の写真展「古寺巡礼」では、京都や奈良の寺や仏像を、みずからの眼で選び撮影した写真が展示されていました。

私が生まれる前に活躍した写真家は、どんな思いで被写体と向き合ったのだろうと想像しながら鑑賞しました。



迫力のある大きな写真

まず、展示されている1枚1枚の写真が、とても大きいことに驚きました。

私は、普段スマートフォンで写真を見ることが多いため、印刷された写真の大きさに圧倒されました。

印刷された大きな写真は、スマートフォンの小さな画面の中で見る写真とは違いました。

写真本来の表現が、より浮き彫りにでてきており迫力があります。 


よく見ると、細部にわたる描写まで、しっかりと写し出されていました。

大きな写真で見ているため、細かい描写をまで見ることができました。

実際に印刷して展示することで、写真の印象が大きく変化することに驚きました。

ひとつの被写体と向き合う



展示されている写真の隣には、撮影時の状況やそのとき感じたことのエピソードが書かれていました。

特に印象的だったのが、「雪の室生寺(奈良県にある古寺)」を撮影した時のエピソードです。

病気を患い車椅子で、冬の室生寺へ通い撮影したそうです。

雪の室生寺の写真は、それはそれはとても美しくかったです。

写真を見ていると、命をかけて室生寺の景色と向き合い撮影する姿が、浮かびあがってくるよでした。

被写体と向き合い命をかけて望んだ写真は、魂がこめられていると感じました。

立ち止まって写真を見ること


写真展へ行き、立ち止まって一枚一枚の写真と向き合うと、写真の表現の奥深さを感じます。

スマートフォンで、スクロールして一度に多くの写真を見ることができる時代です。

しかし、ひとつひとつの写真と向き合うことで、写真をじっくりと味わうことができるのは、おもしろいと思いました。

写真展へ行き、データではない写真を見ることで、より心が動くことを感じました。

なにより、自分の写真活動のモチベーションも上がりました。

これからも気になる写真家の写真展が開催されたときは進んで行きたいなと思います。