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あの部屋のはなし

引っ越しの準備は、禊をするのと似ている。
積もったホコリと宙に漂ったいろんな想いをひとつひとつ整理して、淡々と片付ける。そして、ときどき思いがけないものに出会うと、忘れていた記憶がやってくる。

自分が長く付き合ったものには、記憶のレイヤーが重なって埋まっている。あちこちにある引き出しを、どれでも好きに開けられる感じ。

人のものには、スイッチが眠っている。それを押していいのか、いけないのか、私にはわからない。
すべてを知ったような気になって過ごしていたこの部屋で、自分には正体のわからないものが潜んでいたことをはじめて知る。

昼下がり、外は気持ちのいい天気で、手がかじかまないくらいのちょうどいい寒さで、近くのスーパーでダンボールをもらって帰ってきた。

この部屋は、荷物の多い2人にははじめから窮屈だった。ダンボールを広げて荷物の整理を始めると、もうそこに2人分のスペースはない。

大きなダンボールを両手で抱えた帰り道、いつもより視界は遮られて歩きづらかったけど、あの人の背中を見ながら歩く道のりはなんだかいつもより空気が軽く感じられたから、
それが、この部屋が2人の部屋ではなくなる始まりになるなんて、思ってもみなかった。

節目が見えると、急にひとつひとつが刻まれていく。
ひとつの言葉を、ひとつの動作を、ノートに細かくメモするように。
写真を撮るときになって少しでもきれいに写りたいと鏡を見るような、無駄なあがきを続ける自分に卑しさを感じる。それでも、今の私にはこれしかできない。

おはよう。
おやすみ。
ご飯食べる?
いただきます。
ごちそうさま。
いってきます。
いってらっしゃい。

言わなくてもいい言葉を、口に出す。
些細な声の出し方が気になって、正しい言い方を探してる。
言い慣れたセリフじゃなくて、はじめて口にする言葉みたいに。
でも、できるだけその言葉の残された数を数えないように、過ごす。

そうやって、この部屋がすっからかんになった日には、どんな気分になってるだろう。

もう少し大人になったら、またここに戻ってこよう。
商店街もない、近くに知り合いがいるわけでもない。街とよべるほどの塊にもならず、もっと大きな都市に飲みこまれている、隅っこの方。そんな場所で2年間暮らした。
それでも、都会の真ん中から一本入った行き止まりにあるこの場所は、私の小さな隠れ家だった。

この2年の間だけでアパートの住人は何人も引っ越してしまったこと、近所の家が何軒も建て替えられたことが頭をよぎる。

またいつか。
そう思っても、都会の隙間にひっそりと在るこの場所がこの場所でいられるのは、もしかしたら今だけかもしれない。
そんな覚悟もどこかで。

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