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making up my mind constantly...

自分の感覚や考え、方向性というのは定期的に継続的にアップデートし続けなければならない。常に流動的で、今とできればもう少し先と常につながり関連付いていけるように。これを怠った、この感覚を持ち合わせていない人たちが一時点で時間が止まり(その人の一番いい時とか、社会に出たときなどの時点)、停滞した価値観を引き摺り、何なら周りがそのどこにも通用しない価値観と違うことに腹を立て、その終わった価値観を押し付けてきたりする。そういうことを却下すればよいだけの話だが、年功序列だったり年齢階級制だったりする日本では言い返せず、うやむやに飲み込まされたりする。それが日本の遅れを助長する。

田舎暮らしというのは忙しい。
まず、季節がある。植物は時間と季節とともに、芽生え、育ち、熟し、枯れ。夏になればものすごい勢いで方々を覆う草を刈り。
そして自分の場合、この高齢者が大多数を占める過疎の山の田舎まちに移住し、自分の仕事を始めたことで、地元との擦り合わせや協調、価値観の見極めという蔑ろにできないタスクを常に抱えながら、慣れない土地でやりたいこと、仕事を展開していくというけっこう難易度の高い人生コースを選択したため、さらに忙しい田舎暮らしとなっている。自分だけが要領よく切り抜けるのではなく、できれば、世間やこの新たな故郷となる土地の人の役に立ちたいし。過疎化の止まらないこの土地には必要だと思ってやっていることも(実際かなり危機的だ―地元の人たちは気付いていないようだけど)、現代社会的経験値の非常に低い田舎の人たちには全く伝わらないことも多々あり(「経験値」というと、他の分野では非常に高いこともある人たちだ)、また、他に同じように他所の土地から移住してきた人たちがそれなりに抱える個々の人生の不達成からくる文句を上乗せした「意見」(どこが)を狭い移住者の輪の中でぶつけてきたりするのを目の前で浄化しながら(成仏は自分でがんばってしてくれ)、様子をみながら、身を削ってまでやるべきことの度合いを調整しながら進めている。しがらみや文句、ひがみねたみ、おもしろくない等の個々の不満の解消の次元の感想にはもちろん付き合っているわけにはいかないので、その辺はさっさと切り捨てることがこういう混沌とした場所での暮らし方のコツだ。
それでも、年齢、性格、いろんな要素・条件等ありつつも、個々のプレイヤーを見極めながら、手付かずの可能性に満ちた田舎で一緒にやっていく仲間を増やしつつ、かなり希望に満ちた暮らしが始まりつつある。
田舎暮らしは、いろんな意味で忙しい。それは、田舎がこれまでのようにリタイヤしてまったりする癒しの場所というだけでなく、新たな文明、暮らし方のモデルが興せる場所として、始まってきているからである。

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