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魅了され傾倒しそうになる人との関わり
尊敬する文化人や作家やメンター。心惹かれる芸能人。恋心を抱く異性。憧れの同性。無邪気な幼な子。身内。日頃お世話になる人。仕事で関わる人。
ある特定の人に愛着を抱いたり感銘を受けたり傾倒したりと、何らかの影響を受けるということは、すでに自分の内側にその要素がある証。その要素が反応共振している証拠なのだ。
一方で別の切り口から見た時、特定の誰かに強く魅了されたり、逆に自分の魅力で特定の誰かを惹きつけることでもって、両者の力関係の格差が出来上がり、一種の「コントロールする側と依存する側」といった関係性にも変容しうる。
各々自分という核を持ちつつ互いに魅了し合うのが理想なのだろうけど、一方的に自分が相手を知っているだけの関係(推しなども)などになると期待値や妄想も混じり込むためこれが難しい。
私自身、これまでの人生を振り返ると実に様々な人に魅了されてきた。その都度感情の渦に巻き込まれてなかなかに起伏の激しい人生だったように思う。感情の振れ幅が、激しい時は遊園地にあるバイキングって船の乗り物みたいなのだ。
自分のフィルターを通じてその人の世界に没入してグワングワン揺れる、と言った感じだろうか。これは相当にしんどい反面、そこからその人を表現してみたい、描いてみたいって方向に昇華されてもきた。
いっそのことこの気質を思い切り前面に出して生かしてやろうじゃないの、と図太くなってきた人生後半である。生来の気質と諦めつつ、かつ俯瞰する視点を忘れずに、相手との間に力関係の格差をできるだけ生まないよう(依存とコントロールの関係性に陥らないよう)な形で相手と関わっていきたい。
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