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鍾馗さん見つけた。

ある日ぽっかり時間が空いたので、散歩に出かけることにした。ただ漠然と歩くのではなく、父が入院中の病院をゴールに設定して、途中はスタンプラリーのように京町家の小屋根に置かれた魔除け、火除けの「鍾馗さん」の写真を撮影しながら、6駅の道のりをいつもとは違う目線で辿ることに...

鍾馗さんとの出会いはずいぶん前に、古書店で見つけた玖保キリコさんの『いまどきのコドモ』という漫画で、5月5日の子供の日にちなんで子供達が仮装パーティをしており、鯉のぼりや金太郎に混じって、もじゃもじゃヒゲを付け虫の触覚のような形の帽子をかぶった子に対して一人の子が「あ、鍾馗(しょうき)様だっ」と言うコマを見たときでした。

その後、日本画を習っていた関係からか、民芸品に興味があるせいか、関西にいるからか、ともかく大津絵でモチーフになっているのをよく目にするし、何より通りを歩いていて瓦製の鍾馗さんをよく見るので、自分の中では坂田金時(金太郎)と同じくらい、プロフィールの詳細は知らないくせに、やけに親しみを持てる存在になっています。

大津絵での鍾馗さんのイメージはこんな感じ(大津市歴史博物館像、江戸後期の作品参考)。ヒゲがデフォルメされた姿が印象的です。かつては端午の節句に人形や幟が飾られ、病魔払いの神様としてどの家庭でも身近だったそうで、私の家の玄関には昔「蘇民将来之子孫也」と書かれたお札が貼られていたので、それに近いイメージかなと。

また国会図書館所蔵の古典資料では、4月のお釈迦様・ほととぎす、5月の兜と並び、鍾馗さんに仮装した様子が描かれており、仮装のクオリティの差も含め、この中でも鍾馗様の迫力はすごいなと。(画像は国立国会図書館デジタルコレクションより)

さて、その日散歩の途中で見つけたのは、いろんな鍾馗さんでした。中には同じものもあるんでしょうが、角度や日の当たり方などから様々な表情に見えて味わい深い。個人宅なのでここにはごく一部、鍾馗様だけを切り取るかたちで紹介します。

心配そうに道の向こうを小屋根から覗き込む鍾馗さん。

ビックリマンチョコのキャラにいそうな感じの鍾馗さん。

気配を消し、仏像のような静謐さをたたえた鍾馗さん。

他にもヘッダーの絵にあるように横向きで凶方を睨んでいるのかなと思わせるものもありました。

写真を撮りながら無意識にカウントしていたのは、以下の通り。

町家の小屋根(軒庇)には、「何も置かれていない」「エアコンの室外機(一台〜複数台)」「鍾馗さん」「お店の看板」と、「それらの組み合わせ」に分別され、比率では室外機4、何もなし3、鍾馗さん2、看板1、という感じでした。老朽化でたわんでいる小屋根もあり、何も置けない(or空家かも..)ケースがある一方で、瓦屋根ではないスタイリッシュな現代建築のお宅の玄関上の庇に鍾馗さんがアクセントに置かれている光景も。

また、別の機会に撮ったものですが、明治創業の茶舗『椿堂』さんの小屋根にも鍾馗さんがちょこんと...虫籠窓(むしこまど)や看板、ガス灯などとの組合わせが美しい。

伏見人形の老舗「丹嘉」さん(「父母のどちらが好きか」聞かれた子供が饅頭を割って「どちらが美味しいか」と答えた説話にまつわる「まんじゅう食い」人形が有名)では、鍾馗さんではなく、金時さんや七福神の中の数名が...

その日散歩を終えるまでに見つけた鍾馗さんは10数体ほど(道の端を歩いていた関係で頭上の屋根は見ていない可能性も)。途中、鍾馗さんのないお宅の玄関脇に信楽たぬきをちょいちょい目にしました。「たぬき=他を抜く」ということで、やはりお商売をされているお宅が多いのかなと。

よく歩き、鍾馗さんや信楽たぬきにたくさん出会い、気分もリフレッシュしたところで病魔を払ったはずなのに、帰宅後なんだか喉が痛くなり風邪っぽいのは、きっと、どの鍾馗さんも、よそのお宅の神様だからですね。