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「今」にのみ込まれないように。

毎日、感染症関連や政治家の発言などでニュースが埋まっていて、世界や日本が今どうなっているのか、これから世の中がどこへどう向かうのかよく分からない。

以前よく耳にしていた気がかりなニュースはその後どうなったのだろう、シリア情勢や、北アイルランドは、パレスチナは、ミャンマーでの軍によるデモ弾圧のニュースは入ってくる一方で、香港は…普天間や辺野古は。そう思ってネットで検索したり新聞を開いたら、そこには現状を伝える記事がちゃんと載っていた。要するに自分が半径数キロ圏内にしか意識を飛ばしていないだけのことだった。

そんな私はこのところ、『方丈記私記』(堀田善衛/ちくま文庫)や『岸田劉生晩景』収録の「鳥羽僧正」(松本清張/新潮文庫)『楢山節考』(深沢七郎/新潮文庫)などを読み返したりしている。

特に「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」で始まる方丈記の鴨長明や、【鳥獣戯画】の作者では?とされる鳥羽僧正(覚猷)の生きた平安後期・末期から鎌倉初期にかけての乱世(飢饉悪疫、地震、洪水、大風、大火、盗賊の横行、官位をめぐる内紛、収賄、神官や僧侶の地位争い、混乱する政局や騒乱など)が今に重なって見えて、そんな時代のうねりの中で異彩を放ち孤高の存在だった彼らから、何かしらヒントが欲しいのかもしれない。

平安末期以降に編纂された『千載和歌集』や『新古今集』などについて、堀田善衛はこう記している。(つい、現代に置き換えて読んでしまう…)

よくもまぁあの動乱、権力闘争、朝廷一家の底の浅い陰謀、腐敗、堕落、関東武士の野蛮、残虐、ほんの少数の例外を除いての僧侶たちの厚顔、狼藉、暴行、それに全体的飢餓、火事、地震、悪疫、戦乱と窮乏などのことを越えて、あるいはまったく無視し得て、よくもあれだけのことをなし得たものだとつくづくと、ほとんど呆れるほどの心持ちでもって感銘するのであるが、(128p)

当時、乱世の悲惨な現実には他人事で、ただ抽象的な美を求め和歌を詠む貴族たちの姿があったという。

鴨長明は、もともと禰宜・神官の息子でありながら跡を継げず、多才だが器用貧乏な面もあって朝廷周辺には評価されず、というより身分はそう高くない一方で批判精神を持ち、黙っていても(彼らが詠む歌を「文学による文学」と片付けていることが)伝わってしまい敬遠されたらしい。社会的はみ出し者としての意識が強く、周囲の関心を引きたい気持ちと同時に他人に常に深い関心もあり、後年、山中の方丈の庵で静かに暮らしながらも実際は「生臭い恨みつらみ、開き直り、ふてくされ、厭味などをおおっぴらに書い」ていたようで、読んでいて親近感がわいてしまった。

それでいて長明は(朝廷一家の歌について内心批判しておいて)、自分の和歌が『千載和歌集』にたった一首採用されたことに大感激したり、誰それがこう褒めてくれた、などと書き残しているのがこれまた俗っぽくて身内なら恥ずかしいほどだけど、他人なので面白い。

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※画像は国立国会図書館デジタルコレクションより。四畳半の広さで、近所の子が遊びに来ていたり、隠者の象徴であるお琴と琵琶も描かれている。

一方、鳥獣戯画の作者とされる覚猷(長明は覚猷の死から15年ほど後の生まれ)も、貴族の出だが庶子や末子は仏門へ入れられた時代(一夫多妻で皇族や貴族の人口は膨れるばかりで財政悪化や官途の不足から外へ出された)で、彼もその道へ進むことに。僧門で精進すること35年、周囲の友人らは次々に高い僧位に進む中、彼は同じ位階のまま。「この不当な待遇が彼を冷酷で客観的な人物に仕立て」て隠遁生活に入ったのだと清張は書いているが、不平不満だけでキレたわけではなく、寺の監督者として農民の暮らしの困窮ぶりを目の当たりにして、彼らから搾取することで成り立っている中央貴族の贅沢な生活や、皇族や貴族の支えによって「高い寝息を立てる」仏教界に嫌気がさしたらしい。

変人と噂され、小貴族の出身ということで歯牙にもかけられない立場にあった覚猷が、隠遁生活の中で貴族や僧侶を風刺する鳥獣戯画を生み出すまで(仮説)を短編に仕立てた清張さん、すごい。

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(国立国会図書館デジタルコレクションより:『日本の名画』笹川臨風/偕成社 昭和18)

私は独居でデザインの仕事をして、取引先とのやり取りは以前からずっとメールで一日部屋から出ないのが日常なので、たまに買い物などで外出をして、「あれ、ここの建物がなくなってる。いつの間に…」ということがとても多く、日常的に浦島太郎体験をしている気がする。

子供がいたりすれば、その成長とともに歳月を実感できたり、会社勤めをしていたら立場が変わったり世代の違う人たちと関わることで自分の立ち位置や時代を実感できるのかも知れないし、少なくとも両親がいた頃は「あれ、どこのおじいさんかと思ったら父だ。なんだか年取ったなぁ…」などと年月を目で見て感慨にふけることもあったけれど、二人を見送ってからは、自分の中で自分の気分だけが真空パックに入っているような状態だ。

ネットの世界では「数」を持つものが力を持ち、内容ではなく数字で判断されることも多く、他者よりも上か下かを気にしたり、自己顕示欲や承認欲求などに疲れたり、常にフォロワーや「いいね」などの数字が自動的に公開されていて、「自分はこの程度です」と見知らぬ人にまで晒して生きないといけないようなところで、たまに、何だかうんざりして「アカウントも消して、全部やめようか」と思ったりもするけれど、現実でも同じで、世の中で起こっている理不尽なこと、目を背けているあの問題は今も進んでいるのではないかとか、一つ一つ考えていくと厭世観にとらわれてどうしようもなくなってしまうことがある。

そんなとき、『方丈記』をイメージして勝手に世を捨てて無常観に浸りたくなるのだけど、実際の彼は悟りの境地どころか、自意識の強い人だったらしいと知ると、ペシミズムが吹っ飛んでしまう。

『方丈記私記』で堀田善衛は長明について、こうも書いている。

厭離穢土、欣求浄土とはいうものの、たとえば発心集(簗瀬一雄 編「鴨長明全集 : 校註」所収)を書いて、世を捨てた人々の、様々なケース例を百六も集めて書きしるすなどということは、悟りすました人のすることではない。

※厭離穢土(おんりえど:仏教のことばで、この世を穢けがれたものであるとして、嫌い離れること/goo辞書より)、欣求浄土(ごんぐじょうど:極楽浄土に往生することを心から願い求めること/goo辞書より)

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2019年にこの地に越してきて、従来とは違って古民家の玄関付近で小さなお店を営むことにしたら、訪れる人とそれとなくしゃべり、店に置くための作品もそれとなく作り、時々ちょっと嬉しいことがあったり、時に「なんでこんなことがあるの」とげんなりしたり、地味な暮らしの中にも同じ日は一つとしてないのだと、気付かされることが多い。それでもニュースやネットの世界を通して「世の中」を覗いた時に、

こんな世の中嫌だわぁ。

などと思うことがある。ただ、まぁ昔の人もそうだったんだな、愚痴などもこぼしながら人間らしく生きてよいし、今は貴族や僧侶でなくても、こんな一般人でもこうして書く文字を知っているし書く場所があるのだよなぁ。そんなことを思う2月でした。

ヘッダーの絵はあまり本文と関係ないですが、昔の人もいろいろ大変だった、だから何かに願いを込めたということで。今はアマビエさんが人気ですが、鍾馗さんもいますので、どうかひとつ。

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