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そんなこんな。

築100年ほどの家に越してきて、玄関部分で一坪の店を始めてから、半年あまり。

外出制限が出ている期間中に店を閉めがちになってから、何となくなし崩しに閉める日の方が多くなって、当初よりモチベーションも下がっている今日この頃です。

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それでも、週に何度か店を開けるとお客さんと何かしらのやり取りがあって「止まっている空気が動く」というか、締め切った部屋でデザインの仕事だけをしているのとは違い、たとえお客さんが誰もこなかったとしても、程よく気持ちが引き締まって諸々はかどるような気がします。

ただ、表の戸を開けていると風が通って心地よい反面、通りから結構な土ボコリが入ってきたり、風で飾っているものが倒れたり落ちたりもします。店を開けていると対人面で戸惑うことも結構あり…他のお店の方にお話を伺うと「ふむふむ、みなさんご苦労があるのだなぁ」とホッとしたり、「え、そんな大変なことが?」と気が遠くなったりするのです。

そもそも築100年の古家に住むこと自体、風情ある佇まいや居心地の良さを堪能する一方で、虫やら寒さや庭の手入れに頭を悩ませたり、建物の外にあるお手洗いや洗濯機に不便を感じたりするので、何事にも両面あるのだなぁと思うばかりです。

そんなこんなの近頃ですが、半年経った記念に、「このまちに越してきて、この場所のこの家でお店をしてよかった話」を書き残したいと思います。

私は仕事上「屋号」として旧姓を名乗っているものの、離れて暮らす夫がいて、相手は関東暮らしで世帯(家計)も別で、もともと長い間友人だったのと周囲への説明が面倒なので、対外的には「友人が」と伝えることが多いのですが、ここに住むきっかけをくれた人でもあるので、今日は少し彼の話を。

ライターをしている夫は、ある時、雑誌の仕事で「奈良のカフェを舞台にした小説」を出版した作家さんのインタビューを行うことになり、「せっかくなので、その小説を書くために作家さんが取材をしたカフェ(の中の一軒)でお話を聞けたら」と、奈良のとあるお店へ行ったのだとか。

そこは住宅街の一角にあり、「場所はどこだったか思い出せないけど、とても感じよくて、居心地の良い空間だった」そうで、それ以降、時おり彼の口から「あの時行った普通の家っぽいカフェが良かった。あんな店が近くにあるなら奈良に住むのもいいなぁ」と何年にもわたって語られるようになりました。

私も好きな作家さんなので、その話を聞くたび「へぇ、いいなぁご本人と間近でしゃべれて。でも私は実際にお会いしたら緊張してつまらないことを口走ってその場が盛り下がって後で自己嫌悪に陥るんだろうな。好きな人や憧れの人とは作品を通して関わるだけで十分だな」と、本筋とは違うことを思う程度でした。

他の友人からも「ならまちにこの前行って、とても良かった」とか「奈良、好き〜。奈良によく遊びに行く」などの話はチラホラ聞いていて、「なんか知らんけど私の周辺で最近奈良が人気なんだなぁ…」くらいに思っていました。ただ、好きな作家さんの話を聞いたり、友人たちから奈良話をどれだけ聞いても、私にはどこか遠い世界の出来事のようでした。

実は私が長年住みたいと夢見ていたのは山陰地方で、歴史ある町で民話のルーツを調べたりしながら趣味の創作をしたくて、どうにか地元の人から情報を得るために、レトロな店舗付き物件でささやかなギャラリーをしてみたかったのです。ただ、車も(免許も)なく大雪への対処も出来そうになく、仕事上でも不便になってしまうことなどから、山陰移住がもし無理だった場合は、取引先があって友人もいて兄もいて温泉もあって自分が十年以上住んだ神奈川あたりだろうな、と考えていました。だから、親の介護のために住んでいた実家を出ることになった時、山陰と関東で重点的に物件探しをしたのです。

そして、ネット情報をもとにいざ物件選びの旅へ出たところ、関東でも本命の山陰でもどうにも空回りばかりでうまくいかず、物件探しの旅から戻って放心していた私に、彼が「奈良に住んだら?」と提案してくれたのでした。

そういえば、関東の友人や地元の友達からも「奈良にしたら〜地元にも近いし、おしゃれな店多いし」と言われていたことを思い出し、生前の母と東大寺を訪れて県庁の食堂でランチをした光景も蘇ったのでした。

「奈良…か」

それで物件探しの旅から帰ってきた日の夜、荷物も片付けず風呂にも入らず、夜中遅くまで調べてやっと気になる物件を見つけ、翌日担当者の方に電話をして、二日後に話を聞きに行って、それからいろいろ段階を経て数ヶ月後に契約できたのでした(あとから知ったのですが、この辺りでお店をできる物件を見つけることは簡単なことじゃないそうで、探してすぐに希少な物件に出会えたのはとても幸運なことだそうです)。

お店をするにあたり、自分の手持ちの本や自作のアレコレのほか、実家の不用品の中で処分するのにためらう味のある雑貨類、そして姉の読み終わった本に甥の持っていた古いおもちゃ、そこに仕事柄、本をたくさん抱える夫の「新古書店では価格がつかないけど魅力のある本」をセレクトして送ってもらうことにしました。

作品は時々増やすことにしていて、こうしてnoteに書くのも、記録のためだけでなく、ヘッダーに使った絵柄をポストカード等にする目的があります。今まで10枚ほど、記事を書いた後でポストカードにしてきました。今日は「グレーやシルバーのあれこれ」です。

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新居でお店をオープンしてからほどなく、「この町は一見地味だけど、なんだかとても魅力的。でもパッと見ただけではわかりづらいから、せめて友達が来た時に案内できるようにガイドブックを作りたい!」と思い立って、時間をかけて30軒ほどのお店をコツコツ回って取材交渉をすることになったのですが、その途中、一軒のお店で私は偶然見つけたのです。

以前から何度も「作家さんをインタビューした時に行ったカフェがよくて…」と夫から聞いていた、その作家さんの(奈良のカフェを舞台にした)小説が、お店の棚に飾ってあるではないか!!

お店の方に、「自分の連れ合いがもしかしたら、以前このお店でこの方にインタビューをしたかもしれない」という話をしたところ、「ああ」と、すぐに一冊の雑誌を開いて見せてくださり、そこに「聞き手」として彼の名前がありました。

例の「感じのいい店」はここだった。ここが例の、幻の店だったのだ…!あの魅力的な作家さんが気に入って何度も訪れるという店。そのすぐ近くに自分は住んでいたなんて…おお、こんなラッキーがあって良いのかしら。

その後なんどもそのお店でランチやお茶をしたり、窓からの景色を楽しんだりして、お願いしてガイドブックにも掲載させていただきました。後日夫や姉を連れて行き、その雑誌の記事を一緒に見ることもできました。

考えてみれば、2020年初めから世界中を一変させたこの状況の中、無理をして山陰地方に移住していたとしたら、外出もままならぬ事態になり、家族も親戚も友人もいない土地で私は孤独に陥っていたかもしれないし、生活上の不便を感じて困っていたかもしれません。

この場所だったから、隣県に住む姉が頻繁に訪れてくれて、また姉が奈良(きたまちの他にならまちや京終なども)をとても気に入って「駅に降りたら頭痛までなおったわ。ここへ来るとリフレッシュできる〜」と言ってくれたりするので、家族にとってもこの選択で良かったのだなぁ、と。

クラウドファンディングで印刷費を募り自主制作したガイドブックは今初版を配っているところで、近く本印刷も上がってくる予定です。こんな状況なので地元の方を中心に配布することになりそうですが、ウェブ版もあるのでよかったらご覧ください(奈良へ移住するきっかけとなった素敵なカフェも、その件については触れていませんがご紹介してます)。

ありがたいことに、ガイドブック制作途中に地元の方のお話を伺っているうちに、「もしかして、私が調べたい民俗学的なことは、こんな感じで聞いていけばいいのかも…」と気付けました。山陰でなくとも歴史あるこの町でやれることはたくさんあるというか、ここでしかできないこともあるはず。ガイドブック作り自体、いったい何のためにやっているのか、途中で見失いかけたことも何度かありましたが、そのために各所に連絡したり訪問したり、いろんな方にお話を聞いたりした経験は、出不精で人付き合いが苦手な自分にとって、今後調べ物をするときの大きな力になりそうです。

週に数日とはいえ、せっかく開けるからには、少しずつ作品や本を増やしてちょっとでも面白い空間にしたいです。以上、半年経過した新生活の「そんなこんな」でした。

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