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喫茶店のお客さんノートの件。

【販売について、2022.5追記あり】
はじめにこの話を書いたのは今年、2021年の4月の下旬でした。喫茶店に置いてある、お客さんノートって気になるなぁ…あれを一通り読んでみたいなぁという軽い気持ちから発展したものでしたが。

あれから5ヶ月ほど経過。

ようやく、今本文がすべて整い、版下のレイアウトをしている段階です。試し刷りをしてから、11月に本印刷を予定しています。

私は普段、企業から依頼を受けてデザインやイラストの制作を行なっているのですが、その合間に何か興味があることに没頭するというか「何か作りたい!」という唐突なT-fal(湯沸かし器)的熱意に取り憑かれて夢中で作業をするのがここ数年の生きがいになっていて、いくら宝塚歌劇が好きでも作業中は動画再生しても耳で聞き流すだけだったり、どれだけ好きなおやつが手元にあっても食べ忘れるほど、のめり込んでしまうのですが、これまでは「お寺でよく引くおみくじの自己流解説本」や、それに基づいた「オリジナルのおみくじ」、「暮らしている街の散歩ルートを載せたガイドブック」、他にもお経を絵にしたり、いろはにほへと順の47種類マッチ箱のデザインなどを制作してきました。

自分で好きなように作る分(自己流のおみくじやマッチ)には何の問題もないものの、例えばお散歩ガイドブック制作の際にはクラウドファンディングを利用したこともあり、各所へ掲載許可を得ること、表立って宣伝すること、配布協力を個別にお願いするなども必要で、普段はしないそうした活動の中で思いがけず拒否反応や厳しめのご意見をいただくこともあり、「やりたいこと」を自己本意に進める上では誰かの不興を買うことはやむを得ないとしても、それでも誰も傷つけず、誰の権利も侵害せず、ということを(完全ではなくても)できる限り目指す必要があるのだなと、過去の経験から思い知ったものでした。

さて、大阪・阿倍野の路地裏で44年間営業を続けた喫茶店「力雀」(元雀)のお客さん達によって書き継がれた130冊前後(実際には180冊ほどだったが紛失分があるため)の大学ノートを、「何かの形で」まとめた一冊の本を作りたいと思い立ってから今日で、およそ一年になります。

経緯は以前書いたので割愛しますが、喫茶店に残された44年分のお客さんによる文や絵、その他を利用して個人がZINE(本)を制作するということには様々な問題があると承知しており、ガイドブックを作った時よりも、許可を取る先が不明な分、却って難しいのかもと思っていました。

ネットで事前に意思表明することで、何らかの方向性や注意点を見いだせればと考えたのですが、全体を通して反応はあまりなく、ご協力をお願いした【お店や店主へのメッセージや思い出のエピソード】などもほとんど届きませんでした。それについて、どう受け止めるかは難しいところですが、そこからは喫茶店の関係者だけに向けたものではなく、ひろく一般の方に読んでいただけるような、昭和70年代から平成後半までの「世相風俗」を俯瞰できて、かつ一軒のお店に流れた豊かな時間を感じられる読み物を、作ろうと決めました。

全てのノートを3ヶ月かけて読み、ノートに書かれている文章の中からその時代の風俗と個的な話が交差する話題をメインにピックアップし、元の手書き文字になるべく近いフォントを使い分けて打ち込み、イラストは必要に応じて載せるものに限り、模写しました。ペンネームは生かし、ただ内容によってはそれも伏せて、本名らしきものはアルファベットや名前の一部にとどめ、その他プライバシーに出来るだけ配慮しつつ、著作権を損ねぬよう気をつけました。

最も大切にしたのは、店主の思いを大切にしつつ、それはそれとして「主観」でノートの世界観を再構築するということでした。そこでページの3分の1程はノートが書かれた同時代の自分史に割き、私自身のプライバシーを明かすことでノートに書かれた内容を相対化しつつ、より読みやすい構成になるよう目指しました。

先日、編集者の方に個人情報と著作権の面でのチェックなどをお願いして、今、終盤の作業を行なっているところです。「こんなことをしてなんの意味があるのか」というのは、今回に限らずよく頭をよぎることですが、意味を求めてやるのではなくて、やっていくことで何かに気づいたり見つけたりすることが全てなのかなと思います。自分の中での思いは様々ありますが、読んでくださる方に、少なくともこんなお店があった、こんな素敵な店主が、お客さん方がいらしたのだということが伝わればいいなと思います。

様々な配慮の結果、常連さんの書き込みより初来店の方や一度きりの方の書き込み、読み人知らずなどのものが多いかもしれませんが、どこか殺伐とした現代に読むと「ほっ」とするような懐かしい話なども登場します。もちろん楽しい話だけでなく、やはり昔も「パワハラ」「セクハラ」という言葉はなくとも同じことが横行していたと痛感したり、様々なことに悩んだり焦ったりしている方々の思いが近くに感じられて、読んでいるととても勇気が湧いてくるのです。

本文に入れなかったけれど読んで「ああ、これ!あった。懐かしい」と思った話題を少し。(雑な絵ですみません)

五円玉の両側に輪ゴムをつけて捻って、それを袋(紙で包む)に入れるこの仕掛け、ご存知でしょうか。下の絵はノートに貼られていた説明書の模写です。

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1983年のある時期、この「手作りドッキリ仕掛け」が店内で話題になっていたようです。この仕掛けを入れた袋を「トカゲの卵だよ、開けてみて」と誰かに渡して、相手がそっと開けようとするとゴムが元に戻ろうとして「ぶるぶるっ」と震えて、袋の中でトカゲの赤ちゃんが孵化したと驚く…という遊び。

これをお店に持ち込んだお客さんが後日、ノートに「おさわがせして誠にスミマセン。”トカゲの卵”の被害者の方々(ミミも含む)心臓大丈夫でしょうか?仕掛け人といたしまして、ナントモハヤ笑いをこらえるのに苦しい状況です」と書いておられるのです(文中のミミ、というのはお店のスタッフでもあった店主の愛猫)。この方は音楽関係のお仕事で会った来日中のミュージシャン夫妻にもこの”トカゲの卵”を渡したそうで「被害者の数は海を渡ってアメリカにも広がる模様です(ワタクシメガ オミヤゲトシテ プレゼント シタノデス)」と楽しく締めくくっておられます。文面が素敵なのですがここで伝わるかどうか…

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さて、こうして制作中のZINEですが、2021年11月20(土)〜23(火・祝)日までの間、午前11時〜午後5時まで(最終日は午後4時まで)ハニホ堂展と題し、通常の商品(オリジナル作品や古雑貨、古本などもあり)とともに表の3畳間にて展示販売します。その際、「珈琲の店 雀(力雀)」の関係資料(お客さんノート、お客さんを店主が写したポートレイト、店主によるスナップ写真や掲載誌など)を同時展示します。

大阪の阿倍野と奈良ではまるで関係ないのに…と違和感を持たれるかもしれませんが、お店には奈良の方が多く訪れ、初期のノートには【奈良ドリームランドのスクリューコースターの完成記念搭乗券】が、最後のノートには【明治時代に奈良〜加茂間を走った大仏鉄道のガイドマップ】がそれぞれ貼られていて、途中でもたびたび奈良の話が登場するなど、(私はもうすぐ引っ越すのでより一層)この街に暮らしている間にこのノートを読めて、そこで奈良の魅力がたくさん語られているのを知って、不思議なご縁を感じるとともに、率直に嬉しくて。

ご遠方の方にはご不便をおかけしますが、どうかご理解いただければ幸いです。東大寺大仏殿や転害門に程近い場所ですので、秋のお出かけがてら、お越しいただける場合は、お店のサイトで場所を確認してください。
(追記:展示会は無事終了しました)

*最後に、今後の関係資料の取り扱いについてのお知らせです。

「お客さんノート」は、東京に住む元お客さんの所有物件(兵庫県)の納戸で保管されているものを、その物件の現地管理者の方(常駐ではなく、時折訪れて場所を利用・管理しておられる)の協力を得て運び出し、今は私がお預かりしています。展示会終了後は、いただいたお客様からのお手紙と私からのメッセージを添えて、資料は直ちに元の場所へ戻す予定です。

重量や嵩もあるのと、保管場所や管理者の方が喫茶店とは無関係なこともあり、今後このように資料を運んでどこかで展示されることは当面ないだろうと考えられます。現物をご覧になりたい方、自分の作品などを写真に残したいという方などは、ぜひ上記の展示会に来ていただくことをお勧めしたいです。

以前告知したことも含め、ネット上でこのように書いても無駄かもしれないし、時期を逃すとこの情報さえも意味を為さないとは思うのですが、私は、私自身が「何かを全部見たい」と思って些細な情報を元に行動したりするタイプなので、どなたかにとっての貴重な機会を失わないために、情報だけはお伝えしています。

今後、もし何かで資料として使いたい、あるいは閲覧できる場が改めて欲しい、大阪で展示会をしたい、自分の書いたページを記録したいなどのご希望がある場合は、資料保管責任者の方と直接ご相談いただくことになります。ただ、「ノートはイベント後はしばらく管理の都合で封印します。どうしても、という個人事情がある場合には、要相談とさせてください」とのことなので、どうかご了承ください。

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(2022.5.22追記)ZINEは2022.5.29(日)開催の「文学フリマ東京」に出展して、そちらでも頒布する予定です。(無事終了しました)
2023.6追記)ハニホ堂のサイト内に通信販売のご案内があります。ご注文の際、お店に訪問したことがある方は一言添えていただけると嬉しいです。→こちら

編者としては、70〜80年代が特に好きです。