見出し画像

今できることと、気づいたこと。

フリーのデザイナーとして、そして一坪雑貨屋の店主として、今思うこと。

こんな状況で外出や旅行がままならなくなって、会いたい人と会えず、約束をキャンセルするたび「1日も早く、元どおりの暮らしに戻りますように」と口にしていたのは数週間前くらいまでです。

最近は「元に戻るのではなく、暮らし方を変える覚悟がいるのかもな」と思い始めました。

例えばマスク。

私は花粉症のため毎年1月中旬からマスクをつけ薬を服用して5月初旬頃まで過ごすので、毎年、一年の半分近くは家の中に使い捨てマスクの残骸とティッシュがゴミ箱で山になっていたのです。

それが今年、花粉シーズンを迎え、昨年箱買いしていたストックがなくなりかけた頃、ドラッグストアで品薄になり、すぐに品切れになって、気づくと全国的に大騒ぎになっていた。

病院や介護の事業所の事務の仕事をしている身内がどうしてもサージカルマスクがいるというので探したけれどどうにも厳しい状況で…

そんな時、知人のタイ在住の映像カメラマンの方が、今回のことで日本からの発注が途絶え、また現地で布小物などの縫製の仕事をしている職人さんたちも仕事をなくして困っているということで、チームを組んでフィルター効果をもたせた高性能の布マスクを作って売ることになったという話を聞き、「それなら、うちのわずか一坪の店で売って、そして別の知り合いにまとめて買ってもらえるようならパッケージをこちらで担当して卸しもやってみよう」と思い立ち、人生初の輸入販売を始めたのでした。

最初は、「仕事がなくなって困っている人と、マスクがなくて困っている人の橋渡しをしよう」と思っていた私。

それが、マスク制作チームからの情報発信を耳にしたり実際に布マスクを着用しているうちに、考えは少しずつ変わってきました。

「使い捨てマスクがないから仕方なしにその代用として布マスクを仕入れて売るのではない。マスクが手に入らず困っている人のために代用品を売るのでもない。ましてやこの機に便乗して儲けるのでもない。ボランティア精神でも商売でもなく、当たり前のように大量生産された使い捨てマスクを毎日、あるいは1日に何回か取り替えて捨てていた暮らしを今わたし自身が見直し、販売しつつそれを伝えるべきなのでは?」と。少なくとも、医療現場や介護の現場など、確実に使い捨てる必要のあるケース以外では、考え直す時期なのではないかと。

ちなみに、パッケージデザインと袋詰めは自分が担当しました。価格を抑えるため、袋と商品説明(台紙裏面)&サイズ表記の帯は全タイプ共通にしてテープも全部で3箇所留めるだけにしました。

画像1

画像2

このマスクは付け心地が良く、速乾性もあり、ポケットにティッシュペーパー等を入れることでフィルター効果が高くなるのですが、プリーツ加工されて軽い不織布のものに慣れた身からすると、しゃべるとやや位置がずれることもあるし、耳にかけるゴムが細いので長時間の装着ではやや食い込むなど、少しだけ気になる点はあります。

それでも、毎日はき替える下着を洗うように、マスクだって洗って使えば繰り返し使えるのだと、布マスク生活は思い出させてくれました。そして、不織布マスクをつけた時に気になる薬剤っぽい匂いがないし、箱売りマスクで個包装されているものを使うと、毎日毎日マスクも使い捨て、袋も(分別するとしても)その都度無駄にしてきたことを思い返すと、今後供給が追いつき気軽に買えるようになっても、私自身は布マスク数枚をメインで使って不織布はたまに買うくらいに抑えたいなと…

これまで宣伝や告知の仕方を迷っていたのですが、一回目の販売を終えてみて、宣伝するかどうかより、たくさん売れるかどうかより、まず自分が扱うマスク(作り手の思いや背景も)はどんなものか、それを自分はどう使ってどう売るのか、それらを伝える「姿勢」は示したいと思いました。

布マスクを手作りされて使っておられる方には、布でもポケット付きマスクにすればN95マスクのフィルター効果(95%)に「ちょっとでも近づける」ヒントがありますので、「マスクについて」のページ中程の実験結果などをご参考にどうぞ。

さて。今回のことで、「自分の考えを改める」という点で思い出したことがいくつかあります。

例えば基礎化粧。十代の終わりから二十代にかけて肌荒れがひどく、美容液やピーリング効果のある化粧水などを使ったり色々試行錯誤したこともあったけれど、最終的に何をつけてもヒリヒリする時期に〈水でといたワセリン〉を塗っていたら改善し、今に至るまで、ハトムギ化粧水とソンバーユと時々ワセリンを使う程度でトラブルもほぼなく、今では化粧品売り場にある一式、化粧水(ふき取り・柔軟の二種類)に乳液、美容液、リッチクリーム?の用途が分からないほどです。それまで一式使っていたあのたくさんの瓶やチューブはなんだったのだろうかと愕然とします。

そして例えば、ゴキちゃん対策。ずっと母が実家でやっていた通り、ホウ酸団子を置くのが良いと思っていて、毎年シーズンが来る前に気になる箇所(水まわりなど)に設置するように気をつけていたものの、ある年に買い忘れ、翌年もそのまま対策をせずに迎えた夏のある日、トイレで久しぶりに出くわし、その場でとっさにスリッパでゴキちゃんの周囲の壁や床を叩き、退治するのではなく威嚇したところ、それ以来、ゴキちゃんは二度と姿を見せなかったのです。そこで私は「ゴキは一族で暮らしているはずなので、あの一匹がアジトに帰って報告(あの家で恐ろしい目にあったぜ、とか)したに違いない」と確信し、以降ホウ酸団子その他の対策グッズを買っていないのです。

そして例えばお店のこと。自分の店に置いているのは、自作のイラストのポストカードなどの他、両親が他界して実家の遺品整理に苦労して引越しまでにとうとう処分しきれなかったものや、捨てるにはもったいないものを展示しているだけなのですが、その昭和チックなテイストが結構喜ばれるようで、「なんだ、こんなものが喜ばれるのなら、あれもこれも捨てずに残しておけばよかった…」と、本当にびっくりするというか、あんなに処分に苦労していた「ゴミ一歩手前」だったモノたちが、そこらで売っていない得難いお宝に変身したのは目からウロコでした。今度、おしゃれな女子向けのガイドブックに載せてもらえることになったのですが、一年前の自分(実家にあるものを各所へ寄付したり捨てたり必死だった)にはそんなこと想像もできませんでした。

時に自分の思い通りにならないことが身の上に降りかかってくるのが人生ですが、その時々で考えを改めるというか、新たな発見をしたら素直にそれを受け入れて世界を見つめ直すと、思いもよらない新天地へいける気がします。今の状況も思いがけないものですが、それだけでなく、タイの方々と一緒に仕事をするとは思ってもいなかったですし…もっと言えば半年前まで、奈良で「こんな風に」暮らしているとも思っていなかったので。

今この状態で、何をどうすれば自分は自分の人生を楽しめて、周囲の人や見知らぬ人にも何らかの役に立てるのか、柔軟にその場その場で考えを改めたり何かを再発見したりしたいです。

最後にヘッダーの画像は新作、勝手に自分の店で開催する「いろはマッチ展」の原稿の一部です。無地の二寸マッチに「いろはにほへとで47種類」のラベルを作って貼って展示販売しようかと。

何か新しいことをしたいと思って引越しを機にお店を始めたものの、「お店をすること」自体の新鮮さは数ヶ月で消えてしまったので、今後もギャラリーショップと名乗る以上は新しいものを展示したいし、それはこの自粛期間が続く状況で店を開けるかどうかはともかく、コツコツ時間をかけて何かこれと決めたものを最後まで作る道を進みたいです。

誰しも最後には死ぬとわかっていても、それでも、それでこそ生きるのと同じで、その日が明日かもしれなくても何かに向かってコツコツを重ねるという生き方をしたいなと。

そんなことを今思って書きました。