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何もかも時間差でやってくる。

これまで実家を出てから9回引っ越して、そのうちいくつかの間取り図を保管している私は、何年かに一度、それらを取り出して、あれこれ物思いにふけることがある(下の絵はスケールを大体統一したもの)。

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今、仕事をしながら週に1〜2度お店を開いている家は下の間取り。ずいぶん広いように思えるが、過去のいくつかの部屋と比べて、仕事や生活スペース自体はこれまでとさほど変わらない、かもしれない。

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他に、住まなかった部屋の間取りを自分でトレースしたイラストだけ残しているケースもある。

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引っ越すには理由があって、外的要因がない場合は多少なりとも「ここが無理!」という点があるのだけれど、そのマイナスでさえも懐かしく愛すべきものに思えるのが時間差マジックだろうか。

たとえば、関東に出て初めて借りたアパートは8畳の洋間で、家具や家電を入れるととても狭く、コックピットで暮らしているようだった。

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下の階は手前が店舗用貸物件で奥は駐輪スペース、二階2所帯が貸し部屋というこの物件、すでにお店と奥の部屋には住人がいて、私は手前の部屋を借りた。先住者とは物入れが互い違いになっているので、この横はお隣さんの物入れなのだなと常に意識したり、どんな家具配置なのかなとついつい想像してしまった。奥の空間も階下の店も自分にとっては未知の世界だった。

お隣さんは外資系有名企業のブランディングを担当しておられて、元々私も憧れだったその会社の商品(クリスマスギフトやバレンタインなど)を時々いただいた。その人を通してブランディングの仕事についても(デザイナーを名乗っているくせに)初めて知った。階下にあるのは、はっきりした看板や説明は特にないけれど、おそらくきつねうどんや山菜そばなどを出す店だろうと思っていたら、何度かうちの郵便受けに間違って、飛行機で読まれる機内誌やグルメ本が「掲載本」として入っていたので届けたりしているうちに、遠方からお客さんが訪れる人気店だと知り、客として訪問してみて、うどんといってもキャビアやアワビ入りのうどんが出てくる、すごいこだわりの名店だと知った。

なんてことだ、こんなしょぼい(失礼!)建物を、すごい人が二人も借りているなんて。私はお金がないからその部屋を借りたけれど、その「ひっそり」加減を気に入ってあえて借りるすごい人たちがいると知り、「ヘェ〜そうなのね、世の中って深い。見かけでは分からないもんだ」と感動したのだった。

その二つ前に住んだ部屋は、オートロックを解除して玄関ホールへ入るための暗証番号が「7378」だったので、私は「情けなや」という語呂合わせで覚えていた。出かけて帰ってくるたびに、「なさけなや」と口にしながら指を動かしていたせいかどうか、当時ひどい頭痛に悩まされ、常に体がだるくあまり良いことはなかったのだけれど、「7378」のボタンを押す感覚や、洒落た横文字のマンション名だったために、年賀状などで書き間違えをする人が多かったこと、その間違え方のヒドさも、上階から夜中にドンドン、ガンガン、コココン、とまるで大工さんが暮らしているのかという音がして困っていて、そしたら本当に想像通りに「大工さんが仕事を持ち帰って夜中に木工作業をしていた」と分かった衝撃など、今となっては楽しい思い出だ。

今自分が暮らしている家も、「駅から結構遠いし人も通らないし、こんなところでお店をしたって人来ないだろうな…それにしても周囲にスーパーもないし生活していけるのかな、とほほ」と当初心細く思っていたのだけれど、その後、界隈の魅力にも気づき、訪れる方に結構「この家素敵ですね、こんなところで私も仕事したいです」と言われるので、物事はやはり時間差で新たな表情を自分にも他人にも見せるものなんだなと。

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間取りの資料に限らず、私は大学時代のノートや「ある時期気に入っていた他人のブログをプリントアウトしたもの」とか、知り合いの人のご実家にたまたま同行して見つけて譲り受けたスクラップブックなど、昔のあれこれを今も保管している。

それらは引っ越すたびに処分を繰り返してずいぶん減ってしまったけれど、今、こうして築百年の家に住んでいるせいか、最近また近所の方に寄贈してもらったり、実家から今も発掘される古いものを店に置いたり、古いマッチ集めを再開したりレコードを聴くようになったり、各地の民話や深沢七郎さんの作品を読んだり、収納家具がわりに古道具店で木箱を買ったり、今まで以上に気持ちがタイムスリップしがちになった。

宝塚歌劇が好きなことも、過去を調べる熱意に直結しやすい。昨年、外出自粛の期間中に動画をたくさん見ていて90年代のトップスターさん(現役時代は知らず、ドラマなどで見て女優さんとしてお顔は知っていた)のファンになり、当時の雑誌をヤフオクや古書店で買ったり、VHSを観るために、実家のビデオデッキがまだ機能するのか調べたりした。

今、ネットを見ていると、特にTwitterには攻撃的な言葉が並んでいて、辛くなることがある。隣県の友人にも長いこと会えず、家族にもあまり会えないので、ひとりでいる感覚が強くて、「他愛もない話題」に飢えている気がする。そんな中で誰かが今の問題について喋っていること書いていること「だけ」を目にしていると、それが正論であったり目を逸らしてはいけない現実であっても、どこか追い詰められるような気がするので、ちょっと昔に誰かが書いていた物に触れることが、今の私にとっては安らぎになっている。時間差が、客観視する余裕を持たせてくれるのかも。

この春、私は40年以上続いたある喫茶店のお客さんノートを(仕事の合間に)読み返し始め、今ようやく90冊目に入った。ページをめくりながら心が何度も動いて、笑ったり共感したり、切なくなったり、取り残されたような気分になったり、思わずメモメモ…と立ち上がったり、登場したキーワードをネットで検索したり、紹介されていた曲が入ったCDを注文したり、とにかく感情が追いつかず読み進むのにとても時間がかかるのだけれど、そこで語られていることの最大のテーマは「時の流れ」だと気づかされる。恋も仕事も旅行も人間関係も気持ちも、全てに時の流れがつきまとう。また、ノートに書き残すこと自体、それを顕在化させるものなのだと。

見知らぬ誰かが書き残した言葉に、そこはかとなく、かつ、とても強く励まされる。

その流れで、今『ポンプ』という雑誌(1978年創刊〜1985年廃刊。全て読者の投稿によって成立している)を読み返したりしている(追伸:私は1985年7〜8月号を以前から探しています)。

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この『平凡パンチ』には、今、私が読んでいるお客さんノートとそのお店についての取材記事が4ページにわたって紹介されている。資料として取り寄せて、該当記事を見た後、全体を見ていると、ある広告記事が目にとまった。

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ここに書かれているのは自分は苗字で呼ばれたら返事をしない、断固、差別を助長する(家系を重んじる)姓氏は廃棄すべきである、今後は自分を「外骨」と呼ぶように、と意見広告を出した人の話だ。私は最近家を訪ねてきたセールスの若い男性に「ねぇお母さんは健康のこと気になりませんか?」と親しげに語りかけられことや、テレビのロケ番組で、相手の人が「田中です」などと名乗っているのに「お父さん、今日はお仕事ですか」と名前を呼ばないことが気になっていたり、選択的夫婦別姓の件についても注目しているのだけれども、それ以前に苗字自体を問題視する人がおられると知って驚いた。外骨さんだけあって、気骨がある方だ。それにしても大正十年の広告を紹介した昭和53年の広告を、令和3年に見ると思わなかった。

ところで、先述した知り合いの方のご実家の蔵で見つけて譲り受けた「私の記録」と題された、他界されたお母様のスクラップブック。

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火事を出してしまったときの「出火お見舞い御礼」の文章や、「平和憲法を守りたい」という投稿文、「農村婦人は考える」という見出しの新聞記事の切り抜きなどが貼られている。そこに、同窓会を欠席した後、当日の記念写真を送られたことへの謝礼として平成4年に書かれた手紙の下書きが挟まれていた。体調が悪く外出もままならなくなったことや、「私が今77年の人生を終えようとして、小動物や草木のように生命の本源にかえり、穏やかな日々の中に感謝していることを読み取っていただければ幸いです」という文章の後に、こんなことが書いてある。

痛むことも考えることも死ぬことも いやな事に違いませんが、どれも又明日への出発です。私は日々希望を持って明日を迎えようとしています

グッと来た。

私はこの数ヶ月、古民家の寒さのせいか、長年患っている部分が痛み、月の半分ほど日中でも湯たんぽと痛み止めが欠かせなくなってしまい、気持ちが塞いで機密性の高いマンションへ、あるいは暖かい土地への引越しを意識するようになっていた。あまりにも性急にこの家やこの街を離れようと焦るあまり、友人から「あなたはそんなに引越しを続けて、どの家にも満足せず、青い鳥を探し続けるんですか」と言われてしまった。そうじゃない。そうじゃないんだけど、同じところにい続けることができないし、過去になって初めて良さに気づくことしか私は出来ないのだと気づいた。

昔のものをあれこれ取っているのも、実際の人間関係が続かないからかもしれない。

自分の流浪癖はさておき、今、日々迷い悩み遊ぶ若者たちのノートを読み、農家に「嫁い」で苦労しつつものを考えて家族を支え家計を支え、自分の喜びを見つけて想いを綴った女性の記録に同時期に触れていると、何か元気が出てくる。引越しのことも半分頭にはありつつ、庭に何かの木を植えようか、などと思うようにもなった。

気温そのものも上がり、室内も快適空間に戻り、痛みがずいぶん軽くなったせいかもしれない。

時の流れを止めることはできないけれど、時差でしか気づけないこともある。今、出かけることができない分、時を旅していろんなことを感じたい。そんなことを思う五月なのでした。