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思い出散歩。

先日京都に帰省して、大阪、兵庫、奈良にもちょこっと寄ってきました。

どこも人混みがすごくて、あまり身動きは取れなかったけれど、静かなお寺の内陣に入って鎌倉時代の運慶・湛慶親子の作だという大きな仏像を前にしたり、樹齢800年と伝わる神社の大楠に再会したりして(大枝がいくつも切られていて、かつての姿とは違っていたけれど)、自分が10回輪廻転生しても届かなさそうな、はるかな時代に思いをはせたり、何気ない風景に「ああ、あんなこともあったなぁ、あの時はああだったなぁ」など個人的でささやかな出来事を思い出したり。

印象的だったのが、行きの新幹線ホームで乗車待ちの列に並んでいる幼児が「まだぁ?まだ乗らないの?ねぇいつまで待つの?」と母親にしきりに尋ねていた光景でした。
「わぁ、お子さんの気持ちわかるわ。子供の頃って、大人は何かをいつも平気で待ってて、〈何でいつもこんなにひたすら何かを待ち続けなきゃいけないの〉と私も思ってた!」と懐かしく、ちょっと気の毒に思ったりして。
彼女にとって永遠のように思えるそれは、長い人生の中では実はほんの一瞬のことなのだと大人になってからはわかるし、そもそも人生の大半が本編ではなく「待ち時間」ばかりなのだと思い知るのだよねぇ、としみじみしたりして。
昔、こんなイラストを描いたことがありました。

さて、先日の帰省は旅ではないので写真はほとんど撮らなかったのですが、その数日間で感じたことを記録しておきたいと思って、今日は「時の流れにまつわる」昔描いた雑な4コマ漫画を載せてみます。すべて2007〜2009年頃の作です。

1.使わなくなったものに思いをはせる

(右)昔は複写式の納品請求書を作成して月末に請求書を郵送していたのだけど、5年ほど前から紙の請求書は使わずPDF書類をメールで送るように。その流れで切手を買うことも減って、一筆箋やメッセージ用付箋を探すことも減った。
(左)私は新しいものやシステムに乗り換えるのが苦手で、2年ほど前まではガラケー利用&固定電話を家に置いていた。最後の方は少しFAX利用&光回線をネットで使っているだけで、セールス電話が多過ぎるので電話線は引っこ抜いていた。
昨年関東に引っ越してくる時に工事が面倒なので置き型Wi-Fiのルーターに乗り換えてみたら、なんの問題もなく使えて、「何であんなに光回線にこだわったんだろう」と拍子抜けした。
そして今回の帰りもだけど、最近何度か飛行機に乗ることがあって、紙の搭乗券がなくてスマホでチェックインもできるということに、またそれをやってのけている自分にも、「ひぇ〜私、現代に対応できてる!」と驚くのです。

2.昔から変わらない「最近の話」について

(右)昔描いた漫画を見るたび、今自分の考えていることとほとんど変わらないように思えるけれど、ただ「時代」については認識が変わった気がする。
ここ数年で世の中のシステム(自動レジや現金非対応の店が増えたり、飲食店でスマホから注文しないといけなかったり、相談窓口は人ではなくAIが対応したり)が激変していることもあり、今の私にとっての「最近」は2年くらい(感染症の蔓延以前とは世の中が違うという認識)かもしれない。
ただ変わらないものもあって、この前帰省して姉や甥と喋っているとき、話題になったのは京都駅付近の家電量販店閉店のことだった。私はかつて住んでいた鎌倉の美容室に今も通っているのだけど、担当の方との話題もやはり、鎌倉の最近の閉店&開店または人気店のことが中心なのだった。
時の流れとお店の話は切っても切り離せないのだなぁ。

3.テレビの中の時間

漫画の話題とは違うけれど、テレビといえば、この前私が好きだった2時間サスペンスドラマの一つ、山村美紗原作「赤い霊柩車シリーズ」がファイナルを迎えると知り、姉に録画を頼んでおいて帰省した時に観たのだけど、出演者の方に時の流れを感じて、そして2時間ドラマを見る習慣や集中力が自分にはもうないことにも気付いて愕然とした。
時の流れといえば、朝ドラ(NHK連続ドラマ小説)を見ていると、わずか数日のことを数週間かけてじっくり放送する一方で、その後急に「それから数年後」と表示されて端折られる年月があって、その差が大き過ぎてちょっとついてゆけない時があるのだけれど、テレビドラマに限らず他人の人生は、その人と親しく関わっている時はゆっくり時間が流れるし身近なものだけど、疎遠になると早送りやスキップして進んだように見えるので、現実とそう違わないのかもしれない。

4.その頃の話題を思い出す

(右)先日近所の駅ビルで、村上春樹の6年ぶりの新刊が発売されるというポスターを見かけた。『1Q84』もだけれど、『海辺のカフカ』刊行時も大型書店で山積みにされて話題になったのを覚えているけど、ここ数作はわりあい静かな宣伝かもしれない。これは2009年(『1Q84』刊行年)に描いた4コマらしい。
(左)これは奈良の平城遷都のキャラクター「せんとくん」の発表当初のニュースに触れての漫画なので2008年ごろのものかも。この頃は将来(11年後)自分が「奈良」に住むとは想像もしていなかったのだから不思議なものだ。いつもかわり映えのしない毎日を送っているようで、人生の時間は確実に流れているし、思いがけない変化も時々起こるのだなぁ。

5.嘆いてもしょうがない

先日姉の苦労も聞いたところだけれど、知り合いの人からも聞く話として、20歳以上年下の人と一緒に仕事をするのは結構過酷なことらしい。指示を出すにも、やり方を教えるにも、何か注意するにも、今はとても難しい時代なのだそうだ。
私もそういえば、この漫画を描いていた頃と中身は変わらないはずなのに、知らぬ間に世間的にはもう自分は「古い時代の人」で、ものの見方や考え方も「今風」とはズレていることに気付かされることがある。
自分は同じ場所にいるのに、周囲の風景だけがどんどん過ぎ去ってゆく感じ。
そういえば、私はラムネ菓子が好きなのだけど、最近グミ勢力に売り場を取られて寂しいなと思っていたら、明治がガムの製造を中止したとかで、ああ時代は変わってゆくのだとしみじみ。

6.変わらぬものと変わる私。

先日数ヶ月ぶりの帰省で驚いたのは実家の最寄駅付近の人混みのすごさ。
海外の旅行客の方もずいぶん戻って来ているようで、近所の歯科医院にたどり着くまでの徒歩8分ほどの間に大汗をかいてしまった。
歯医者さんでクリーニングを終えて、そこからまた徒歩10分程度のところに両親が眠る(とも思っていないけど納骨した墓苑がある)小高い丘へ上り、また汗をかきながらお参りをして、そして人混みをさけて泉涌寺(戒光寺)と、その近くの甘味処(梅香堂)へ向かった。

右のパフェは、2007年に作った漫画の冊子で紹介したお店のもので、昔はショーケースのサンプルの方が実物より小さくて地味だったので「何でっ」といつも驚いていたのでこんな風に書いたのだけど、下にのせた「実物」のイラストよりも実際にはさらにボリューミーなのだったことに、今回写真を撮って気付いた。
最近は立派なショーケースやメニューボードなどが充実していてギャップは少なくなったけど、やはり目の前にすると「ひぇ〜」となります。

母が入院していた病院が近かったので2015年〜2016年のはじめ頃は特によく通ったけれど、もっと前には同級生の友人たちとそこで待ち合わせてピザをまず分け合って、その後パフェをそれぞれ頼んで食べたものだった。
久しぶりにその店を訪れて一人でパフェを頼んで、食べ終わる頃に「このお店には今後も来るだろうけれど、このパフェはこれが人生最後だな」と思った。

7.時は流れる

今回の帰省は、定期的な歯のクリーニングと、もう一つ、宝塚歌劇団宙組トップスター・真風涼帆さんの退団公演を姉と観に行くのが目的だった。

私が宝塚を観るようになったのは2016年ごろ友人から誘われて宙組公演を観たのがきっかけで、当時、真風さんは眩い二番手スターさんだった。

初観劇から数ヶ月後に闘病中だった母が他界して、その後、認知症の兆候が出てきた父と同居しながら介護をするようになって、気晴らしとエネルギーチャージのために宝塚大劇場に通うようになり、中でも宙組公演を観ることが多かった。

それから数年。父を見送り、自分も引っ越したりしてバタバタしているうちに足が遠のき、その後の感染症蔓延の影響で、たまに行こうとしても公演が中止になったりすることも増えて、自宅でライブ配信を見る程度になってしまったけれど、昨年、兄から仕事関係の貸切公演に誘われて久しぶりに観に行ったのが、トップスターとして5年半ほど活躍された真風さんにとって退団一つ前の作品(左写真)だった。
最初に観た時に二番手スターさんだった真風さんが、その後トップスターになられて、そこから5年以上経ったのか…あまりに早かったような、とてつもなく長かったような、自分の中の年月を思い返すと何やらじんわりこみ上げてくるものがある。

たまたま母の家族葬を行ったのが宝塚から車で10分ほどの一軒家で、お通夜の会場準備の待ち時間に父を含めてみんなで「花の道」のレストランでランチを食べたり大劇場のショップを見物したので、宝塚を訪れると必ずその日の思い出が蘇る。
けれど久しぶりに姉と大劇場を訪れて、7年前の春、お通夜の日に家族で写真を撮った大劇場前の可憐な桜の木が(病気の診断を受けて)伐採されているのを知った。
宝塚のスターさんは退団という形で去ってゆかれるけれど、宙組の歴史は今後も続くし、宝塚の大劇場での公演は今後も続く。
変わらぬものはないけれど続くものもあるのだなぁ。

8.離れても、何かどこかで繋がっている

今回、道中でほんの少しだけ、以前住んでいた奈良へも立ち寄った。
その日は水曜日で、以前よく買い物や食事に行っていたエリア(奈良きたまち)のお店はお休みのところが多かったけれど、お気に入りのお店「器人器人」さんに行けて気持ちが和んだ。よいお買い物(下画像)もできてよかった〜

その日奈良も観光客がとても多くて、奈良公園方面には寄らなかったので鹿には会えなかったけれど、前に住んでいた家の前を通って、その近くの店でほうじ茶を買って、細い通りから若草山を眺めるだけで、気持ちがストンと落ち着いた。奈良はやっぱり、空気が柔らかくて呼吸が楽になる気がする。
もう住人ではないけれど、この春から各所で配布されているガイドマップのデザインと一部イラストを担当させてもらって、今もほんのり繋がれているような気がするのです(この地図の中に、数年前は私の店も載せてもらっていました)。

最後に、今回のヘッダー画像は、3月に初めて訪れたある街の印象を柄にしたものでした。思い出を柄に閉じ込めると、その日歩いた散歩道の光景が写真より何となく記憶に残る気がします。
時は止めることができないけれど、一度でも会った人は懐かしく、一度でも訪れた場所はどこかしら愛おしい。思い出があればこれからもどうにか生きて行ける気がします。
どなた様もよい4月を。