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趣味と人生。

前から少しずつやっていた、趣味の「いろはマッチくじ」作り。いろは順で、途中の「つねならむ」の「ら」まで(23種)は作って店でも展示しているものの、その後の制作を中断したまま、気づけばいくつか季節が変わっていました。

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最近ようやく、続きの「む」から「ゑひもせす」までの残り分の表面デザインができて、全種類はこんな感じ。作者のお気に入りは猿と犬の「友達マッチ」と「天ぷらブランドマッチ」でしょうか。まぁ、別にどれも大して違いませんが。

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裏面は、駄菓子屋さんで売っている『点取り占い』風に、こんな感じでテキトーに。

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中のおみくじも、これを機に新たに作り直そうと思います。

それにしても、マッチラベルを47種類作ってどうなるのか。別に全種類制覇したからといって世の中的に何の役にも立たないし、そもそも誰も期待していない(現代社会ではマッチの需要そのものが少ないらしい)のに…

でも不思議なことに、最近になって「マッチくじをしたいんですけど…」というお客さんや、中には「素晴らしい!これは面白い!」と絶賛(そんな人に限って買ってはくれず 笑)する方がポツポツおられたりするので、植物に愛情を注ぐと葉の色が見違えるのと同じように、自分がちゃんと興味を持ってやっていたら、それはそれでマッチ側も、何かオーラを発散してくれるのかも…

こんな風に「いろはにほへと」がらみで何かを作るのがここ数年の趣味で、たまに粘土細工や編み物をしたり本を読んだり散歩したり、宝塚歌劇や競輪、野球観戦も好きではありますが、どれもこれもとことんのめり込むわけでもなく、大半の時間は家でボーッとしている。

子供の頃からクラブ活動も習い事も長続きせず、「青春」の記憶がほとんどなくて、バス停でずっとバスを待っていた思い出とか、部屋で漫画を読んだり描いたり、塾通いの記憶くらいしかない私。

高校の同級生で、学校にあまり来ていなくて、たまに姿を見かけても飄々としていて校内の出来事にほとんど関心がなさげで、「あの人、いつもどこで何してるんだろう。一体何を考えてるんだろう、まぁ、絶対仲良くならないだろうし一生謎だろうなぁ」と思っていた人がいたのですが…

どういうわけか今に至るまで付き合いが続いて、最近になって、その人が中学・高校時代に何をしていたかをようやく知ったのでした。

数年前、私は両親の介護をするために関東を離れて地元に戻り、途中からは実家で暮らして、介護と親関係の人付き合いと仕事で忙しすぎて参ってしまい、ある時関西の友人に誘われた宝塚歌劇での「現実逃避」体験を気に入り、『エリザベート』という海外ミュージカルの宝塚版を観て演目自体にもハマり、結果的に一人の男役スターさんの私設ファンクラブに入って「会」活動なるものをして、約1年半ほどの間、人生で初めて「のめり込む」経験をしました。姉と一緒にトップスターさん退団パレードのガード(お見送りのための場所取り)のお手伝いなどもして、私の人生史上、結構活発だったなと。

そんな中、姉と一緒に観劇しようと予定していた日に親が緊急入院することになり、急遽、平日に都合のつく高校時代からの友人にチケットを渡して行ってもらうことに。それがきっかけでその人とも宝塚を観に行くようになり、そのうち彼女が何気に「昔のトップさんはもっと長い期間やってたのに、今はすぐやめちゃうね」とか、「今のスターさんは本当に舞台の外でもリアルな男性みたい」など言うので、やけに「昔」に詳しいなと思ったら、中学生の頃、しょっちゅう観に来ていたとか。高校に入ってからは歌手の何とかさんを追いかけてツアーに行ったり、バレーボールのどこかのチームも追っかけて各地に行くようになって宝塚から離れちゃって…

だから遠征費用とかチケット代とか稼ぐためにバイトしてて、高校は本当に、出席日数ギリギリだったと思うわ〜

ですって。歌舞伎にもよく行っていたようで、とにかく色々詳しい。

私が中学高校とボーッとしていた間に、彼女はそんなに目まぐるしく動き回って好きなこと、人を追いかけて、現地で仲間を作っていたのだなぁ。「ヘェ〜」とは思ったのだけど、何だかこちらまで楽しい思い出を分けてもらったような気がして、ほっこりします。

最近、近所の方と漫画の貸し借りをするようになって、高校生の頃、縁のなかった少女漫画雑誌に連載されていた漫画(『エロイカより愛をこめて』)を思いがけず一気読みしたのですが、NATOがどうとかKGBが云々と言う話で衝撃的に面白くて、「うそっ、なんで私は今までこんなすごい漫画に気づかずにいたのか…」と、過去の自分の退屈な青春時代を不憫に思いました。

その漫画を読んだ時にも、宝塚の『エリザベート』をはじめて生で観た時にも同じように「なんで今まで敬遠していたのか。過去の自分を叱りつけたい、こんなに奥深くてオモロイ世界をスルーしてきたなんて!!」となったのですが、確かにぼーっとしていた時間は一見もったいないけれど、面白いものに後からでも気付けるって嬉しい。何かを面白いとか、誰かを素敵、好き!と思える感受性が自分にもあると気づけること自体が嬉しい。すべてにおいて「心が薄味」「出不精」の私には、感情が揺さぶられる何かとの出会いがあるたび、ああ今日まで生きててよかったと思えるのです。

そういえば、昨年の今頃引っ越してきたこの町を、しばらくの間、地味で何もないところで「困ったなぁ、買い物にも不便だし人も少ないし…」と思っていたところ、ひょんなことがきっかけで、「うそっ、こんなに素敵なところだったのか…」と衝撃を受けて、ガイドブックを自作してクラウドファンディングまでやってしまったのもそうなのですが、私は「見過ごしてしまっていたもの」の価値に「後になってから気づいてびっくりする」ということが、とても多いんです。出不精で人付き合いも苦手で、いつも自分の周囲数メートルしか見ないからそんなことばかりなんでしょうけど。

ただ、そんな私に、くだんの高校の同級生は「KUMちゃんって本当にいろいろ趣味あるなぁ〜。自分で新聞や本作ったりイベントに出たり、引っ越し繰り返したり、店はじめたり。なんでそんなにあれこれやってるの?」って目を丸くしているのです。私にとって彼女が謎だったように、他人から見たら私の人生はまた別の色彩を帯びているんでしょうか。

そんなことを思うのは、最近、「この地に越してきてお店をして、今何を思うか、どんな経緯だったかを中学生に向けて語ってほしい」という不思議なオファーをいただいたからかもしれません。

ある学校の社会科の先生からもたらされたそのお話は、「これからの【答えの見えない世界】をたくましく生きる力を身につけるため、地元で暮らす(あるいは活動をする)人との意見交流をする」というフィールドワークの一環で、40名ほどの生徒さんが何組かに分かれてうちの店を訪れるというもの。他にも様々なゲストティーチャーの方がおられるようで、私の話は番外編のようなものでしょうが、「正解のない、そして先行きの見えない時代」にあって、多様性を考察する上では私の生き方も何かの参考になるのかな…と。

具体的に何を話すかは未定ですが、教材代わりに自作の『ハニホ堂つうしん』と、お散歩ガイドブックを40名の生徒さんにお配りして、過去に4コマ漫画で参加した少子化について考察する冊子も使いつつ、何かしら伝えること(20〜30分ほどの時間を持たさねばならないとか…)ができればと思います。

きっと若い方は(かつて自分がそうだったように)地元には興味ないはずで、お地蔵さんがあろうが古い民家でお店をしている人がいようが「それが何?」「どうでもいいよ」って話でしょうし、それはむしろ自然なことですが、この先10年、15年と経過して、海外旅行や別の地域で暮らしてみたりして、それで何かの拍子にふと「ああ、あの時のあれは、こういうことだったのか」と、地元の魅力や良さを再発見する人も中にはいるのではないか、と…

繰り返しになりますが、自分の経験上、一目見てすぐに良さがわかるものより、いつもそこにあったのに意識していなくて、目立たず、取るに足らないと思っていたものの中にこそ、実は宝物がある、だけど人は時間差でしかそれに気づくことができないと私は信じているのです。

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最近お店には小学生のお客様が増えてきて、商売にはなりません(くじ引き一回10円なので)が、その中のお一人が、何度目かの訪問でくじ引きをしながら「ここは天国ですね」と仰ってて、私はその言葉を頂いただけで、自分の人生(くじ引きの商品は仕事で担当した雑貨のサンプルなので)を肯定できるような気がします。

人の評価を気にして生きていてもアテにならないというか、他人からどう思われようと、自分が納得したり楽しくなければどうにもならないわけなんですが、それでも自分で勝手に、意味など考えずにやっていることについて、誰かが見て「いいね」「面白いね」と言ってくれることは、とても救いになり希望にもなるんですね。店をしていて人と話したり関わるのがとても面倒に思うことが多いのですが、だけどその中で、他者の目を通して自分の中に潜在する「自分にとってのお宝」に気づくきっかけにもなるというか、やはり人は一人では暮らせても、一人で生きては行けないんだなぁと思うばかりです。

中学生ご一行のご来店は10月後半。それまでに、いろはマッチくじ47種類すべて揃えての展示も間に合うようにしたいです。少しでも店内に見るものがあった方が「間が持つ」かなと(笑)。

10/20追記

いろはマッチくじ47種類出来ました。

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