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「クララとお日さま」

AF=Artifical Friend

まず、このお話の中には食べ物がほぼ出てこない。
「お日さまの栄養」がとても大事なものに思えてくる。
ジョジーが元気になって、よかった。
クララはあくまでAFとして振る舞う。
ジョジーはクララを親友として付き合っているようだけれど
やはりクララのことをAFとして見ているように感じてしまう。

自己犠牲とは?

クララは自分の大切な溶液を差し出す。
クララを救うために。

一方、ジョジーは自分を思って『向上処置』を受けさせ、
(たぶんそのせいで)自分が病気がちになったことについて親を責めない。

そして親は『向上処置』を受けないと人生において成功するチャンスがない、と
リスクを認識しつつも子供に『向上処置』を受けさせる。

誰が誰のために?
自分のエゴなのでは?

何をもって「愛」なのか?

お話の最後で思ったこと。
クララはこうなって嫌だ、と思わないの?
役に立てた、と満足なの?
これからどうなるかという恐怖とか、悲しみはない?

そして
これが究極の愛の形なのではないか?と。

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