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1月の振り返り日記

「休みましょう」と言われた。
意識は朦朧としたまま、そうなのか。と思った。

「松永さんはもう、よく頑張りましたから」

そう言われた瞬間、じわりときた。
ようやく、理解できた。
わたしもう、休んでいいんだ…

2021年12月の終わりのことだった。
12月は半ばから、1週間ほど仕事に行けなくなった。
どうしても身体が動かなかった。
そして仕事に行けば、38度まで熱が上がっていた。

集中すると疲れる、熱が出る。
そういう日々だった。

頭の中を見る検査の結果も、思わしくなかった。
「悪いですね」と言われて、安堵すらした。
ふつうではない状況だったらしい。
ああ、わたしのせいじゃなかったんだ…

新型コロナウイルス、
感染したのは、8月の1日か2日。デルタ株が蔓延していた時期だった。
(なんの種類にかかっていたか、っていうのは実は自分でも知らない。教えてもらってないのか、検査してないのかもしらない)

季節をひとつめぐっても、
基本的に36度を越えないわたしの平熱を37度近くまで持ち上げ
そしてここにきて、38度まで熱を上げるだなんて。
いやもう、どうしていいかわからない。

というのは、主治医も同じだったらしい。
可能な限りすべての治療はしている。
あとはもう、休みましょう。と言われた。

どれくらいですか?と尋ねたら、2ヶ月と言われた。

「2ヶ月も休むだなんて」、そういう不安がなかったと言えば嘘だけど
9割近い気持ちが、安堵だった。
ああ、もういいんだ。
もう、頑張らなくて良いんだ。
わたし、休んでも良いんだ…

診断書、というのを始めて書いてもらった。
「2ヶ月休みます」と上司に伝えた。

年末休暇に入るまで残り数日の業務を詰め込むように片付けて、冬季休暇を明けても、わたしは仕事に行かなかった。

昨年、たんまりと無職を経験したからか、思ったより罪悪感が少ないばかりか、
「2ヶ月も休みなんだから、あれこれやってみよう」と手を動かしたりもした。

そして、1月の終りを迎えた。

休んで良かった、と思っている。
仕事をすることは、本当に苦しかった。
特に「集中すると疲れる、頭痛がする」なんて、言葉にするとまぬけな症状は、今でもわたしを苦しめている。

この身体で仕事に行っていた、ということは
仕事に行く以外の時間、日常生活を送ってnoteを更新して、
それ以外のすべてを諦めていた。そういうことだ。

誰かと会って話すことも、どこかへ行くことも

自分の欲望通りに動けば、仕事に行けなくなる。
とにかく大事に、休んで
その中で、「おいしい」の感覚も失って、花だけを愛でて
ああわたし、よく生きていたなあ…
いま、そう思っている。

「まだなんとかなる」と思っていた。
「仕事には行けていたし」と思っていた。実際にそうだった。
わたしだって、医者の診断書がなければ、休職という決断には至れなかった。

でも、もしね。

「まだなんとか仕事には行けている」っていうひとがいたら、
逃げたり、休んだりして欲しいな。
そう思って、この記事を書いている。
その匙加減って、難しいと思うけど。

なんとかなるからって、
なんとかすべきとか、したほうがいいとか、イコールしてそうではないと思えたんだよね。

休んで良かったよ、仕事。
すごくたくさん我慢して、傷ついていたことにわたしは、気づいてすらいなかったよ。
そしてそれは、わたしの無事を祈ってくれる大切な人に対して、すごく不誠実な行為だったよ。結果論だけど。

体調がよくなったか、っていうのはよくわからない。
たぶん、3月に復職しないとわからないと思う。

休んだからってすべての症状がきれいさっぱりよくなったわけじゃない。
いまでも痛い。ふつうじゃない。
でも仕事にエネルギーを奪われない分、動けている。気がする。
ようやくたくさん眠ったり食べたり、できるようになった気がする。

あと、ひとりで歩くことはできるようになった。
1月はとにかく歩いた。
帰ったあとは疲れるけど、それは健康な状態でもそうだし、頭を使うより身体を使うほうがダメージが少ないみたい。

そんなわたしが1月にしたこと。

・不燃ごみを捨てる
・粗大ごみを捨てる
・服を売りに行く
(散々捨ててたけど、売りに行ったことはなかった)
・プラネタリウムを見に行く
・会いたかった友達に会う
(ふたりに会えたこと、とてもうれしかったです)
・確定申告の準備をする
(今年は、会社以外から収入のある暮らしをしたい。という意気込み)
・手帳を向き合う
(病にかかってから、まったく開けていなかった)
・Googleカレンダーの行動メモの復帰
(昔やってたけど、何ヶ月かサボってた)

ごみ捨てに伴い、新しい生活用品を買ってみたり

今までは「だらだらとアニメを見る」っていうスタンスだったんだけど
「積極的に見たことのない作品を見る」「映画を見る」「いろんな音楽を聞く」に取り組んでいました。

そして、「買い物」「見たもの・聞いたもの」をまとめる記事を書くっていうのにも成功しました。

1月にやったことはぜんぶ、「いつかやろう」って思ってたこと。
部屋の隅のフライパン、捨てなきゃいけないのに見てみぬフリをしていた。
同居人が前の家か、前の前の家から持ってきた壊れた扇風機、ずっと置いてあった。
家から近いプラネタリウム、いつでも行けると思ってぜんぜん行ってなかった。
まとめの記事、そういえば去年からやりたかった。

病気になったことはものすごく不運だったし
親愛なるあなたが、友達が、この病には絶対にかかって欲しくはないけれど
たいせつなもの、の見え方が少し変わったことは、良いことだったような気がしています。

2021年に続き、月末にまとめの記事を書こうと意気込んでいましたが
そういえば、2021年のまとめ記事って、自分でそんなにたくさん読み返したりしなかったし
べつになんか、そうも気合い入れなくても
すなおなままでいいよ、と思えたのも収穫だったと思います。

例えばさ、誰かに貸すってわかってるノートならきれいに書くけど
べつにこれは、わたしのメモだから。

最後までお付き合いいただいてありがとうございます。
これは、1月に生み出した物語を生み出した人間の、ごくごくふつうの日記でした。

2月ものんびり過ごします。
生きていればいいことが、あることもあるよ。って
言えるような人生であればいいな、と思っています。

2022年1月31日 まつなが



※2021年12月の振り返り日記(ちょっと泣けた)

※2021年1月の振り返り日記
(1年前の文章はあんまり読みたくない、と思えるくらいは成長したのだろうか…)


※今日のBGM



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