今日と今日までのわたしと、これから
今日は、ごろごろと過ごした。
基本的に毎日ある程度の時間はごろごろしているわけだけど、今日はひどかった。
たぶん、ちょっと安心したんだと思う。
この無職期間に、「なにか見つける」と意気込みながらも、
自分なりの答えが見つからなかった日々に、ようやくひとつ
花が開いたような記事を、昨日書けたからだと思う。
(昨日の記事はこちら)
4月に入ってからいままで、休まずに更新し続けてきた。
5月になってからは、「ピアノと文字の記事を1本ずつ」という自分に課せたことも
きちんと、こなしてきた。
ひとつ結果を残せた、そんな気持ちになれたのだから、休むのはいまかもしれない。
そんな気がしたけれど、
何度も自分で言うように、「薪に火をつけるように、消えないように薪をくべるほうが容易い」という事実と、
少し前の自分よりも、ゆるやかな気持ちで「さあ、書くぞ」と思えたので
今日もこうして、パソコンの前に座っている。
ようは、臆病なのだ。
noteで日付をまたいで更新すると、連続更新日をお知らせして、褒めてくれる。
今日は、51日目の連続更新らしい。
これをもう一度、ゼロから積み上げる根性が、わたしにあるのだろうか。
もちろん、今日まで50日積んだことがゼロになるわけじゃない。
でもここで、一日休めばもう一日休んだって、と
甘えてくる自分の心を、叱咤激励する根性があるのか。
と思うと、まったく自信がない。
noteを更新し続けるにあたって、
ある程度、作業までのルーチン化をし、しばらくしたあと、それを打破し、アップデートしてここまできた。
(↑ルーチン化したはなし、↓それを打破したはなし)
この「ルーチン化」も、
現在、時間の制限のないわたしにとって、大きな後押しとなったわけだけれど
あとひとつ、積み上げてきたことが、今日のわたしを後押ししてくれている。
それは、「お皿を洗うような気軽さで、noteに取り組めるようになったこと」だ。
これは以前、ピアノ日記の更新にあたり、そんな心持ちで取り組めるようになった、とお話した内容であったけれど、
日々の取り組みのおかげで、いまは文章を書くことも、そんな気軽さで向き合えている。(そんなに気合いを入れなきゃできないような類のことを、毎日続ける根性はないので、心持ちのほうを進化させたのだと思う)
だから今日は、普段書かないような内容の記事を書いてみた。
まあどうせ明日も書くんだし、
これからもきっと、身を削り続けるんだから
たまにはちょっと、こういう日記染みたというか、わたしのパーソナルな部分というか
ちょっと違う方向に踏み込んでみてもいいんじゃないか。
「伝えること」に比重を置こうとしていた。
これからもそのつもりだ。
でも、そこへ向かう助走だったり
「伝えること」の幅を広げることへの手がかりだったり
「いつものわたし」が維持できなくて、ちょっと回り道や蛇足みたいなことがあっても、
「まあ、いっか」と笑える。
続けてゆく中で、これからはそんなしなやかさも、わたしの言葉に乗っていったらいいな。と思っている。
photo by amano yasuhiro
スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎