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今日と今日までのわたしと、これから

今日は、ごろごろと過ごした。

基本的に毎日ある程度の時間はごろごろしているわけだけど、今日はひどかった。
たぶん、ちょっと安心したんだと思う。
この無職期間に、「なにか見つける」と意気込みながらも、
自分なりの答えが見つからなかった日々に、ようやくひとつ
花が開いたような記事を、昨日書けたからだと思う。

(昨日の記事はこちら)


4月に入ってからいままで、休まずに更新し続けてきた。
5月になってからは、「ピアノと文字の記事を1本ずつ」という自分に課せたことも
きちんと、こなしてきた。

ひとつ結果を残せた、そんな気持ちになれたのだから、休むのはいまかもしれない。
そんな気がしたけれど、
何度も自分で言うように、「薪に火をつけるように、消えないように薪をくべるほうが容易い」という事実と、
少し前の自分よりも、ゆるやかな気持ちで「さあ、書くぞ」と思えたので
今日もこうして、パソコンの前に座っている。

ようは、臆病なのだ。

noteで日付をまたいで更新すると、連続更新日をお知らせして、褒めてくれる。
今日は、51日目の連続更新らしい。

スクリーンショット 2020-05-23 1.55.41

これをもう一度、ゼロから積み上げる根性が、わたしにあるのだろうか。
もちろん、今日まで50日積んだことがゼロになるわけじゃない。
でもここで、一日休めばもう一日休んだって、と
甘えてくる自分の心を、叱咤激励する根性があるのか。
と思うと、まったく自信がない。

noteを更新し続けるにあたって、
ある程度、作業までのルーチン化をし、しばらくしたあと、それを打破し、アップデートしてここまできた。

(↑ルーチン化したはなし、↓それを打破したはなし)

この「ルーチン化」も、
現在、時間の制限のないわたしにとって、大きな後押しとなったわけだけれど
あとひとつ、積み上げてきたことが、今日のわたしを後押ししてくれている。

それは、「お皿を洗うような気軽さで、noteに取り組めるようになったこと」だ。

これは以前、ピアノ日記の更新にあたり、そんな心持ちで取り組めるようになった、とお話した内容であったけれど、
日々の取り組みのおかげで、いまは文章を書くことも、そんな気軽さで向き合えている。(そんなに気合いを入れなきゃできないような類のことを、毎日続ける根性はないので、心持ちのほうを進化させたのだと思う)

だから今日は、普段書かないような内容の記事を書いてみた。


まあどうせ明日も書くんだし、
これからもきっと、身を削り続けるんだから
たまにはちょっと、こういう日記染みたというか、わたしのパーソナルな部分というか
ちょっと違う方向に踏み込んでみてもいいんじゃないか。

「伝えること」に比重を置こうとしていた。
これからもそのつもりだ。

でも、そこへ向かう助走だったり
「伝えること」の幅を広げることへの手がかりだったり
「いつものわたし」が維持できなくて、ちょっと回り道や蛇足みたいなことがあっても、


「まあ、いっか」と笑える。
続けてゆく中で、これからはそんなしなやかさも、わたしの言葉に乗っていったらいいな。と思っている。


photo by amano yasuhiro

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