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暗闇の反対側

まるで、奈落みたいだ。

栄えある何かなんて何もなくても、わたしはわたしの日常という名の、なんとなくそれなりの”舞台”を勇敢に歩いているつもりだった。
格好悪くても、勇ましさだけは忘れないように。

ふいに落ちた先は奈落で、
暗くて、誰もいなくて、いつまで経っても舞台に迫り上がることはなかった。

誰もいないんだから、当然だった。
スポットライトなんか用意されているわけもなく
わたしは、わたしだけの暗闇から、自力で這い上がるしかないのだと気づいていた。

あなたを思い出す回数が、不思議と増えていた。
なぜあなただったかと問われるとわからないけれど、もしかしたらLINEギフトでもらっていたコーヒーの存在を思い出したからかもしれない。
有効期限までもうすぐだったそれを引き換えて、「次はあなたとコーヒーを飲みたい」と思って数日経てば、仕事であなたの家の近くに行く任務を与えられた。

「突然の連絡で悪いけど」と送ったメッセージは既読になり、あなたは現れた。

むかしはもっと、愚痴とか、悩み相談とか、そういう果てのない話を夜な夜な繰り返していた気がするけれど、最近は近況を語り合う。
順調に「体の具合」の話が増えてきて、神妙に頷きあったり、不謹慎に笑い合う。

一生懸命に伝えようと話すあなたの顔が、好きだと思う。

あなたと話していると、妙に安心する。
十年も前から、ずっとそうだから不思議だ。

何度も転んだね。
苦しいこともたくさんあった。
どっちに行っていいか、わからないことも多かった。

どこへも行けない夜を、わたしたちは何度も乗り越えた。

まるで、奈落みたいだ。
暗くて、誰もいなくて、いつまで経っても舞台に迫り上がることはないと思っていた。
そしてわたしは、”奈落に落ちる前”の、勇ましい自分の記憶を、すっぽりと失っているような気分だった。だから、どこへも行けなかった。

いまは芝生、だと思っている。

最果ての苦しみのような奈落も、あなたと過ごしてきたたくさんの時間の、一部なのだと思えた。

広くて、空が青くて、転んでも笑って、ときどき唇を噛んで、
何度も、何度も転がった、あの芝生に
わたしはいま、膝をついているだけなのではないか。

あなたの一生懸命な顔を思い出して、そんなふうに思っている。

それだけでもう、充分だった。




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