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最終出勤から、1ヶ月経って思うこと。(おうちとわたし編)

最終出勤から、1ヶ月経って思うこと。
を書き終えたとき、そういえば言おうと思ってたことが、ごそっと抜けているなあ。
と気づいた。
ので、こちらは「おうちとわたし編」
「社会とわたし編」はこちら。


【同居人のこと】

同居人がいる。
腐れ縁的な人で、ここ何年か、一緒に住んだり辞めたり、を繰り返してきた。
もうダメだ、って100回くらい思った。
まだ一緒に住んでるから、腐れ縁にほかならないと思っている。

普段はお互い、土日を含めた週5日のシフト制なので
休みが被ることはほとんどなく
お互い夜遊びが好きで、だいたいどちらかが遅く帰ったりしていたので
こんなに、長時間・長期間を一緒に過ごしたことはなかった…
また、わたしがリモートワーク後の無職になるため、4月以降の同居人は、「家でひとりでのんびり過ごす」という時間が、ほとんど取れなくなってしまった(すまん…)

この期間について、思うところをいくつか書いてみたけど
基本的には、大きなケンカもなく(わたしがたまに勝手にイライラしていただけで)過ごせたことは、本当にありがたいと思っている。
今までで、ほとんど一生分のケンカをやりつくしておいてよかったね…


【働きに出る人と、無職のわたし】

この「緊急事態宣言」の最中、わたしたちの環境はまったく異なる方向へと進んでいった。
わたしは、リモートワーク後の解雇。
同居人は、米や水などを取り扱っているお店で働いているので、営業時間を短縮しながらも出勤。

働きに行ってくれて、すごく助かっている。
いまもだけど、特に4月中はすごくそう思っていた。
たくさんのお店が休業する中、
感染のリスクもあるのに、働いて、稼いできてくれている。
感謝しかない。

と、同時に4月中に感じていたのは
「この人は、毎日外に出ていいな」という気持ちだった。
これがすべてだったわけじゃない。
でも、「まったくなかった」と言えば、それは嘘だ。
確かに思っていた。
わたしは、同居人以外の人と、ほとんど顔を合わせない暮らしをしていた。

4月の終わり頃、最終出勤を終えてからのわたしは
うまく時間を使うこともできず、前を向くこともできず
リモートワーク中に習慣化した「カーテンと窓を開ける」を続けてはいたものの
「今日も同じ景色……」と絶望した日の朝のことを、今でもしっかり覚えている。

働きに行った同居人は、疲れて帰ってくる。
でもこの人は、わたしと違って外に出ている。仕事がある。
羨ましいと、有り難いが、すごく入り混じった環境だった。
そしてわたしは、疲れて帰ってくるこの人に、どう接していいか、わからなくなってしまった。

そんなとき、HIKAKINさんの動画に助けられました。(こちらの動画です)

「店員さんにやさしくしよう」という趣旨だったんだけど
「HIKAKINなんでこんなこと言うんだろう」と思ってみていたら、
彼は、東日本大震災のとき、スーパーの店員だったということだった。
すごく、説得力があった。

「HIKAKINがこんなこと言ってたよ〜」と同居人に話したら、
仕事の苦労話やビックリ話を少し聞かせてくれて、彼がどんなことに苦しんでいるのかがわかって
いままでの「ずるい」という気持ちが、すっと引っ込んでいった。


【家事とわたし】

もともと、うちの家事分担は「料理とそれに関する買い出しは同居人」「それ以外の家事と、それに関する買い出しはわたし」という感じ。

家にいるわたしは、掃除や洗濯、ゴミ出しの準備が任務になるわけだけど
最終出勤を終え、時間を持て余すようになってからは、なんだか体調も悪く、全然しっかり取り組めなかった。

基本的には「同居人が帰ってくる夜20時くらいまでには全部すませたい」と思っているわけだけど、
なかなかうまくいかない日々が続いた。
できなかった自分に罪悪感を感じる日々だった。

そう、とにかく時間を持て余していたんだと思う。
だいたい、昼寝か、どうぶつの森か、どちらかだったかもしれない。
そして怠惰を繰り返すと、家事も面倒になってしまう。
なんだか、具合も悪いような気がしてきてしまう。
そして、何もしない自分に自己嫌悪。
を、繰り返す。

そしてその状況に耐えられなくなった。
同居人は決してわたしを責めない。絶対に「なんで掃除しとかなかったんだ?」なんて言わない。
大丈夫だよ、と言ってくれる。
でも、わたしはきちんと、自分を許せなくなった。
怠惰に溺れる、したたかさがなかった。
わたしは、臆病だったのだ。

「なんにもできなくてごめんね」
責められなくても、わたしはそう思ってしまう。
そっちのほうが疲れちゃうし
こんなにも毎日、苦しい状況の中でも仕事に行ってくれているひとに、家でくらいはのんびりして欲しい、とも思えた。
わざわざ、同居人のいる時間に家事をすることはないのだ。
家事をするときにはいると邪魔だし、
お互いに気を使ったり使われたりするのは、やっぱり面倒だった。

いまでは「起きてラジオ体操をしたあと、着替えて、煙草を1本吸って家事をはじめる」ということをルールにした。
面倒と思う日もあるけど、起きたのに無駄に二度寝をしてしまったり、寝起きのぼやぼやしている頭で、何かを考えなくて良くなったので、飽きるまで続けてみようと思っている。


【今日もわたしは休まない】

無職も失業保険も経験した同居人は、
「家にいるだけってのも、しんどいよな〜」と理解してくれたのは、非常に有り難かった。
「おまえだって、疲れたって言っていいんだよ」と言われたことに救われた。

noteの更新についても、
「今日は休んでいいんじゃない?」何度も気遣ってくれた。

これだけは甘えない、
noteの毎日更新は、わたしの砦だ。と思って踏ん張ってきた。
これについては、「言うことを聞かなくてよかった」と思っている。

言うことを聞かずに頑張れたのは、
note更新を頑張るわたしの傍らで、
同居人はゲーム実況を始めた、というのが大きい。
夜はお互いの作業時間となり、
「あいつもやってるからこっちも」みたいな気持ちが、お互いにあった。

彼が、ゲーム実況ド素人から、「日常的にゲーム実況をやる人」にジョブチェンジした物語については、また別途お話したいと思う。


【終わりに】

いままで、いろいろ考えてきたことをお話してきましたが
今日は、「家の中で実際わたしが、どんな風に過ごしてきたか」ということを記事にしました。
家事を頑張れたのは「夜20時に毎日家に帰ってくる人」がいたからだし、
noteも途中で折れなかったのは「働いているコイツがゲーム実況を頑張っているのに、わたし何もしないのかっこわるい」と思えたからです。
無職だけど、なんとなく人と話せて、毎日くだらないことで笑えるので、なかなか良い暮らしができていてありがたいなあと思います。

あんまり、日常そのものを書くことに注力した記事って書いたことがなかったから、
なんか堅い文章になってしまっている気もする…
何度読んでも直せなかったので、もうこれはひとつの経験として、そのまま掲載することにしました。

noteを始めてから
はじめて、書いた日と異なる日に投稿をします。

この内容ってわたしのnoteにいるのかな、伝えたいことはあるのかな
何度も思ってみたけれど
わたしのメモ帳に埋もれてしまうよりは、一度掲載したほうがいいな、て思えたのでそのまま掲載してみます。

すべてのわたしの記事は、
この日常を基盤に生まれました。

そのことをたぶん、伝えてみたかったんだと思う。


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