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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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2021年3月の記事一覧

指輪を買ったわたしは、ドトールの空気に飲まれてゆく

買い物に行こう、と言われた。 仕事帰りの出来事で、わたしは「いいよ」と告げて指定された駅に向かった。 取り立てて欲しいものがあったわけでも、買いに行かなければと思っていたものもなかった。 そんなこともよりも、「一緒に新しい何かを見て、ワクワクしよう!」という友達の言葉のほうが、よっぽどすこやかで、価値があることだった。 買い物が好きだと思う。 同じくらい、ひとりで出歩くのも好きだと思う。 でもきっとそれ以上に、“あなたとの”買い物が好きだと思う。わたしが、何を買わなくても

桜の埋葬

気づいたときには、割れていた。 瞬間、驚いたけれど、割ったのはわたしではない。 割れたまま、そこに置かれていた。 友達の部屋での出来事だった。 晩ごはんをご馳走してもらったお礼に、お皿を洗おうとした、そのときだった。 シンクの隅に、静かに佇んでいたのはお気に入りの平皿だった。 彼女にとっても、わたしにとっても。 このお皿に出会ったときのことを、いまでも覚えている。 「買っちゃった」と言った彼女は、笑顔だった。 絶妙な大きさの、青い陶器のお皿で、わたしもすぐに気に入った。

ことばにひそむ

「あの、愚痴になっちゃうかもしれないんですけど」 わたしは確かにそう、前置きしたと思う。 会社のお昼休み。 休憩スペースで、わたしたちはふたり。 他の人はみんな、お昼に行ったり、会議だったりで、オフィスには誰もいなかった。 休憩時間は不可侵、だと基本的には思っている。 だから、基本的にはそんなに話しかけたりしないのだけれど、今日はなんだか、それが許されるような、そんな瞬間はふいに訪れた。 わたしは尋ねられた質問にいくつか答えたあと、前置きをして語りだした。 最近、こんな

川辺の聖剣

憧れているなら、やってみよう。 わたしは思い立って「小さいわりに荷物がたくさん入るカバン」を手に取った。 タンブラーに詰めたあたたかいお茶、ハンカチ、文庫本、リップクリーム、イヤフォン、煙草とライター、チョコレート菓子 落下させるように、放り込んでゆく。 最後に、スマートフォンをカバンの外側のポケットへ。 誰に会うわけでもないけれど、 わたしのために、いちごのピアスをして(友達が作ってくれたお気に入り。春の匂いがする) いつもの指輪と腕時計。 冬物の分厚いカーディガンを

本屋でハンカチを買って、ハンバーガーを食べよう

そうだ、各駅停車に乗ろう。 思い立ったら、やってみよう。 すぐにできちゃうことなら、なおさら 心が呼んでいるなら、そちらへ 「同じ料金を払って新幹線に乗るなら、断然"こだま"がいい」と言っていたのは、従兄だ。 わたしは、このセリフを忘れない。 静岡へ帰るために新幹線に乗るなら、各駅に停まる”こだま”か、停車駅の少ない”ひかり”を選べるわけだけど、「こだまに乗って、350ml缶のビールを飲むのがいい」と言っていたそのすこやかさを、今でも宝物のように抱えている。 毎日の電

バンドマンの彼女にはなれない

事実はタイトルと相反していて、わたしはバンドマンの彼女だった。 もう、10年近く前のことになる。 大学に入って軽音部に入ったわたしは、バンドに憧れていたのだと思う。 音楽に惹かれていた、というほうが正しかったかもしれない。 ピアノのレッスンに通っていたわたしから、脱したかった。 嫌いだったのはレッスンだけで、先生も、音楽教室の存在そのものも、わたしは好きだった。 おそるおそる、軽音部の新歓ライブに潜入して、その後すぐ入部を決めた。 初めてライブハウスに行ったのもその頃で、

「車は、横には進まないから」

コンビニまで、あと10メートル。 大きなトラックが、わたしの横をすうっと通り抜けて、コンビニの前に停まった。 わたしは、車の免許を持っていない。 この車はどうしたいのかな、どうすれば邪魔にならずにいられるか、わからないままのおとなだ。 だから、いまでも大切にしていることがある。 わたしはこのことを、いまでも時折思い出す。 * 高校生のとき、夏休みだけガソリンスタンドでアルバイトをしていた。 校則では、アルバイト禁止だった。 わたしは生徒会長で比較的顔も知られているほ

或る昼下がり

今日のお昼ごはんは、芝生の上で食べよう。 そう思って、布団を蹴り飛ばした。 休みの日の、まだ午前中の出来事だった。 ささいなこと、を目標にしてもいいんじゃないか。と思っている。 明日はお気に入りのピアスをつけよう、とか 日課を終えたらクッキーを食べよう、とか。 今日は、芝生まで歩こうと思った。 歩いて先で、何が起こらなくてもいいと、最初から決めていた。 コンビニで好きなものを買って、食べよう。 それだけでいい。 いま思い描いたその景色を、叶えに行こう。 広い芝生があるそ

ねえ、わたしもおっちゃんみたいに、なれたかなあ

大学1年生から、お便りをもらった。 stand.fmで気ままなおしゃべりを始めて、120日を過ぎたときの出来事だった。 わたしは友達の家からの帰り道で、この手紙を読んだ。 何度も、何度も読んだ。 勉強が嫌いだけど一生懸命頑張って、第一志望の大学に入ったけれど、まだ1度もキャンパスに足を踏み入れていない。受け入れなくてはいけないと理解しているけれど、この1年間を無駄に過ごしてしまったような気がして、不安で苦しい。 そして、「身近に話せる人がいないので、まつながさんを頼ってし

洗うべきお皿

せっかく来たから、 なんて心の中で言い訳をしなくても、わたしは決めていた。 ※ どこかで時間を潰すくらいなら、と思ってこの部屋に立ち寄った。 「部屋で仕事をしているよ」と言われて、安心して電車に乗り込む。 「いつでも来ていいよ」という言葉は長いこと有言実行されていて、わたしはいつでもこの部屋を訪れることを許してもらっている。 彼女は宣言通り、パソコンに向かっていた。 わたしは「せっかく来たから」なんていう前置きを一応しながら、ゴム手袋に手を伸ばす。 その前に、洗い終わっ

名前を知らないあなたへ

匿名メッセージ機能のマシュマロから、メッセージをいただきました。回答が長くなりそうなので、お手紙形式でお答えしたいと思います。 ※いただいたマシュマロ 名前を知らないあなたへ もし、あなたの名前を知っていたらごめんなさい。 いつも、気にかけてくださってありがとうございます。 余計なお世話!だなんて、とんでもない。 お時間を割いてメッセージをいただいたこと、心から嬉しく思っています。 だって、あなたが言ってくれるまで、「過去を振り返っているよう」だなんて、気づかなかっ

ハンムラビ法典は滅んでいる

わたしは、その夜のことを反省している。 少し、嫌なことがあった。 いや、”結構”嫌なことがあった。 起こったことは些細な出来事だった。 でも、その言葉が発せられたことで、わたしが丹念に積み上げてきたものを、壊されたような気持ちになった。 わかっている。 起こったことは、些細な出来事だ。 他人に話したら「そんなことで?」と言われてしまうような内容だと、自覚している。 わたしは、問題を切り離し、冷静に対処しようと思考する。 「問題を切り離して考えなきゃ」というのは、前職の

松永って、誰ですか?

帰りたいな、と思う。 帰り道に、思う。 静岡に、帰りたいな、と。 ときどき、思う。 恋い焦がれるような、そういう感覚とは違う。 ほんとうに、ごくごくうすぼんやりとした気持ちだ。 最近、帰っていないなあ、と思う。 こんなご時世だから、というのもあるけれど そもそもわたしは、生まれ育った街には、ほとんど帰らない。 お盆とか、年末年始に帰る習慣もなかった。 1年以上帰らないことだって、今まで少なくなかった。 最後に、母親の顔を見たのはいつだろう。 どれだけ静岡に帰ることが少

人間だって、再起動が必要だ

(そろそろ、限界だな…) その瞬間は、定期的に訪れる。 忘れた頃に、必ず来る。 わたしは意を決して、いつものアプリを立ち上げた。 * iMacを、もう10年くらい使っている。 先代のMacBook(白いカーボンのやつ)は、ずいぶんをぞんざいに扱っていた。 あんなに長時間、膝の上に乗せて使ってはいけなかった。 電池パックはぷっくりと膨らんで、最終的には起動しなくなった。と記憶している。 この先も、母艦となるようなデスクトップ型のパソコンを買おう。 そんな願いでiMac