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効果的な「罰」の使い方

本日もどこで役立つのか分からない記事を一つ。

効果的な「罰」の使い方について解説します。

そもそも、罰について調べたきっかけはというと、「先生」という職業に就いたことに由来します。

「先生」と「子ども」という関係性になると、様々な局面で「いいの?」「わるいの?」という判断を求められるのですよね。

クラスの中で悪ふざけが起きた瞬間、子どもたちが一斉に僕の方を見るのです。

これは、クラスの子どもたちが、「先生、今のこの状態はセーフですか?それともアウト?」と判断を求めている分かりやすい状況。

このように、世の中にはルールを握ってしまう人がいて、その人のルールにほどよく従って生きている人がいるのでしょう。

ちなみに、学校あるあるの「宿題」についてこんな記事も書いていました。

個人的に「宿題」の効果をあまり信じていないこともあり、忘れてきたとしても「罰」は発生しません。

そんな僕の判断を「甘い」と思う子どもたちがいる一方で、「神」と崇め奉ってくれる子どももいるのです。

これは、あまりよろしくない使い方ですが、「罰があるぞ…」と警戒している心の逆を突くことにより、なんだか感謝されてしまうという使い方

さらに、罰の使い方について紹介します。

▼「罰」を使っていいとき・わるいとき

最初にお断りしておきますが、基本的に「罰」は使わない方がよいということだけは覚えておきましょう。

大人はそれなりの経験値から表面的に取り繕う力に長けていますが、対子どもだと分かりやすい。

こちらにどれだけの思いや意図があったとしても、相手にとってみたら罰は罰。

よっぽど相手に「しゃーない。」という気持ちがない限り、罰を与えるこちら側が思っているほどの反省の気持ちはわいてこないかもしれません。

特に気を付けなければならないのは、「恥の感情を使わない」ということ。

「相手が罰を与えられても仕方がない」と思っているのであれば、反省の機会にもなるでしょう。

しかし、恥の感情を喚起するようなやり方、「こんな点数で、恥ずかしいと思わないの。」みたいな使い方ですね。

これは、ともすると人間性の否定になったり、「能力がない」という自己否定につながってしまったりする危険性があります。

「宿題をさぼったからゲームの時間に宿題をすること」という「罰」の与え方は、「さぼったこと」の否定ですから能力否定にはなっていません。

そこのところ、使い方に注意です。

さて、ここからが本題。

なかなか使うタイミングが難しい「罰」ですが、ここぞ!というときにバシッと使うことで、メリットを獲得することができるのです。

そのタイミングとは、ずばり!

「個人的すぎない不公平」

なのです。

例えば、何かしらの行列に並んでいたとしましょう。

まだまだ先は長い…と思っていた時、列の前の方で横入りをしている人を発見。

きっと、並んでいる人たちの心の中は穏やかではないでしょう。

そんな気持ちを代弁するがごとく、「ちょっと、みんな並んでいるんだから、一番後ろに並んでくださいよ!」と言った人がいたらどうですか?

そりゃ、「よく言った!」の大合唱ですよね。

人間は、基本的に「不公平感を許せない」という気持ちをもっています。

しかし、「不公平感を指摘するのはちょっと…」という弱気な心も併せて持ち合わせているのです。

だからこそ、「言いにくいけれど、不公平感を解消してくれた」という罰し方は、ヒーローとして崇め奉られる可能性を秘めている。

そんなヒーローになれるかもしれない「罰」の使い方ですが、間違えるとヒールになってしまうことがあるから注意。

良かれと思った「罰」が裏目に出てしまう場合は、

「完全に個人的な仕返しで罰を使った場合」

です。

これは、絶対にやってはいけません。

分かりますよ。

人間には「不公平感を放ってほけない!」というプチ正義感が誰しも心の中に存在していますから。

しかし、「個人的に受けた不公平感を罰によって解消する行為」に対しての周囲の評価は、「復讐」として受け止められてしまうことが分かっています。

いくら正当な理由があったとしても、周囲からしてみたら「あの人って、結構根に持つタイプなんだね。」という評価として返ってくるかもしれません。

▼まとめ

本記事では、「『罰』の効果的な使い方」についてまとめました。

何かの役に立つことを心から願っています。



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