殺人者として育った子供(ある子供の話)

「あんたが殺した」
まだ2歳と少しの子供が
母親から言われた言葉。

母親は第二子を身ごもった。
子供は兄弟ができると喜んだ。
感覚的に妹であると感じていた。

ある日母親は入院した。

2歳の子供は父親に
洗濯機の使い方を教えたり
服のしまう場所などを教えた。

お見舞いに行ったのかは
覚えているない。

退院し家に戻った母親は
子供に兄弟が死んだと告げた。

そして、
「あんたが言うことを聞かない。
 ロクでもない子供だから。
 あんたみたいな
 手のかかる子がいるから
 下の子は産まれてくるのを
 諦めなきゃいけなかったんだ。」

子供は母親に甘えたのが
死んだ原因だと思った。
苦しかった。

〜ワタシガワルイコダッタカラ〜

「あんたのせいで死んだんだ。
 あんたが殺したんだよ。」

子供は泣きながら
「ごめんなさい」
とだけ言い、泣いた。

〜ワタシガイモウトヲコロシタ〜

その後もずっと自分を
『人殺し』だと悔やんだ。

子供は母親に触れることが
悪いことだと思った。
ワタシが良い子にしていれば
妹は生まれてこれたのに…

子供はずっと自分を『人殺し』
としての罪悪感を背負う。

小学生になった子供は
祖母にお小遣いをもらい
1人で寺へ行き
産まれて来れなかった妹の
供養をしてもらった。
心は晴れなかった。


子供は更に成長した。
妊娠について知る。
〜ナニカガチガウ〜


ある時、
母親から流産の事を聞いた。
まるで何も知らないかの様に
話していた。
「あんたは一人っ子じゃなかった
 あんたが小さい頃に
 妊娠したけど体調が悪く
 流産したんだよ」

怒りが湧いた。
十数年間自分を人殺しだと教えられ
誰にも言えず苦しんだ。
怒鳴り散らされても
殴られても
倉庫に閉じ込められても
声も出さず
泣きもせず
ワタシが悪い子だから
人殺しだから
と生きていたのに…

追記
2歳頃の子供は手がかかる。
イヤイヤ期ピーク。
大人から見れば
何もわかっていない
記憶なんてないだろうと
決め付けていたのだと思う。

その子供は
1歳の頃からの記憶がある。
もちろん断片的なものだが。

変わった子供だったのかもしれない。

その後の子供の話はまた…

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