寄付はカジュアルであるべき〜車内傷害事件を受けて〜

※8/27 少しだけ更新しました。


はじめに

先日、このような痛ましい事件が起きました。

まずは、被害者の皆様の怪我のご回復、そしてメンタルの回復を願っております。9人もの被害者が出てしまい、一歩間違えば殺人事件となった重大事件です。

フェミニストを中心にデマが流れ続けていますが、死者は出ていません。殺人事件と称するのは悪質なデマです。フェミニストの方は何人か死者が出たと言っていますが、もっとちゃんと事件に向き合ってください。上野先生のような立場のある方ですらこの認識、強い怒りを覚えます。

また、小田急様も事件の被害者です。フェミニストの方で、こちらの方のように事件が起きたことの責任を小田急様に求める人がいます。これはセカンドレイプです。不当な加害行為はやめてくださいましてや密を作る集会など言語道断です。今どんな状況かわかっていますか?

この事件に関しまして、犯人の供述や、一人の女性が重症ということでこれはフェミサイドである、という言説がございます。

私個人としては、これは定義的には当てはまると思っております。しかし、それを事件の当事者でも無い第三者が議論することにあまり意味が無い、というのが私の考えです。この事件が起こる背景には、単純なジェンダー問題だけでは無く、その他の社会的な背景も含まれており、今議論しても解決には向かわないと思います。なので、当記事での深い言及は控えさせて頂きます。

では、今私たちに何ができるでしょうか?

それは、被害者の方へのケアではないでしょうか。

被害者の方のために

ケアのために必要なもの…。

素人考えですが、やっぱりお金だろうな、と思いました。

そんな風に思っていると、このようなツイートがありました。

被害者のケアのための寄付のシステム、確かにほしいですね。私も探したところ、すぐにそのようなシステムがあるとのツイートがジェンダー問題について深いnoteを書かれていらっしゃる、神崎ゆき氏よりございました。

社団法人である機関です。信頼のおける機関と言っていいでしょう。私も早速、寄付しました。

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ささやかな額で、微力ながらです。しかし、このように実際に目に見える形で行動する事に意義があると思います。願わくば少しでも、被害者の方のケアに役立てることを。

神崎さんは、この後も寄付を呼びかけております。

この呼びかけや、その他親しい人同士のネットワークで、寄付者は今も増えており、団体様の発表によりますと700人以上もの寄付者がいらっしゃったようです。

こういう事実がありました、と後々まで記録が残ることで、今後同じことが起きてしまった場合でも寄付に繋げられる可能性があるのでは、と思います。

それにしても、すごい人数ですね。改めて、Twitterの拡散力とみなさんの優しさ・問題意識の高さを感じます。ジェンダー界隈では、主にアンチフェミニストと呼ばれる方の割合が多いように感じます。誰であろうと寄付に貴賎は無いのでそこは本筋ではありません。これだけの人数の方が、目に見える形で支援をした、この事実が重要です。

ところで、フェミサイドであると述べられている方はいわゆるフェミニストの方が多いように感じます。そちらの方が寄付をしたという報告は私の知る範囲ではあまり聞きません。何人かの著名なフェミニストの方が寄付をしたというツイートをなさってはいるので、無いというわけでは無いと思うのですが、寄付よりも以下のムーブメントがフェミニストの中で大きな物になっております。

犯罪に対して犯罪で対抗してはいけない

このように、駅構内にポストイットに文字を記して貼り付けよう、というムーブメントを呼びかけている方がいます。フェミニストの方の間では、こちらを支持する流れが一般的です。韓国やアメリカではよく知られた抗議の手法の一つだとのことです。

しかし、これは軽犯罪法違反になり得ます。絶対にやめてください。

駅のサイトでも、このように明記されております。都の条例のPDFのリンクもあります。

正確に言うと許可を得ていればOKです。しかし、実際にお問合せをなさった方はこのような許可は出していない、との回答を頂いているそうです。

諸外国の事情はわかりませんが、ここは日本です。日本においては条例に抵触しますし、何よりただでさえ今定常外業務に追われているであろう駅員の方々に迷惑がかかります。無許可で行うのは絶対にやめましょう。

違います。元の犯罪が許せないからこそ、このようなことを止めてほしいと思っているだけです。犯罪に犯罪で対抗しても何の説得力もありません。むしろ、血を吐きながら続ける悲しいマラソンが繰り返されるだけです。悪質な犯罪だからこそ、正当に抗議しなければいけませんし、犯人は法で裁かれるべきです。

主義主張が正しければ、こんなことしなくたって世間には響きます。一例として、犯罪では無いですが、令和納豆裁判において勝訴した方は、令和納豆の失礼極まりない行為に対しても決して声を荒げず、最後まで誠実に向き合いました。その結果、多くの方の支持を受け裁判に関わるクラファンも成功しました。世間の皆様はちゃんと見ています。誠実に向き合えば応援してくれます。

同じポストイットでも、このように誰にも迷惑をかけずに声を上げるのは素晴らしいと思います。このようなムーブメントは、是非浸透してほしいですね。

寄付に対する批判

話を寄付に戻しましょう。

直接問題に関われないものの、ある問題について解決する手助けをしたい。そんな方のための選択肢が、寄付となります。

今回の寄付に関して言えば、当然ながら犯罪では無く、主義主張をアピールするよりもダイレクトに被害者の方に届くと私は考えております。

しかし、一部批判が起こっております。

例えばこういったものですね。

それと、私個人もこのような批判を受けました。

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※ツイート削除につき魚拓引用

確かに、当てつけや承認欲求満たしに見える可能性はあります。また、寄付のムーブメントが広がることで連帯意識が生まれ、寄付をしてない人は良くない人と言われてるように感じてしまう、という意見も見ました。

まず前者の、当てつけ・承認欲求について意見を述べます。

それの何が悪いのでしょうか?

そもそも悪意があるとは思えないしそれは見た方の主観でしかありません。だから、悪意があると言われればその方の中では悪意だし、そんな事ないと言えばそんなことはありません。私が言われた承認欲求満たしについては、そこを完全に否定しませんし、軽犯罪法に抵触する可能性があるポストイット行為の拡散に対する抗議の意味も強いです。しかし、一番は被害者の方へのケアです。とはいえ、見る方によってはそう見えないのは当然でしょう。それは主観でしかないのですから。そういった人によって感じ方が変わるところを論ずるのは答えが出ませんし、ナンセンスです。だから、結果としてどうなるか、そこが大事ではないでしょうか?

結果として、私も他の多くの方も被害者の方々のケアのために寄付をしました。

もちろん、寄付をしてるから偉いわけではありません。ただ、2ch初期からやらない善よりする偽善という有名な言葉があります。まさにその通りです。動機がなんであれ、寄付の結果として人が救われることで、誰が損するのでしょうか?私からすれば、寄付を高尚な物にしたり、寄付者を叩いたりして寄付そのものが減る方がよっぽど社会悪だと思います。

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※ツイート削除につき魚拓引用

先程の@Dognave氏に対して私が反論した際の彼の返答です。このような寄付に対するスタンスの押し付け(と言うより勝手な言いがかり)、萎縮させるような物言い、挙げ句の果てには言い返せなくなった結果の何一つ根拠の無い名誉毀損…。このような身勝手な行いで、見てる方が寄付を躊躇し救われるべき方々が減ったら責任が取れますか?

ちなみに彼は後日、noteにて私への誹謗中傷を繰り広げていました(現在削除済み)。意見は自由ですがこれはいけません。いくら私の考えが気に入らないからと言ってそのようなことをしては、反感を買うだけです。その程度のことすら気づけないレベルの方が、寄付を無駄に高尚な物にしているんでしょうね。お察しです。

しかし、彼が悪人かというと決してそうではありません。このように、献血をなさっています。本人曰く定期的に行っているとのこと。私は海外渡航が多く、献血したくても中々出来ないのでこの行いは尊敬に値します。自分にできない形で社会に貢献している方のことは応援したいです。

タイトル通り、寄付はカジュアルであるべきです。もっと気軽に出来る社会になれば、結果として人が救われるわけですから。緩いクラブ活動並みのエンジョイ感覚で行う行為であるのが理想だと考えております。別にパチンコで買って気分がいいから入れるわ!でいいじゃないですか。コンビニで買い物してお釣りが面倒だから募金箱に突っ込むでも立派だと思います。よく話題になる献血も、コラボ目当てで献血する方がいると聞きます。かなりカジュアルな動機ですね。別にいいじゃないですか。その行為が誰に迷惑をかけるのですか?こんな風に、寄付活動もどんどんカジュアルになっていけば、日本国内だけでなく世界中の皆様が救われるきっかけになると思います。

数年前に一大ムーブメントになった、アイスバケツチャレンジです。これはまさに、カジュアルな寄付、の典型例ではないでしょうか。指名制という人に強制するという点についてはあまり賛同できなかったのですが、すごくいいムーブメントだったと思います。ALSの周知以外にも、誰でも楽しく寄付していいんだよ、というメッセージも込められていたと思います。実際、このムーブメントによってこれではないけど寄付活動に興味が湧いてきた、という事例も聞いたことがあります。そんな感じで、活動が広まればより関心が広がります。そうすれば、寄付そのものが習慣として根づくきっかけにもなり、救われる方々が増えます。

次は後者の、「寄付をしない人が良くない人だと言われてるように感じる」ですが、次の項で意見を述べます。

寄付は決してお金ではない

この意見についてはすごく良く分かります。確かに、自分だけやってない、ってなんか後ろめたいですよね。優しい方ほどそう感じてしまうと思います。そういう風に感じられる方って、周りがよく見えていて、他人に寄り添うことができる素晴らしい方だと思うし、尊敬します。

先に言ってしまうと、寄付は自由意志であり何人たりとも他人に強制できません。だから、決して寄付していない=いけないことではないのです。気にしなくていいよ!と伝えたいですが、そのように感じてしまう方はすごく優しい心の持ち主であり、だからこそ中々割り切れないと思います。

そこで、考え方を変えてみる、ということを提案します。

寄付ってお金だけじゃないよね、と。

散々お金の話をしていていきなり何言ってんだ、と思われそうですが、寄付の本質って、気持ちを伝えることだと思います。その気持ちを分かりやすく伝える手段として、お金を渡すという行為が付随する。だから、たとえお金だとしても額じゃないんです。額面はあくまで自己満足でしかない。出来る範囲でやればいいと思います。先に述べたカジュアルな寄付の考え方です。だから、お金を出さない寄付だって立派な寄付です。

このように額面を笑ってくるような人は100%煽りたいだけですし、そもそもこういうこと言う人は単に煽りたいだけで実際は寄付どころか、問題について向き合ってすらいません。相手にしちゃダメですよ。ここまでこのnoteを読んでくださってるあなたの方が立派です。

では、お金を伴わない寄付ってなんでしょうか?

例えば、今回の事件なら、こういう事件があったということを覚えておくといった、事件について深く知ろうとする姿勢、これも寄付だと思います。また、神崎さんが紹介してくださった社団法人のことも覚えておき、今回はしなかったけど今後もし何か起きてしまった場合、こういう団体があったな、よし今度は寄付しよう、と信頼できる団体のことを覚えておくもいいことです。ある事柄について、こういう問題があると覚えておく、というだけでも被害者に寄り添う行為であり、立派な寄付です。だから、良くない人だと言われてるように感じる、という方、あなたもまたこの問題をちゃんと考えている、立派な寄付者です。胸を張ってください。

こう書いていくと、今回の事件で言えば実はフェミニストの方々もあまりお金を出しているように見えないものの、寄付者に当てはまるように感じます。実際その通りです。

ただし、犯罪誘発・特定集団へ攻撃・自分の思想の押し付けといった迷惑をかける行為を行なった瞬間、単なるエゴイストと化します。

ポストイットの行為は当該駅の方に負担をかける迷惑行為です。それに反対する人を勝手なレッテル貼りで見下す、単なる攻撃です。ましてや、ある行為を呼びかけることで、その活動をした方に危害が及ぶような危険な呼びかけは言語道断です。自分の主張のために誰かが犠牲になる、なんてことは許されてはいけません。

あくまで、家の壁にポストイットでメッセージを書いて貼る、というような誰にも迷惑をかけず声を上げられる、誰も不幸にしない活動をしていきましょう!

以上となります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

もう一度、神崎さんが紹介してくださった社団法人のリンクを貼っておきます。






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