引き裂かれた自己についてなど
R.D.レインの引き裂かれた自己を読んだ。自我と精神と身体がそれぞれ別なものである、という事実がより感覚的に理解できた気がする。統合失調症と解離性人格障害、いわゆる多重人格についての記述が心理の専門でない一般人からも分かりやすく書かれていた。進行した精神疾患によって廃人になっていく過程が分かりやすく、読みやすかった。
私にとっての意識という存在は、自我の窓であり、自我によって操作される身体を観測するために必要なのぞき穴である(自我→意識→身体という順序)。
レインは、多重人格障害において発生する生来的でない人格を"にせ自己"と呼ぶ。多重人格障害の患者は多くの場合、幼少期に精神的及び身体的虐待などの強烈な被虐体験を経て、自我の形成段階の不足を補うために発生する自己の分裂であるとしている。本体はあくまで生来の自我だが、自我と意識との間に複数の自我が同居している状態である。精神虐待とは、「お前なんか生まれてこなければ」「私が困ることをしないで」などと、(いわゆるお母さんヒス構文に代表される)存在そのものを否定されるような強い言葉を日常的に受け続けているような状態が分かりやすい例である。この場合、自己を否定して存在そのものを変化させようという試みが行われ、その段階で他者から学習した感覚を自我として吸収したり、それまでの発達段階で否定されたまま停滞している幼い自我など、複数の自我を意識の内側に存在させる。
多重人格障害には根本的な治療というものは存在せず、複数あるにせの自己の中で最も自身を防衛して表現できるものがとってかわることで安定するそうだ。多重人格障害や統合失調症や躁鬱病などは、現在でも精神疾患の中でも遺伝的要因が特に高いとされている。この本には、躁鬱病的気質を有する親によって虐待を受けた、潜在的に分裂病的要因をもった子供が多重人格障害を発症した例について書かれている。
この本から、幼少期の経験がその後の人生の価値観の根幹を築くというような、人格が環境要因によって受けた影響、考え方が今後の人生に影響を及ぼすという話を論理的に理解できた。自己、自我との向き合い方について深く悩んでいる人には、分かりやすくて支援者側にも理解の一助となるため強くおすすめしたい。50年以上前の書籍のため現在と価値観が異なる部分もあるため、あくまで参考や自己啓発に留めておくべきである。
Serial experiments lainの岩倉玲音や、それのオマージュとしてのニディガの超てんちゃん(レイン)など、(主ににゃるら氏を中心に)インターネットを通してメンタルヘルスに問題のある若年層に精神的にセンシティブなコンテンツが流行しているが、そういった層にも元ネタを調べるくらいのカジュアルな感覚でも、一度R.D.レインの著書を読むのをおすすめしたい。
ニディガが公開される以前から「Do you love me?(好き?好き?大好き?)」を探していて、ニディガ以降で高騰していた最中に格安で手に入ったのはいまでもちょっとうれしい。表紙がとてもかわいくて、購入価格も高騰が落ち着いた今でも安いくらいの良い価格だったので買って良かったし、今も確り大事にして飾っている。
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