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虹をつかもう 第6話 ――坂――

https://note.com/hanei/n/ncdda4019ff73

クラスの空気に変化が現われたのは、仙人こと七瀬の不審な行動があった、翌週のことだった。ここ一組でこの様子なのだから、震源地、五組のインパクトは計り知れない。
なお、その発端は、くだんの爆弾事件ではない。
一陣の噂である。

ニュースが伝わったのは、月曜日の午前中。ここから教室三つを隔てた場所に転校してきた男子生徒のこと。当のクラスにも、事前に情報はなにも知らされておらず、あまりに唐突な出来事だったようだ。
こちらに伝わってきた情報は、小学生の考えた宣伝文句のような、「とにかく悪い奴がきた」。
他にも、信憑性不明な「大物政治家の息子」とか、もう少し具体的なところで、「空手のインターハイ準優勝者をぶっ倒した」など。
残念なことに、まったく馬鹿げているとも言い切れない。というのも、彼の前の高校名が、ぼくが塾で聞いたあの変死事件の高校なのだ。警戒するに越したことはないだろう。今日、塾で確かめる必要がある。

不良一軍は、しきりに作戦会議をしていた。ワンもツーも、クラスの格下には構っていられないといった様子。
二軍から偵察がいったようで、二軍のトップ、ちょっぴりずんぐりのナイン君が、ぎゃーぎゃー言うのだが、とにかく強そうだの、ガタイがいいだの、貧困なボキャブラリーしか出てこない。
仲間うちでは、それで通じているようだった。未知の恐怖を感じたぼくは、その日、あまり教室から出ないようにした。

結局、なにも起こらずに一日が終わる。
一軍には多少情報が集まったのだろうが、権力闘争の揉め事に無関心を決め込んでいる体のぼくには、詳細がおりてこない。
その悪いやつが動くとして、このクラスで最初に矢が刺さるとすれば、学年でも一、二位を争う権力者、不良一軍のトップ――ワンか、あるいは天女、木原であると思う。他国の皇帝にしてみれば、彼女は、真っ先に奪うべき王女のような存在に思えた。

嫌な予感がして仕方がない。ぼくはぼくで、情報を集めることにした。
五限目が終わり、普段より警備の薄い――ビリーでさえクラスから簡単に抜け出すことができた――不穏な学校を後にして、ぼくのもうひとつの世界に続く迷路のような街中を歩いた。
塾にひとり、その高校のやつがまだ残っていたはずだ。
祈るような気持ちで歩く。
贅沢は言わない。せめてどうか、現状が続いてくれればいい。
 
幸いと言うべきか、むしろ聞かなければよかったと言うべきか、目当ての彼は塾にきていて、期待していた以上の情報を入手することができた。
特徴のない眼鏡の彼は、ここ何年か、ぼくの冗談にも応じてくれず、疎遠な関係になっていた。

転校生の名は、光田満。
間違いなく、問題の高校の、中心的存在であった人物。
眼鏡の彼は、学校のなかでも、関わりが少ない場所にいたようで、直接的な情報はあまり持ってないと言う。まだ、だからこそ学校に通えていたのだ、とも言った。
彼は安堵の表情を隠さない。人生というゲームにババ抜きに似た側面があるとして、ようやく破滅のジョーカーを渡せた、といった顔。
よく見れば、目立たない、得な容貌をしている。

「どうして、また、ウチみたいな中途半端な学校に……」
彼に言っても仕方のないことなのだが、つい、非難めいた口調になってしまった。
「きっと、親が庇うにも、限界がきたんだよ」これも推測だけどねと、眼鏡のフレームに指を当てた。
「親って、有名政治家?」今日、得た噂を、さっそく出す。
「らしいね」噂は、否定されなかった。
「親が権力者だからって、何をしても許されるの? この時代に」何をしてもの「なに」がよく分からないが、言わずにいられない。「それに限界がきたって、その学校に、ってこと? なんの根本的な解決にもなっていない」
「みっちゃん」彼は、眼鏡の奥から、哀れむような目を向ける。「ぼくは、歴史が好きで、だからこの塾に通っているんだけど――、」
うなずける。先生自身が歴史が好きなのか、たしかに解説が凝っている。
「今も昔も変わらないんだよ。権力があれば、なんだって許される。それに……」一瞬、言い淀んだ。「変死事件だよ。警察が何度も来たんだ。警察さえ捜査を躊躇しているとしたら、どう? みんな、噂してる。逆に言えば、それさえなければウチに居座ったと思う。もう、彼の王国だったからね」

権力があれば、なんだって許される……。
妙に悟ったようなやつだ。最初からこんなやつだったろうか。圧政下に置かれた平民は、あきらめで、こういう人間になってしまうものなのだろうか。
最後に、「とにかく、かかわらないことだよ」と有難いアドバイスをもらった。
そんなの、わかってるって。
今日は、塾のみんなの騒ぎ声が、別の教室のもののように聞こえた。
じゃれる友人には定番の返しで応えるが、心は上の空。
「みっちゃん、元気ないね」講義のあとで奈々ちゃんが話しかけてくれるが、「ごめん、今日も用事があって」と、足早に教室を出る。

ぼくは暗澹たる気持ちになっていた。
学年の不良が集まっているのは、明らかにウチのクラス。衝突は時間の問題に思えた。
だが、政治家の息子が一人でなにができる? 金でも積むのか?
噂は噂だ。ひとりの人間の登場で、暴力、イジメ、犯罪が横行する。そんな馬鹿な……。
理屈ではそう思うが、不安はおさまらない。

足は自然と、塾の帰路とは反対側、急坂のあるほうに向いていた。理由のない、逃避の行動なのだろう。
夕陽に向かってぼくは歩く。今日の景色は、紫色の目立つ妖しい色調で、何もかもが虚構のように思えた。これもきっと逃避の心理。

こんなときは、セイさんの温和な笑顔が思い出される。弟子入りとまではいかなくても、せめて自己紹介をさせてもらうくらいなら……。
セイさんの出演した、バラエティ番組、ちょい役で出たドラマ、その名前をいくつも言える。驚くだろうな。
自分が息切れしていることに気づく。そして、
「そういえば前回……」と思い出し、坂の途中で、振り返った。

誰もいなかった。
ますます前回の絵が、現実ではない、CGじみたものに思えてくる。
坂を、上りきった。

すこし歩くと、道がゆるくカーブする。右の小道に入る。そこに入ると、あとはもう住宅としかつながっていない。セイさんの家は、そこに三つある古い住宅のひとつ。
三方にあるどの家も、高い塀と緑に囲まれているため、ここは薄暗く、神社の境内のような趣がある。やってきたのは久々のこと。部外者のぼくは、明らかに不審者。あまり長くとどまっているわけにはいかない。結局いつも、5分も経たないうちに立ち去るはめになる。そして今日も、その気配が濃厚だ。

「盛口」宅。
ざらついた、表面に苔の生えたコンクリート塀。そこから張り出した、どっしりとした門柱。その門柱に挟まれた、幅が二メートル近くある木の扉。
扉は、厚みはあるのだろうが、単に板を二枚張り合わせたようにしか見えない。押すのか引くのか、横に引くのか。
その雰囲気たるや、他を寄せ付けない迫力がある。ぼくに突破する度胸はない。
 
人目を気にし、周囲に目をやった。五秒か十秒ごとにそうやっていた。
――はずだった。
人影だ。ぼくが何事もないように自然に立ち去るには、すでに近すぎる。しかし、多少距離があったところで、その相手に対して自然体を保てたかというと、はなはだ疑問だった。
相手は、あの七瀬なのだから。
立ち尽くすぼくの横を、いつも教室でそうするように、そっとすり抜けた。彼はゆっくりと、まっすぐ歩いてゆく。
先ほどぼくが見ていた、木の扉の片側を、そっと払いのけるように押した。すっと中に入ってゆく。

ぼくは、そっと踵を返した。
狐に包まれたような、とはまさにこのようなことだろう。
あの坂を上ると、どうも不思議なことが起こるらしい。

あれは、七瀬の家だったのか? でも表札は、盛口だ。
そもそも彼はどこから現われた? 坂を見下ろしたときには誰もいなかった。道の逆方向からなんて、学校や市街地から、大きく迂回しなければならない。それとも、町の西側の、山と竹藪を突っ切る近道でもあるのだろうか。
仙術? そんことを考えながら帰宅した。

その夜、学校のSNSに、最後のブログを書くことになる。不安だからこそ、平静を装うように、無難に書いた。
二週間後、これまでのログはすべて消えた。

『三田隆 くんの日記
件名:歯医者選びのゴールデンルール
予約をしようと電話をしたら、まったく要領を得ない留守電のテープが流れた。大丈夫か、ここ。
✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕
究極奥義、直感でGO!
俺の究極奥義が炸裂する! 乞うご期待! みんな、歯は大切にしよう』

『✕✕✕✕年✕✕月✕✕のメモ(重要!)
聞きたかったところを、師匠がようやく話してくれた。
応用編だと言われた。きっと師匠にしたら、順序に沿って教えてくれていただけなのだろう。
まとめる。
○それは人の生命エネルギー(オーラ)。
○形は、性格を表している(ぼくもなんとなく解っていた。尖っている人はきついし、丸い人はやさしい)。
○色は、形と関係していて、やはり人の性質(性格)と関係している。
○色が、何層かに分かれているのは、遺伝的なもの、後天的なもの、最新のものがあるから。
師匠は、丸くて赤くて、日の丸のようだ。
ぼくは緑色をしている。形は不規則で、ちょっと言い表せない。
色はこの頃、すこし落ち着いてきた。
おまえの武器になるかもしれない。そう言ってくれた。本当にうれしい。ぼくは一生かかっても、この人に恩を返したい。
ぼくは強くなる。もう誰にも負けたくない。自分にも』

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