見出し画像

虹をつかもう 第10話 ――襲――

今年のこの季節、ぼくの予想したよりも雨の日は多くない。気象庁も悩んだのかもしれないが、それでもようやく梅雨入り宣言がなされた。

表面上、直接的な暴力行為は影を潜め、クラスは小康状態に入ったようにも思えるが、その空気は、ますます淀んでいるように感じられる。
学校SNSも、ぼくがアクセする限り、まるで動いていないような見え方をしている。だが、ユーザーの最終ログイン時刻を見ると、彼らはたしかに動いている。蠢いている。
ぼくが見れないということは、トピックスの対象は、ぼくだという可能性があるのだ。
「【襲撃】三田 隆【みっちゃんwww】」

この頃、例の爆弾事件――いよいよ爆弾と表現できる威力にまでになった――が、学内で起こるようになる。膨らみすぎた怪物がサンクチュアリ(安全な領域)に逃げ込むように。
学校を、おもちゃにしたい奴が、たしかにいるのだ。
今朝、爆弾が螺旋を描きながら、その輪を小さくし、中心にいるぼくを破壊する夢を見た。
黄色信号――。精神状態が危うい。恐怖が、潜在意識にまで浸入している。

不審人物を見かけたら報告するように。学校の対応は、わざととしか思えない。学内の荒んだ様子が見えないのだろうか。生徒を疑って当然だろう。爆弾なんて、知識さえあれば、中学生だってつくれんだろう? 政治家息子と周辺を、なぜ捜査しない。とはいえ、爆弾事件が彼らと関係しているのか、ぼくにだって確証はない。

そういえば、中学のとき、一度だけ爆発物に関する話を聞いたことがある。
生半可な知識を仕入れて、仲間内で、ふざけて遊んでいたというもの。いかにも中学生らしい。いたずらで暴発させ、ひとりが怪我をし、厳重注意がなされた。
これも塾で聞いた噂話のようなもので、よく覚えていないのだが、いつの頃かぼくのなかで、そのグループのひとりが、ツーではなかったかという気がしている。
南野。当時聞いた名前が似ているのかも。ツーとは中学のころ面識がなかったが、やつの手のひらの火傷のあとが、その事件を連想させたのかもしれない。
だれから聞いたのだろう。
……ああ、塾のかれだ。

中学ではツーと同級生。高校の前半は、政治家息子の圧制下に置かれる。
とんでもない災難だ。ついてないというか、なんというか、「いつの時代も変わらないんだよ」なんて、そりゃ人間もできるかもしれない。
ただし、ツーがもし当時の関係者だとして、その立ち位置は被害者。爆弾の製作者ではないはず。今回の事件と、どう結びつく?

被害者、なんて言葉に苦笑する。天性の加害者だよ。
あいつさえいなければ、クラスの空気はここまで悪くなかっただろう。政治家息子も、あいつの持つ星が引っ張ってきたんじゃないのか。あいつの意見は、政治家にどこまで受け入れられている? 登校時に見た光景が浮かんだ。まさか政治家のブレイン? 最低な状況を、助長する存在でしかない。

ひゃはは、と品のない笑いが今日も耳を衝く。
ああ、ぼくは中途半端だ。こんな状況でも学校にきてしまう。ビリーの事件の後、不登校がさらに、女子にひとり、不良二軍からもひとり出た。一軍二軍は、獲物を狙うような目で、ぼくを見る。被害妄想だとは到底思えない。今か、今かと、指令が出るのを待っているようだ。

もう――、雑誌に目を落としているだけの存在だ。
元スリー、藤沢はいない。舟木は、以前の彼じゃない。もはや、ぼくに近寄ろうとする人間はだれもいない。聴覚のみで、必死に情報を集める。
午前中、また校舎のどこかが破壊されたと聞いた。大きな爆破であったという。きっと大げさだ。学校で爆弾事件なんて、普通はニュースになるだろう。教室から、生徒が半分ほど、見物に出かけた。ぼくは机から動くことさえままならない。
いっそニュースになってしまえばいい。そうすれば、この悪夢も終わる。
「すごかったな」
だから、その貧相なボキャブラリーなんとかしてくれ。
「山から猪でも降りてきたんじゃねえ」
なんだそれ……。

午後、ビリーに後遺症が残ったと、誰かの話が耳に入った。たしかにあのときは、死んだかと思ったくらいだ。
「階段から落ちたんだから、自業自得だよな。ぎゃはは」
どういうことだよ……。なんで? ここは法で守られた国家じゃないのか。なぜ、だれもなにもしない? 教師に警察、大人はなにをしている? そんなに、その政治家が怖いのか。政治家ってなんだよ。国民を守る存在じゃないのか? 偏差値の低い高校生なんてどうでもいいってこと。
……ネットで検索してみても、光田なんて議員はいなかった。公にできないような事情があるのだろうか。そのことが余計に恐ろしかった。

ドロップアウト……。今日でもう、限界だ。心が言う。
四時間目のあと、ぼくにとっての最後の休み時間、ついに外に逃げた。
メインの、三階建ての校舎の裏。そこには、校舎に沿うようにして、三階に届く高さの、大きな常緑樹が植えられている。それら木陰の草むらに、破壊された椅子が放置されていた。足の金属の部分が、根元から折れている。

こんなの、どうやったら……。また暗澹たる気持ちになった。折られた棒の先端は、ジグザグに尖っている。ちょうどリュックにおさまる長さ。
いざというとき、武器になるかな。お守り代わりにと、学生服の内側に隠し、そっと持ち帰ることにした。
頼む、今日一日だけ、無事に終わってくれ。
帰ったら、両親に話さなきゃな。我が家は、典型的な核家族。ひとり息子が不登校になる。がっかりされるだろう……。たまらなく情けない気持ちになった。

学校が終わり、外に出たとき、複数の人の気配は感じていた。ぼくは今日、教室からはじめて逃げた。この、マイナスの決意を勘づかれたのか。
走ったらだめだ。追いつかれるだけ。交番のある通り、せめて、人通りの多い……。

ぼくは、のこのこと学校に現われたことを後悔していた。あるいは決意したなら、五時間目を待たず飛び出すべきだった。この危機感のなさ。自分が狙われるということを、ビリーのことがあったにもかかわらず、どこかで現実的でないと考えていたのだ。

この場所は、やばいな、と思った地点、気持ちいいくらい鮮やかに囲まれた。袋小路に、押し込まれた。周囲はおそらく民家だが、高いブロック塀があって、向こう側に人の気配が感じられない。
聖域と考えていた、曲がりくねった迷路道の、三分の一ほど行った場所。彼らの侵入を、最悪な形で、ぼくは許してしまった。

ワンがいる。ツーがいる。一軍の四人と、二軍が三人。絶望的だ。ここに人目はない。ビリーのときよりも、状況はさらに悪い。
ぼくは笑顔をつくろうとするが、顔を走る筋が、言うことを聞かない。頬がひきつる。
なんとか捻りだした言葉が、「やあ」
やあ、じゃないだろう。

「ほらさ、今、校内はやばいじゃん」会話の前後を無視して、ワンが躊躇なく、本題らしきものを切り出す。「木村のこともあるし、爆弾の件で、警察が入ったりするしな」
なんで、なんで、今日なんだよ。ぼくが逃げたからか。外に出たからか。悪かったよ。最後だからこそ自然な行動をすべきだった。心から後悔した。

「どうしようっていうの」声は震えていた。
「遊ぼうってだけだよ。クラスメイトじゃん」そう言ってワンは、逞しい足を、一歩前に踏み出した。ビリーを壊した足……。
にやつくツー。ガムをくちゃくちゃさせる変顔の六番。六番は形の悪いごま塩頭をしている。って、なんだこいつ、笑わせたいのか? まず、こいつをやればいいじゃん。人間関係の力学とは不思議なものだ。

「遊び道具も持ってきたしさ」かっとんだ五番の持ってきたものは、バットケース。彼は、チンピラスタイルが恐ろしく様になっている。どう見ても野球部員からはほど遠い。六番の姿が、ますますコント・スタイルに見える。
「みっちゃんだけ、遊んであげないってのも、可哀想じゃん」嬉しそうなツー。

「お金が必要とか?」無理やりに笑う。
その顔は、ツーに負けないほど、ひどいものだろう。「あまり持ち合わせがないけど、三千円くらいなら」
「俺たちをさ、その辺のチンピラと一緒ににすんなよ。傷ついたなあ」ツーが言う。「ぼくたち、金持ちなんだよね。ほら、育ちがいいからさ」
「ぎゃはは」ぼく以外の連中が笑う。たしかにツーにしては面白い冗談だ。ぼくのネタ帳につけたいくらい。……無事に帰れたら。

彼は、つまり、俺たちは最低のクズです、と言っている。快楽で動いているだけ。もしぼくがそう指摘したとして、「よく分かってるなあ」と、誇らしげに話すかもしれない。それくらい救えない。
あの日のビリーの姿が頭をよぎる。無抵抗な人間が、殴られ、蹴られ、心に、身体に、一生残る傷を負わされた。
殺される……。
抑えていた感情が、爆発した。怖い。怖い。怖い――――――――――――――――――――。

この記事が参加している募集

ぜひサポートをお願いします!良い記事を書くためのモチベーションにさせていただきます!