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霊感と、あの日の死霊(インスパイアド・エッセイ)

先日読んだあるnote記事がものすごく面白かった。思わず他人様の記事をおすすめするマガジンを作ろうとしかけたが、今は継続できない気がして断念した。いつか、おすすめ記事と、わたしがそこからインスパイアして書いた記事を交互に収録したマガジンを作りたい。

今回はその予行練習。面白かった記事は、「霊が見える」話。霊が見える人は、どんな感じでそれが見えるのかをレベル別に解説してあった。通常のノウハウ記事の作りでさらっとまとめてあるのがすごかった。

わたしの話をすれば、霊感がびっくりするほどない。マイナス霊感なのではないかと思う。多くの人にとって身近な霊的経験は、いわゆる「虫の知らせ」だろう。なんとなく、嫌な予感がする。身内や知り合いに何か不幸がありそうな予感がある。そういうもの。

わたしにもまれに「虫の知らせ」がある。「ああ、あのひとに何かあったのではないか」と直感するのだが、当たったことがない。むしろ、「あのひと」は大丈夫だ。長寿と健康が保証されるのではないかとさえ思う。

少し前にもこんなことがあった。職場で席がとなりで、退職後もときどき情報交換をしていた女性編集者がいた。いろいろな偶然が重なったこともあるのだが、わたしはあるとき「Aさんが亡くなった」と思った。というか、確信した。

ああ、病弱そうだったからなあ。亡くなったひとのメールアドレスに連絡をしても意味がないのだが、わたしは念のために不自然さが出ないような文面を送った。亡き人を想い、しんみりしながら。

普通に返信が返ってきて驚いた。おまえの思い込みのほうが驚きだわ! という突っ込みが聞こえてきそうだ。

たしかAさんとはそのあと一度だけ会って、わたしがそのように思うに至った事情を釈明した。Aさんは笑っていたが、Aさんからの連絡はその日を境に途絶えた。わたしが勝手に殺してしまったのだから仕方ない。それくらいわたしには霊感がない。

このように、わたしに危ないと思われたひとはむしろ安全だというマイナス霊感の持ち主なのだが、もうひとつ忘れられない出来事がある。高校生のときの話だ。

年初のクラス替えで、自分がどの机を使うかは早いもの勝ちだった。机はどれも古くて傷が付いているので、なるべくマシなものを選ぶ。わたしはマシなものを選んだつもりだったのだけど、その木目がやばかった。

死霊が浮き出ている! ギャグマンガのようなタッチではない。劇画だ。怨恨に満ちた苦痛の表情。本気のやつじゃないですか。偶然だとしても、木目がそんなふうになりますか? 

わたしは友達に「変えてくれよう。傷も少ないし、きれいだぞ」と言ったが、頑なに拒否された。シャレにならない禍々しさなので、なるべくそれを見ないようにした。

わたしの精神の不調は、たしかその年のうちにはじまった。さすがに、机の死霊と精神の不調を結び付けることは理性が拒否した。今も関連性があるとは考えていない。

あるとすれば、「死霊→精神の不調」ではなく、精神の不調が変なものと同期してしまったと考えるのがよいだろう。

これとはまた別の話になるが、その8年後に住んだ「首吊り部屋」で浄化されたものは、あの死霊だったのかもしれない。ある奇跡の日、そんなことを思ったりした。


※今回のはちょっと怖い話になりましたが、基本的には可愛らしい幽霊の話が好きです。こちらのほのぼの幽霊小説もぜひ読んでみてくださいね(↓)

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