点字ブロックはみんなの物
心療内科への定期通院を終えて、少し離れた薬局に向かう途中のことだった。
「ここの道もずいぶん歩きやすくなったねえ」
横断歩道を渡り終えるとヘルパーさんが言った。
今まであまり意識していなかったが、確かにそう言われてみれば、その道には凸凹した段差のような物はほとんど無いような感じがする。
「でも段差が全く無いのも、歩道と車道の境が分からないから、視覚障碍者の人にはちょっと怖いよねえ」
引き続きヘルパーさんは言う。
そうなのだ、ほんとその通りなのだ。
「そうなんですよねえ。歩道と車道の間のちょっとした段差があってくれた方が、こっちとしては安全かも」
「やっぱそうだよねえ。車いすの人なら段差が無い方が楽なんだろうけど」
「そうそう。点字ブロックでさえも、車いすの車輪が引っかかるから困るって言われたことありますよ」
それは10年ちょっと前、視覚障碍に特化した作業所に行っていた頃のことだった。
とあるイベントに参加するために、駅のバスターミナルでスタッフさんと仲間を待っていた時だった。
「点字ブロックってさあ、車いすだと車輪が引っかかっちゃって動きにくくなるから困るんだよねえ」
突如目の前で男の人の声でそう言われたのだ。
あまりにも突然すぎて、私はどう反応したらいいのか分からずにいた。
「あのねえ、この点字ブロックは視覚障碍者の人たちにはとても大事な物なんですよ」
そんな私をよそに、スタッフさんは車いすユーザーと思われる声の主に、点字ブロックの重要性について冷静に話し始めたのだ。
その後どうなったのかは覚えていないが、あの時はスタッフさんが居てくれて本当に助かった。
もしもあの時私一人だけだったらどうなっていただろうか。
「すみません、ごめんなさい」とただただ謝ることしかできなかったかもしれない。
あるいは、「はー?うっせえんだよ」とバスターミナルのど真ん中で、売らなくてもいいような喧嘩を売っていたかもしれない。
いずれにしても、スタッフさんのように冷静に話すことはできなかったと思う。
この出来事はいろいろなことに気づかされた。
障碍者の間でも分断があるのかと悲しくなった。
と同時に、点字ブロックの恩恵を受けられていることが、時に他の立場の人にとっては迷惑をかけている場合もあるんだなあということを、頭の片隅に入れて、謙虚に行動しなければとも思ったのだった。
「そういえば最近点字ブロックのことで聞いた話があるんだけどね」
そう言ってヘルパーさんはこんな話をしてくれた。
最近歩きスマホをしている人たちの間でも、点字ブロックが重宝されているというのだ。
点字ブロックがあることで、足元を見なくても歩く方向が分かるからだそうだ。
この話を聞いて、私は複雑な気持ちになった。
歩きスマホをしている人たちは、私たち視覚障碍者にとってはある意味敵だ。
目が見えているはずの彼ら彼女らがスマホばかり見ているせいで、白杖(はくじょう)を持って近づいてくる私たちに気づけずにぶつかってしまい、白杖が折れたり、スマホが壊れたり、お互いけがしたりと、良くないことばかり起こる。
点字ブロックが歩きスマホ民の役に立っているというなら、逆に歩きスマホをする人たちが増えてしまうではないか。
だがその一方で、目が見えている人たちにも点字ブロックが役に立っているのかと思うと、何だか少し嬉しくなった。
もちろん歩きスマホを容認する気はさらさらないが、足元を見なくても歩く方向が分かるという点字ブロックがあることで、歩きスマホをしている人たちの事故を未然に防げるかもしれないのだ。
まあ歩きスマホをしなければ、起こらなくていい事故がもっと減るのだが。
点字ブロックは私たち視覚障碍者だけの物ではない。
みんなの物なのかもしれない。
障碍者だろうと、健常者だろうと、お互いの幸せのためにもそうなってほしい。