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歌麿38スペシャル (2)

第二話(シノプシス)
 
白い和紙にすーっと横顔の輪郭を描く柔らかい線。
歌麿が、上半身アップの大首絵を描いている。
女は恥ずかしそうに俯いている。柔らかい線がスッスッと引かれ、女の俯き加減の美しい顔が出来上がっていく。
 
水茶屋の難波屋おきたを描く歌麿。
おきたは涼しげな目をそっと上に向けた。
風鈴が小さく音を立てている。
歌磨の目は、ようやく掴んだ手応えに輝いていた。
大首絵の下絵が出来上がっていく。
 
煎餅屋高島屋の軒先。
忙しく店内の掃除で動き回るおひさ。
「なぁ、おひさ、俺ぁお前のこと描きてぇんだ。頼むよ、描かせてくれよ!」
拝み倒している歌麿。困った顔しながらも、満更でもないおひさ。
「描かせてくれよ」
「嫌ですよ、あなたには悪い噂がございます」
「何でぇ?」
「描いた女の人を手込めにするって…」
「そんな事ぁ嘘だって、着物は着たまんまでいいんだ。なっ、頼む描かせてくれよ」
おひさを描いている歌麿。
描かれているおひさの横顔が上気している。
歌麿に見つめられると女は一層その美しさを増していく。
 
素晴らしい出来の下絵が何枚もできあがっている。
おひさは裸の上に襦袢をかけてうつ伏せになってぐったりしている。
歌磨はふんどし一丁で煙管を吹かしている。
「やっぱり噂は本当だったねぇ…」
歌磨は咳き込むと、ポンと煙管の灰を絵皿に捨てた。
 
 
蔦屋。蔦重が、大首絵を見て、興奮気味に喋っている。
「歌麿…こいつぁいい! 素晴らしい! 今まで見た事もねぇ構図だ。それに女がいい。生き生きとしていらぁ…見とれちまうねぇ…こいつぁ…売れるぜ。江戸中が沸き返る程な! そうだ…背景は豪華に雲母刷りといこう、こいつは女が映える。彫り師は、そうだな…吉沢藤兵衛がいい。この線を生かすにはあいつしかいねぇ。五色刷りだ、文句はあるめぇ!」
「蔦重の旦那、俺ぁ描くぜ、描きてぇ女はこの江戸にゃ五萬といる」
満面の笑み、自身を回復したかのような艶のある歌麿の声。
 
 
吉原、お茶屋の座敷。
美しい着物を粋に着こなした豊雛。目線が艶っぽい。
「豊雛、動くなよ…今、俺はお前の一番いいとこ目に焼き付けてんだ」
「顔に穴が開きますよ」
「いや、お前の美しい着物の中の柔肌のその内まで俺ぁ、描きてぇ。
 もう暫く動かないでくれ」
歌麿は、何とも色っぽい目付きで、豊雛を見つめて絵筆を持ったまま盃を口に運んだ。
開け放した窓から、吉原の灯りが見えている。
豊雛の浮世絵。素晴らしい仕上がり。
 
 
蔦屋の店先では、飛ぶように大首絵が売れている。
店の前には、大首絵を求める江戸の男たちの熱気が凄い。
「まだまだあるぜぇ、歌麿の絵が欲しい奴は並んどくれ!」
蔦重の声も一段と高くなっていく。
難波屋は、大忙しだ。おきた見たさの若い衆が鈴なりになっている。
おきたは、笑顔を振り撒きながら茶を配っている。
活気に満ちた店内の様子。
 
蔦屋に煎餅屋高島屋主人が、怒鳴り込んでくる。
「蔦重さん、いい加減にしてくれ。店に若いもんが押し寄せて、煎餅も ろくに焼いている暇もねぇ」
蔦重は主人の袖を引き奥へ誘って小声で耳打ちした。
「高島屋さん、おひさの絵、しこたま融通するからよ。それに煎餅付けて商売したらどうだい? 売れるぜぇ、こいつは」
ちょっと間があって、目を合わせてニヤリとする二人。
 
夕刻の椿屋。
お千代がぼんやりしている。女将はそれを見てため息をつく。
ガラッと戸が開いた。歌磨?と思ったお千代の顔が期待するが、入って来たのは粂蔵だ。
あからさまにがっかりするお千代。
「何だよ…愛想悪いなぁ…おいっ、酒くれ」
「はいよ」奥に酒を取りに行くお千代。
「どうしたい?」
「歌さんに描いてもらってから、あの調子さ」
「ああ…」
「惚れたところでどうにもなりゃしないってのに。まったく罪作りだよ、歌さんも」
酒を持って来たお千代に粂蔵が軽口を叩いた。
「お千代、お前、手先器用だからよ、昼間空いてる時、歌さんの仕事の手伝いでもしたらどうだ?」
「そんな事できるんですか!?」
「お、おう。オレが頼めば、そりゃあ…」
「お願いします! あたし、何でもやりますから!」
「あたしゃ、知らないよ…」
女将は呆れて粂蔵を睨んだ。
 
粂蔵と歌磨が通りを歩いている。
「てめぇ、何考えてんだ」
「いや、あんまり嬉しそうだったからよ…ついよ。な、いいじゃねーか。お前も独りじゃ何かと大変だろ?」
「枕絵・春画、いつ描けばいい? あの子の前じゃあ描けねぇよ」
「夜描けよ」
「夜は…飲む」
「じゃあ朝方描け」
「話にならねぇ」
「お前だってあの子に借りがあるだろう。なあ、頼むよ、2.3日やらしてやりゃあ、あの子も得心すらぁ」
確かに…お千代のお陰で大首絵のアイデアは閃いたのだが…。
 
歌磨の長屋。
廊下を雑巾がけしているお千代。
仕事部屋をきちんと支度して生き生きとした顔。
渡りからその様子を見ていて、やれやれ顔の歌磨。
蔦屋の店先では、歌磨の絵がひっきりなしに売れていく。
 
NA
この時期、江戸の町の至る所に歌磨の浮世絵は広く出回った。
そして、日々の暮らしの中にちょっとした潤いをもたらしたのだ。

職人の厠の正面に。飲み処の襖張りに。長屋の床柱に。若い2人は床の中で枕絵を。町娘の桐箱の中に。
茶屋で何人かの若い衆が、おきたの絵をにやついて見ていたり。
 
NA
そしてここにもひとり。
 
奉行所の同心、唐木安兵衛。中年男である。懐から豊雛の錦絵を出して、にやついていた。
「いいねぇ…豊雛は」
「おい、唐木、お呼びだ」
「おぅ」
同僚の声に慌てて浮世絵を懐にしまい込み、しかめっ面を作ると、すくっと立ち去った。
 
城内。松平定信が歌麿の美人画を何枚か見ている。
「近頃、江戸の町が騒がしいようだな」
「はっ!」
「きやつら、少し調子に乗っておるように見受けるが…」
「はっ!」
役人が頭を下げる。
「版元は蔦屋であったな?」
「はっ…」
「これは預かっておこう」
美人絵を懐に仕舞う松平定信。
「町絵師風情が…しかし見事な腕前…」   
 
NA
蔦屋は手鎖50日、身生半分召し上げ、つまり財産の半分の差し押さえを言い渡された。
版元として、見せしめに厳しくお灸を据えられたのである。
 
蔦屋。手鎖になった蔦重が憮然とした顔でいる。
「身生半分召し上げたぁ、えれぇ仕打ちだ…」
などの町の声が聞こえる。蔦屋の暖簾が激しく風に揺れている。
役人がお達しの文を蔦屋に届けにきた。
その文面には『遊女・花魁以外の女性の名前を浮世絵の中に書くことを禁ず』との旨が書いてあった。
歌麿は、その文を紙飛行機にして、吉原の二階の窓から飛ばした。
紙飛行機は、江戸の冬の空に飛んで行った。
「野暮だねぇ…お上は…」

(続く)
第3話
https://note.com/hanegi_hajime/n/n2eac9b552089
 

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