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夕飯のカレーライス、それは文明開化のにおい。

今日も今日とて、カレーを食べる。

日本ではじめて「カレー」を紹介したのは、みんな大好き、あの福沢諭吉さんだったという。

1860年に渡米した彼は『華英通語』という英語と中国語の辞書に出会う。欧米列強に立ち向かうため、日本人の英語の習得は急務であると考えていた諭吉さんは、すぐさま辞書を購入した。中国語の意味を翻訳し、英語の発音を日本語のカタカナで表した『増訂華英通語』を出版した。

そしてそこには、「curry」を「コルリ」と読ませる表記がある。意味の部分は翻訳されておらず、当時の諭吉さんがカレーがどういうものなのかを理解していたのかは、わからない。彼は、「コルリ」という単語から何を連想していたのだろう。


はじめてカレーという食べ物に出会ったとされる日本人がいる。山川健次郎という会津藩出身の物理学者だ。1870年、18歳のときに会津藩から国費留学生として選ばれた彼はアメリカへ渡り、エール大学で4年間学んだ。その旅立ちの船中でカレーと出会ったという記述が、回想録の中でなされている。

何しろ西洋の食物なんて云うものは食べた事がない。(中略)…どうしても食う気になれない。それで私は始めにライスカレーを食って見る気になってあの上につけるゴテゴテした物は食う気になれない。『山川老先生六十年前外遊の思出』(武蔵高等学校校友会、1931年)

いやいや、こんなん食えっていうんすか、パイセン。ちょっと変な色と形してるしなんか変なにおいするしムリムリ。あでも白飯だけならまあ、食えそうっす。あざすあざす。

という現代訳が良い感じだろうか。白米、みそ汁、漬物といった日本食しか知らなかった健次郎少年が、茶色くてドロドロした食べ物に恐れをなすのも無理はない。ちなみにこの時彼は、カレーをよけた白飯だけを、船医のくれた杏子の砂糖漬けをおかずにして食したという。

同じころ、明治政府の主要メンバーによる岩倉使節団も、不平等条約改正の交渉や欧米視察を目的として、旅に出ていた。彼らは、スリランカでのセイロン島でカレーを目にした。そしてそこが「ライスカレイ」という西洋料理の起源の土地であると、『米欧回覧実記』(久米邦武編)に記している。


「未知との遭遇」であったカレーライスは、およそ150年の時をへて、ワケ知り顔で食卓に君臨している。母の味、給食の人気メニュー、ご当地グルメにまで進化しつづけるカレー。まさに、流血の争いのない静かな侵略である。カレーによる日本侵略の話は、また次に持ち越そうと思う。

幕末期の日本。「西洋」とは未知なる世界であると同時に、脅威となり得る存在だった。学のあるものはどんどん旅へ出ていき、現地の情報や自身の体験談を世に広めた。そしてそれは回りまわって、日本社会の大きな変革を推し進める力となった。

旅もずいぶん身近になり、可視化できる世界が広がったいま。疑問に思ったことはすぐに解決できる。「未知との遭遇」に遭遇することのほうが、逆に難しくなってしまったのかもしれない。なんとなく、世の中のことはだいたい明らかにされ尽くされて、問題ばかりが山積しているような気になってしまう。まだ見ぬ外界への純粋な好奇心が社会を動かしていた文明開化の時代に、思いを馳せるはねぽよであった。

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