人のカバンの底が怖い

皆さんは、カバンって床に置けますか??

電車、飲食店、家 etc...
生活の様々な場面で訪れる、カバンが少し邪魔な時。



私は置けません。床は汚(お)です。

床も、道路も、靴も、足も、
〝地へ近いもの〟は、みんな汚なのです。



ある日、私は〝気づいて〟しまいました。

世の中の結構多くの人は、カバンを床に置いてるな、ってことに。



その瞬間から、私の生きる世界では、「人のカバンの底」は〝汚〟と認定されました。





床に絶対触れさすまいと必死に守ってきた自分のカバンと、人のカバンが触れることが恐怖になりました。

電車や駅はもちろん、ショッピングモールも、テーマパークも、イベント事も、全ての人混みは地獄と化しました。





人のカバンに触れてしまったら、その汚を払拭するための儀式が必要となります。

「洗いたい」「拭きたい」その〝念〟は1度生まれたら儀式を行うまで消えることはなく、頭をじわじわと支配していきます。



目的地まで辿り着くまでに、それまでの何倍もの時間がかかるようになりました。


念が生まれたら、下車駅でなくとも電車を降り、御手洗を探します。

そこに、蛇口はあれど石鹸がなければ儀式は行えません。

石鹸があれど、泡でなければ、全ての汚を包み込むことはできず、完全ではありません。


私は泡のハンドソープをボトルごと持ち歩くようになりました。




朝の満員電車は恐ろしいほど苦痛のものとなりました。

人が、人のカバンの底が、汚が、押し寄せてくる度に、私の顔は苦痛に歪みました。

自分のカバンを、人のカバンの底に触れさすまいと、必死に抱えました。

それでも守りきれず、念が生まれれば、そのまま電車を降り、儀式を行いに向かいます。




やがて、私はお気に入りのカバンも、財布も、何もかも、外へ出すことができなくなります。

しかし、傍には居てほしい。

そんなジレンマから、私のお気に入りのもの達はキャリーケースにしまい込まれ、運ばれるようになります。
基本的に、取り出すことはありません。


使用するための財布や鏡などは、できるだけ安く、好きでないデザインのものを選びました。
それでも、容赦なく念は生まれるのでした。





本当は、好きなものを使いたい。
本当は、すんなり目的地まで向かいたい。
本当は、普通の生活を送りたい。


駅の御手洗で儀式を行い、さてと家路に向かうかと顔を上げた瞬間、ふと、
こんな無意味なことをしている自分が嫌で、

好きじゃないものに囲まれた自分が嫌で、

今までできたことができない自分が嫌で、

嫌なことをやめられない自分が嫌で、嫌で、

その姿で自分の大切な人達の顔まで曇らせてしまう自分が嫌で、嫌で、嫌で、


涙が溢れるのでした。




「人のカバンの底が怖い」



そう気づいた瞬間から、私の世界は変わってしまったのでした。

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