見出し画像

#13 爪と家事と心の余裕

 実家暮らしだった頃は、よくマニキュアをしていた。ネイルストーンやネイルシールを貼っていたこともあった。一日の終わりにベッドの上で手入れをして、うっかり触らないようにそっと手の甲を上にして掛け布団の上に乗せて乾かしながらウトウトしながら、服やモノにうっかりマニキュアをつけるといけないからという言い訳を自分に許してタブレットでぼんやりネットを見て過ごす時間にしてもいた。

 「一緒に暮らすようになったら、家事は全部オレがやるから、えまさんは何もしなくていいよ」とアルさんは言っていた。私は彼が持病持ちであることを知っていたにもかかわらず、その言葉を額面通りに受け取って「そう?じゃあ、よろしくね」と何もしない気でいた。
 朝はどんなに早くても一緒に起きてお弁当を作ってもらって、お茶を淹れてもらって、自分の外出中には掃除や洗濯をしておいてもらって、仕事から帰ったらご飯を作ってもらって洗い物をしてもらって、お風呂の準備をしてもらって、ベッドをきれいにしてもらって、一緒に横になって趣味の話などをしながら寝る。
 そんなつもりでいた。

 今、思い返してみると、自分でも恐ろしいのだけれど、「やってくれるって言ったから」と思っていたのである。こうして書きだしてみると、本当に私は何もしない気じゃないですか。これでは、定年退職後に濡れ落ち葉などと言われて熟年離婚される夫そのもの。これまで、妻がそうした役割を押し付けられていることに対して、「夫は甘え過ぎじゃないか!」と違和感を覚えてきたというのに。

 そして、独身時代の私は、実家では、親になんでもやってもらって甘えて暮らしていたことも実感する。
 気が向いたときに洗濯をしたり、掃除を「手伝っ」たりはしていたけど、基本的には朝起きれば「はい」とコーヒーが出てきて、美味しい朝ご飯が用意されるまで私はぼーっとネットを見たり好きなことをしていた。
 仕事の日は身支度をしている間に、親は私の弁当を作り水筒にお茶を用意してくれていた。朝に限らず、食後は食器を流しに持って行くこともあれば何もしないことさえあった。食器洗いはほんとうにごくごくたまーーーーーーにだけ。

 私の家族は器用なひとが多く、あまり「やっている」感なく、家事をささっとこなしながら私と雑談もしていたりするので、自分が何もやっていないのに相手は立ち働いていることに無自覚なままに日々を過ごしていた。
 一応、留学時の経験で家事というものも面倒くささも手間も知っていたので、帰国後は多少は「やってもらっている」と意識していたつもりだったけれど、それでもやってもらっていたことには変わらないし、今でも実家に遊びに行くとほとんど何もしていなくて親に呆れられていそうだけれど、「子供は生きているだけで親孝行」と以前言っていたのを私は聞き逃していないのである。

 これまでにも書いてきたように、紆余曲折あって、アルさんと私は家事をそれなりに分担してやっている(前にも書いたが、私は主に自分が好きな料理を担当しているので、これが公平なのかは正直よくわからない)。慣れてくると生来の「計画をしてうまくこなすことに喜びを覚える」という性格もあって、料理の下ごしらえや仕込みなどはむしろ楽しいし、洗濯物がバランスよく干せると気分がよいので、家事をやること自体に快感もないわけではないのだ。それでも、時にはどうしようもなく面倒くさく感じるし、それでも全くやらないわけにもいかないので、イライラしてしまうこともある。

 結婚をしても私は爪を塗りつづけるつもりだった。引っ越すときにネイルシールも持ってきた。そして、結婚後も、友人がマニキュアをくれる程度には今でもマニキュアを塗ってる。ただ、私はせっかちで動きが速い分、時に雑なので、家事をしているとマニキュアがすぐに剥がれてしまう(プロの手を借りたネイルは違うのではないかと思うのだけれど、あまり手がきれいではないのでひとさまにメンテしていただくなんて恐れ多い!という気持ちになるのである)。そして、アルさんと一緒に何かをする時間も大切にしたいので、爪のメンテナンスに時間をかけるのもなんだかもったいないような気もして、結果的にネイルに凝る頻度は減った。
 でも、最近のマニキュアは本当に速乾になってきたし、またもう少し頻繁に塗ろうかな…と思うのは、多少、他人と一緒に暮らして、そのひとと家事を分担することに慣れてきたからなのか、仕事が一段落して仕事の方でキリキリしないで済んでいるからなのか。どちらであっても、「生きるために必要」ではないけれど楽しいことをやる気になれるというのはきっと良いことだと思う。

 他人との同居生活というのは、家族同士であってもそれなりにお互いに適応し合って成り立っているのだと思う。ましてや、何十年間も別の家で別の習慣を「当たり前」だと思って生きてきた他人同士が一緒に住むとなれば、様々なすり合わせが必要になってくるのが当たり前だと思う。とはいえ、片方にばかり過度な適応を求めていたら、生活のパートナーとしての関係が壊れてしまうだろう。だからと言って、関係を壊さないようにと考え過ぎて今度は自分に過度の要求をすることになってしまうのも良くない。

 対等なパートナーシップというのは、簡単なようでいてそんなに簡単ではないと感じるけれど、それでも一緒に生活したいのなら双方が努力するしかない。それがどうしても無理だとか嫌だとかいうひとも、家庭内別居状態でお互いに干渉しない生活で納得できる相手と暮らす分にはそれでいいと思うけれど、たいていのひとは共同生活を望んで結婚するし、子供がいる場合は、子供はふたりの子供なのだから、別居状態不干渉生活という選択肢はないはず。

 世の夫さんたちには、グリコの「ママ語翻訳」なんかを真に受けていないで、目の前にいるパートナーときちんと会話した方がいいですよ、と言いたい。私もアルさんとたくさん話して喧嘩もして、その中で少しずつ自分の言動を見直しているところだから。一緒に頑張ろうぜ、と。

to be continued...


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?