えま
専業主夫(アルさん)との生活日記
残暑お見舞い申し上げます。 専業主夫と全く関係がない話で久々の更新です。 生理は個人差がとても大きいので生理用品も何が快適かはひとによってかなり違うと思う。私は長いことタンポンと「少ない日用」か「ふつうの日用」のナプキンの併用で過ごしてきた。一時期は布ナプキンを使っていたこともあるけれど、布ナプキンは肌に触れる部分は布であることで快適に感じることもあったけれど、使用後の洗浄に思いの他手間がかかるのと、ショーツに分厚い布を装着するため、足さばきがやはりイマイチよくない感じが
前のエントリで婚姻制度の話を例に、マジョリティとマイノリティの関係は固定的ではないということを書いた。今回もその話をもう少し続けてみたい。 「病人と健常者」という軸で見れば私はマジョリティだけれど、男女という軸で見ればアルさんはマジョリティになる。彼は外出時に体力的・体調的な心配があるし、それなりに備えていかなければならないが、「わざとぶつかる人」に出会うこともないし痴漢に遭う心配もしなくていいし身体的な脅威を警戒する必要がない。 私は健常者なので体力的なことや移動そ
アルさんと自分の関係を考えていく中で、同じように「差別」と呼ばれているものでも、マイノリティ集団がいることを前提とした差別とマイノリティ集団が存在しないかのように扱う差別で構造が少し異なっているのではないかということを考えるようになった。 一般的に、女性差別は差別のラスボス、最後に残るのは女性差別と言われているらしいのだけれど、その理由も差別の構造を補助線に考えてみると納得がいくように思える。 現在の日本の婚姻制度は異性愛で一夫一婦制しか想定していない。かつては「妾」
気がつけば、新年度…もひと月ほど過ぎてしまった。 「主夫と暮らす」生活も数年続けているとそれが日常になっているし、主婦と主夫の世間から向けられる視線の違いや「大黒柱」とされる人間が男性の場合と女性の場合の周囲からの扱いの違いなどにもそろそろ慣らされてきてしまった気がしている。ちょっとネガティブな言い方になってしまったけれど、ポジティブに考えるなら、お互いの生活スタイルなどを知って折り合いをつけることが少しうまくなったのかもしれない。 共働きであれば、一緒に過ごす時間も
実家暮らしだった頃は、よくマニキュアをしていた。ネイルストーンやネイルシールを貼っていたこともあった。一日の終わりにベッドの上で手入れをして、うっかり触らないようにそっと手の甲を上にして掛け布団の上に乗せて乾かしながらウトウトしながら、服やモノにうっかりマニキュアをつけるといけないからという言い訳を自分に許してタブレットでぼんやりネットを見て過ごす時間にしてもいた。 「一緒に暮らすようになったら、家事は全部オレがやるから、えまさんは何もしなくていいよ」とアルさんは言って
このnoteを始めて1年が過ぎた。 始めた頃は、もっとアルさんの病気のこととかでわかっていないことがずっと多かったし、noteを始める以前などは…まぁそれはそれは理解などというものからはほど遠い有り様だったことを思うと、書き留めることで少しは成長できているのではないかと思いたい。 「えまさんはパートナーがいろいろやってくれるからいいじゃない」とよく話す同僚から言われる。以前は「私が男だったらこんなこと言われないんだろうなぁ」とか思ってしまうことがあったのだけれど、今は
ご無沙汰しています。 夏以降、忙しい日々が続いて少し精神的な余裕がなく、本業で長文を書いたり手直ししたりということが続いていたことも重なり、年末になってしまいました。 そのような事情なので、アルさんも私もそれなりに元気に暮らしています。
ご無沙汰しております。 と書き出してみたものの、このnote読んでいる人ってどのくらいいるのでしょう…?なんて見も蓋もないことを言っても仕方がない。 しばらくnoteを書く気になれなかったのは、仕事が忙しかったこともあるのだけれど、それ以上に「自分なんかに言うべき言葉があるのか」という迷いが生じていたから。というのも、このnoteはあくまで《私の視点》からみた我が家の話でしかなく、アルさんの視点に立ってみると「それは違う」という点も多いのであろうし、それをこうして公開
二十数年前、家庭科の時間にみんなが遊んでしまっている中、ひとり鍋を見守っていた私に「いいお嫁さんになれるよ」と言ってきたひとがいた。今から振り返ると、「目の前の相手が異性愛者で、将来結婚し、その結婚生活において女性であるから家事を担うはずである」と信じて疑わないってすごいなと思うけれど、当時の私は「なんだかなぁ」と思いながら曖昧に微笑んだだけだった。 「将来、自分の奥さんには①専業主婦になって家にいて欲しい。②仕事をしてもいいけど家事はしっかりやってほしい。③仕事をばり
何年前だったか忘れたけれど、高校の同級生から届いた年賀葉書に「結婚のご予定は?いい知らせを待っています」みたいなことが書いてあって、気持ちがどんよりしたことがある。その同級生は女子大→銀行員というコースを経て「適齢期」に結婚して、翌年くらいには子供も産まれて、毎年子供の写真の年賀状が届くようになっていた。私は子供や家族の写真の年賀状も好きで、年賀状だけのつきあいになっている人の会ったこともない子供の成長をそれなりに楽しく温かい気持ちで見守っているのだけれど、彼女の言葉には「
このnoteを始めたのは、最初に書いたように「専業主夫と暮らす女性側からの発信はあまりないから」というのがまずあるのだけれど、それ以上に私自身が書くことによって自分の気持ちを整理していく必要を感じていたということがだんだんはっきりしてきた。 自分がマジョリティ側に立ったとき、それをきちんと意識できているか、できていないとするなら何が原因なのか、気づけていないのか見て見ぬふりをしてしまっているのか…そういったことをチェックしながら、少しでも自分の中で消化しきれていない気持
一緒に暮らして結婚することに決めたとき、「アルさんがそこにいてくれるだけでいいよ」と私は言った。そのときそう感じたのは本当だし、いまでも基本的にはそう思っているのだけれど、しかし、実際はと言えば、私はアルさんがそこにいるだけではなかなか満足できていない。 これまでにも書いてきたように「もっとこうしてくれたらいいのに」「もっと分かってくれたらいいのに」と思ってしまいがちだし、なによりもとてもヤキモチ妬きなのでアルさんが自分以外のひとに親切にしていると拗ねてしまったりする。
専業主夫(主婦)の話になると「家事や育児がどのくらい大変なものか」という話は避けて通れないと思う。家事労働を賃労働に置き換えたら幾らくらいになるかを計算してくれるサイト(主婦の年収シミュレータ)が話題になったこともあった(さきほどアクセスを試みるもすでに削除されている模様…残念)。家事と呼ばれるものにどんなものがあって、どの程度労力がかかっているか、わからないひとには賃労働に置き換えて「幾らくらいもらえるだけの価値がある作業ですよ」と明示することは必要なのでこれはひとつ大事
結婚以来、夫婦ゲンカを一度もしてない、というひとたちもいるのかもしれないけれど、家事育児の分担であったり、そもそも夫が家事どころか自分の脱いだ服を洗濯カゴに入れる程度のことさえしない、みたいな日々の生活ストレスみたいなものであったり、妻の方から発せられる結婚生活における「一緒に住んでみて分かった」系の愚痴を目にする機会は少なくない。それがキッカケで喧嘩になると話してくれた知人もいる。しかし、それでも結婚生活を続けているので、本当に結婚の内実とは様々なものですね。 さて、
出勤のある日はだいたい6時頃に目覚ましをかけて起きる。夜更かしをしてしまうのは自業自得なところもあるけれど、よくて6時間、3時間半くらいしか眠れないまま起き上がることもある。一番のラッシュアワーを避けるために早めに家を出るので朝の時間はあっという間だ。それでも、寝坊のせいで遅刻したことはないし(過去に事故で2時間缶詰めにされてしまって間に合わなかったことはある)、余程のことがない限り、お弁当を用意しながら朝ご飯を食べた後、着替えて化粧をする。 アルさんは午前中がとくに体
そう聞かれたら、私だったら「料理と洗濯」と答える。逆にあまり好きじゃないのは掃除。片づけは面倒くさいけれどやり始めれば楽しいのだけれど、掃き掃除や拭き掃除みたいなものがあまり好きじゃない気がする。ただ、始めるととことんキレイにしたくなって、一日中ゴシゴシやってしまったこともないわけではない。 今、私は時間的精神的に余裕があるときには好きなように料理をし、時間がなくてもそれなりに適当に料理をし、必要があれば洗濯したり、ちょっと掃除機をかけておいたりクイックルワイパーで台所