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#3 内なるマチズモと向き合うこと

 私は、父親から「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ」と言われて育った。もちろん、なんの脈略もなく言われたわけではなく、なにか怒られたついでに言われたように記憶しているのだけれど、肝心な「なにについて怒られたのか」は思い出せない。ただ、比較的よく「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ」と言う人だったことは覚えている。子供の頃は、素直に、「お父さんが働いてくれているからだ」と思っていたし、それを言われること自体にあまり疑問を抱かなかった。

 私が中学生の頃だったと思うが、母が「じゃあ食わせてもらわなくて結構です!って出て行くことができない、就労できない年齢の子供にあれを言うのは無しだと思う」「私だってぼーっと口開けて待ってるんじゃない、家事をしている」という内容のことを私に言った。さすがに中学生だったので、それなりに生意気なことを言うようになっていた私は「そもそも産んでくれって頼んでないしな。子供は親を選べないんだよ!」「家事をやってくれるお母さんがいるから、そうやって連日遅くまで仕事してられるんでしょ?家族を養っているってことしか生き甲斐がないくせに」と漫画で読んだような台詞を頭の中で呟くようにもなっていた。

 さて、いざ、自分が賃労働を担うようになってみて、この「自分が働いて賃金を得ているから生活できているんだ」という思いは、ちょっと油断すると沸き起こってきてしまうことに気づいた。私自身、家事労働を馬鹿にしているつもりはないし(自分もやるので大変さも面倒くささもわかる)、夫婦の人間関係でどちらが偉いかなどと優劣を競う気もない。にもかかわらず、ふとした瞬間に、「私、大変な思いをして出勤してるし、仕事だって決して楽じゃないし、むしろ感情労働が多いから死ぬほど疲れてるのに…」と家事労働を担当しているアルさんが「ずるい」ように感じてしまうことが今でも皆無ではない。

 特に、喧嘩をしたあとなど、アルさんはいざとなったら家事なんか全部すっぽかしていても大丈夫だけど、私はどんな寝不足でも頭痛でもそれなりの格好でそれなりの表情を作って仕事をしなければならない。それがどれほどキツいかわかってんのかな?などと思ってしまうのだ。

 アルさんの家事に私はお礼を言うようにしている(逆に私が家事をしたときもアルさんはお礼を言ってくれる)けど、賃労働に関しては「いつも働いてくれてありがとう」とか毎日のようには言わないものだし(言われてもちょっと気持ち悪いのだけど)、アルさんは私が健常者だから働くの当たり前だし大したことないと思ってんじゃないか?などという黒い感情がむくむくと湧いてきてしまう。

 これが、言語化されると「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ」になっちゃうんじゃないか、と気づいたときの自己嫌悪感たらなかった。

 まず、アルさんは「男なのに家事をしているから偉い」わけではない。彼は専業主夫なわけだし、家事は彼の仕事でもある。でも、「病人だけれど家事をしている」のはやはり健常者よりかなり大変だ。もともと家事が大好きで得意だから是非なりたくて主夫になった、というわけではないのだから、苦手なこともあるし、まだまだ要領がよいとは言えない部分もあるけれど、私が仕事から帰ると洗濯物が干されている(場合によってはすでに取り込まれて畳まれている)し、食事の用意ができているし、掃除や各種消耗品のストックの買い足しなども、ほとんどこちらから言わなくてもやっておいてある。逆に何度言っておいても忘れちゃうこともあって、そこはご愛嬌なんだけれど、それは私にだって当てはまる。一人暮らしだったら、あれもこれも全部自分でやらなくちゃいけない。もちろん、一人分なら適当にやればいいし、他人の都合にあわせる必要がないから楽な面もあるけれど、やはり家事をしておいてくれるひとがいることは有り難いことだと思う。

 そもそも私は結婚する前は実家暮らしで家計費をいくらか入れているくらいで、家賃も水道光熱費も払っていなかったし、家事も気が向いたときに少し「手伝う」くらいだった。

 母に対しては、自分が居候っぽい気持ちでいたからか、「誰のおかげで〜」感情は一切湧かなかったが、母が家事をしてくれることに感謝していたか等々、反省することも多い。  

 アルさんに対しては「私はこんなに頑張っているのだから、もっと〜してほしい」という気持ちが湧いてしまうのは何故なのか?自分の中にいる亭主関白男のようなものが、賃労働する自分を優位に、家事労働をするアルさんを劣位に置きたがっているのだろうか?

 「一家の大黒柱という精神的な負担」「家族を養わなければというプレッシャー」などを男のつらさとして挙げる人がいるけれど、そのつらさは家計を支えている私にだってある。それに加えて、女性は就職差別も受けるし、平均して賃金が男性よりも低いのだ(なお、私の業界は男女の賃金格差は基本的にないけれど、男女どちらも低いだけである)。将来への不安は正規雇用の男性よりもずっと大きい。おまけに、アルさんは持病があるので、体調が悪いときは必要に応じて私が色々しなくてならない。その私にだって、アルさんの家事労働に感謝したり、自分の「負の感情」を認識したりすることはできるのだ。と言っても、まだまだそんな自分の中のマチズモを克服できたわけでもなく、それと向き合い対決する日々は続いていく。楽なことじゃないけれど、お互いを尊重して唯一無二の人生のパートナーとして暮らしていくからには、その努力を怠ってはいけないのだと強く思う。

 主に家計を支えている男性諸氏には、家事労働への理解を深めてほしいし、「誰のおかげで〜」が頭をもたげてきたら、自分が誰のおかげで安心して外で働けるのか意識していこうよ、と思うのである。

to be continued...


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