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#10 結婚の条件

 何年前だったか忘れたけれど、高校の同級生から届いた年賀葉書に「結婚のご予定は?いい知らせを待っています」みたいなことが書いてあって、気持ちがどんよりしたことがある。その同級生は女子大→銀行員というコースを経て「適齢期」に結婚して、翌年くらいには子供も産まれて、毎年子供の写真の年賀状が届くようになっていた。私は子供や家族の写真の年賀状も好きで、年賀状だけのつきあいになっている人の会ったこともない子供の成長をそれなりに楽しく温かい気持ちで見守っているのだけれど、彼女の言葉には「(存在しないはずの)おせっかいな親戚のおばちゃん」が突然湧いてきたかのような感覚を覚えた。結婚の予定も希望もなかったので、言われた内容に腹が立ったり悲しくなったりプライドを傷つけられたわけではなかったけれど、一年に一度の便りにそんなこと以外書くことがないなら年賀状なんかくれなくていいのに…。

 理想の恋人像や今好きな人のことを話すのと、「結婚を前提とした」相手について話すことは、どうやら違うことならしいと気がついたのはいつだったか、はっきりとした記憶がない。ただ、理想の恋人の場合よりも、理想の結婚相手の場合の方が、収入の重要度があがるらしいことや結婚や出産と仕事を「両立」させることに悩むのはもっぱら女性側らしいことを何となく当たり前のように内面化しながら、違和感もずっと抱えていた。それでも自分もいつかは結婚して「お母さん」になるんだろうなぁとぼんやり思っているような子供だった。たぶん、中学生くらいまでは「自分もきっと特にときめくわけではないけど、堅実そうなごくごく平均的な男性と結婚してしまったりするんだろうな。」と理由もなく思っていた。

 女性が《社会進出》するようになったことを晩婚化や少子化の原因であって、忌むべきことであるかのように語るひとは後を断たない。たしかに、女性が自活できるようになって、結婚をしない人生を選べるようになったことは晩婚化と無関係ではないだろう。しかし、それは女性が家庭内ではなく、会社など家の外での賃労働に携わるようになったにもかかわらず、社会の方が「女性が専業主婦として家庭内で家事労働と育児をする」ロールモデル用のままで変わっていないからにすぎない。

 また、たとえば、私とアルさんの場合、私が賃労働してなんとか生活できるくらいは稼いでいることで「結婚」という選択肢をとることができたと言えなくもない。そうでなければ、アルさんの病気がよくなるまで一緒に暮らすのは難しいと判断しただろうし、場合によっては結婚や同居などハナから考えられなかったかもしれない。

 私の仕事(非常勤の教員)は賃金の男女差は基本的にないのだけれど、正規雇用と非正規雇用の賃金差はものすごい。賃金だけではなく、非常勤には、職場に教材や資料を置くスペースほとんどないし、教材を購入する費用なども全部自腹で、ひどいところは交通費さえ満額出さないという有り様なので、男性でも私と同様に職場を掛け持ちしてなんとか生活しているひとも多い。私たちの仕事は職場の都合でこちらに落ち度が全くなくても急になくなってしまうこともあるので、常に「来年度のことはわからない」状態で生活している。非正規雇用というのは、収入が少ないことで、単に「買えるもの」「住める家」などの金銭的なマイナス面があるだけでなく、貯金ができずに今後への備えができない(そして簡単に解雇されるという不安定な身分である)ゆえに、人生の選択肢が狭まってしまうという問題もある。

 将来の見通しがある程度立たないと、結婚(とくに子供を持つこと)を考えることが難しいと感じるひとは、男女問わず多いのではないかと思う。特にいまの日本社会では、家族を養うのは男性の担当とされているので、男性にとってはより切実な問題かもしれない。日本社会は、まずセイフティーネットが不十分である上に、「社会に頼ることを潔しとしない風潮」があることで、男性はより一層誰かに助けを求めるのが下手になって、自分でなんとかしなければ…と重荷を抱えてしまう傾向が強いように思えるのだ。

 本当はそんな社会をなんとかしなければいけないというのは百も承知なんだけれども、まずは女性が主として家計を支えるというモデルも増えているんだし、そんなに男だからって抱え込まなくていいのではないかと思っている。女性が男性の収入をあてにせざるを得なかった時代ではないし(それでも男女の賃金格差はあるので企業にはこの辺をさっさと是正して欲しい)、専業主夫という単語も以前よりは見かける機会が増えているわけで、「家族を養うだけの収入を得なければ」というプレッシャーよりも時短レシピとか余った素材で作れる美味しい副菜とかのレパートリーを脳内に増やす方が結婚相手として魅力的なんじゃないかと思うんですが…(私が食いしん坊なだけかもしれないけれど)。

 ところが、最近ネット上で「女性から教育と仕事を奪えば少子化は解決する」というようなおぞましい見解を目にしてしまった。しかも、これが一笑に付されるのではなく、「一理ある」扱いされているようなので驚いてしまった。いま、日本社会で女性が担っている(たいてい低賃金の)仕事がどのくらいあって自分たちの生活がそれに支えられているということに全く無自覚なことにも驚くが、「女性を奴隷にすればいいのでは?」と言っているに等しいのにこれを支持できてしまうひとがたくさんいるわけなのだから。

 こうしてみると、日本社会には、むしろ教育や教養が足りていないんだなと感じる。自分より学歴の高い女性を敬遠する男性は多い。女性が結婚相手に自分よりも高い学歴・高い収入を求めていると批判する男性がいるが、私には男性が自分よりも低い学歴・低い収入の女性を求めた結果に見える。自分の間違いを指摘したり自分に指図したりせず、(場合によっては)自分の自尊心を傷つけない程度の収入があって、家事を全部こなしてくれる女性を。

 賃労働と家事労働で賃労働を上だと考えているから、収入の多い方が偉いと思ってしまうのだろうし、家事労働をすることを「男らしくない」「女の尻にしかれている」などと思ってしまうのだろう。そんな男性には

「皿洗いは芸術だ、掃除はスポーツだ」

という知人男性の言葉を贈っておきたい。

to be continued...


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