離婚はダメ、の呪縛。
不幸自慢をするつもりはないのだけど
辛い想いをさせられたのは
カルマメイトだった父からだけではなかった。
母は、父から愛されたかった。
けれど父は、母の束縛が疎ましかった。
仕事が忙しく、飲みに行くのも好きな父は
明け方に帰ってくるのも当たり前。
携帯もなかった時代、
3人の子育てを
専業主婦で完璧にこなそうとする母は
「もっとちゃんと家に帰ってきて!」と
父が帰るなり、文句ばかり言っていた。
寝室は2階にあり、
妹達はすっかり寝ついている。
階下からの、物が飛ぶ寸前の
喧嘩の声を聞きながら
いよいよ、両親は離婚するのではないかと
小学校高学年ぐらいから
ハラハラしていた氣がする。
中学に入る頃には
「お父さん、ひどいよね」と
愚痴を聞かされるようになった。
母が氣の毒で、
おやつを食べながら
とても親身に話を聞いていたと思う。
そうすることで母の氣が治まって、
喧嘩が減ったらいいなと思っていた。
まだ妹も小さいし
離婚しないで欲しい、と。
でも、父には時々
女性の影がちらつくことがあり…
母はその度、
わたしに泣きついてきた。
わたしは高校生になり、
もう何年もこんな繰り返しで
さすがに「別れちゃえば?」と
思うようになった。
母はその度
自分に言い聞かせるように呟いていた。
「妹が小さい(末妹とは10歳差)んだし、
離婚はだめよ。
子供がかわいそうでできないわよ…」
今にして思えば、
仲良くない両親の裏事情を聞かされて
一緒に暮らしていたって
本当にその方が良かったのか?
甚だ疑問に思う。
あなた達の為に
我慢しているんだ、的な言い方も
わたしは好きじゃなかった。
わたしがどんな思いをするか?
そこに親らしい配慮は、微塵もなかった。
父親、ひいては男性に対して
また、結婚に対しても
イメージが冷ややかになっていった部分も
あっただろうと、大人になってから思った。
だからこそ
「わたしは絶対に幸せになってみせる!」って信念のもとに、
くーさんと結婚したあたりは
まったく、わたしらしいなぁと
その逞しさは氣に入っているけれど(笑)
結局、何人の女が
父の前を横切っていったのか
覚えてはいないけど
亡くなる時、
父には愛人がいた。
父の携帯を処分する前に
亡くなったことを報せ忘れた方がいないかと
母が中を見て、
しなくていいのに
写真も見始め…
そこにランジェリー姿の愛人が写っていて。
闘病生活を必死に支えて
やっと最後、喧嘩もなくなって
「ありがとう」とか「ごめん」とか
言ってもらえた母が
泣き崩れた。
「こそこそ電話していたのは
やっぱり、この女だったんだわ!
ご主人いるのよ!前に念書も書かせたのに!」
「お父さん…
最後になんてミスをしたの!」と
わたしはこの展開を呪った。
消しておかなくちゃ。
そうでしょう?
お母さんが可哀想すぎるよ!
もう父は、弁解すらできない。
母はあること無いこと妄想して
しばらく立ち直れないだろう。
「この結婚生活、何だったの!?」と
怒り、悲しむであろう母の吐き出しに
これから長いこと、付き合うのは
わたしか…と思うと
うんざりしたし、父に腹が立った。
あぁ、やっぱり不倫って最低だ。
こんなにも人を傷つける。
…ま、その想いが
後に自分にブーメランのように
突き刺さってくるなんて
当時のわたしは、
これっぽっちも思っていなかったけど。
うちの両親、やっぱり
別れとけば良かったのに。とも思った。
でも、母は別れる氣なんて
さらさらなかったんだと、今はわかる。
「子供が」なんてのは言い訳で
母は父にべったりと執着し、
妻の座を空け渡すつもりなんて皆無だったのだ。
自分だけ見て欲しい、ここに帰ってきてと
願い続けていたのだから。
で、わたしがエンパスで
母に感情移入しまくってたことも
母とは、過去世から
何度も主従関係を繰り返していて
母の言うことには
絶対に服従したくなってしまうことも
本当に…よく出来たシナリオだ。
過剰に影響を受け過ぎてしまったのだ。
「離婚はダメだ」「不倫は最低だ」
この2つが、脳内に
ガッツリと組み込まれてしまった。
くーさんと、子供達と
幸せに暮らすわたしを
本当に嬉しく思っている母を
これから、わたしは崩すことになる。
くーさんと同じか、
ひょっとしたらそれ以上に
母に申し訳なくて
わたしは踏み出せずにいたんだ。
最大の親不孝をする
自分が、許せなくて。
今入っているココロのコミュニティでも
母親の影響というのは
周囲の目をどう氣にするかという部分に
多大な影響を与えるのだということを
再確認している。
自分は愛されてないんじゃないか。
わかってもらえなくて寂しい。
褒めてほしい。
そういった想いが満たされないでいると
セルフイメージが著しく下がる、とも。
わたしは母とのことでも、
もっともっと
たっぷりと自分を癒してあげたい。
これまでにも、もちろん
沢山、沢山やってきて
母の価値観と
自分のそれを切り分けて、
母の呪縛から離れてきたつもりだけれど。
離婚を伝える時の自分を想像すると
未だにザワザワする。
わたしは母の分も
強く、強く
許可を出しておいてあげたい。
「いいんだよ。
自分の人生を歩むって、そういうことだよ」と。
たとえ、それが最大の親不孝であっても
長い長い服従の歴史を
反転させることにも繋がるのではないか?
わたしの中の、
自覚していないレベルの
「しがらみに縛られ、抑圧していたナニカ」が
解放され、清算されていくのかも?
今は何となく
そんなふうに感じている。
その時が来たら
わたしのために、
やってあげたいな、とも。
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