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素直さについて考えていくと

2023/09/25発売の呪術廻戦に関する考察が日本国を中心として、悲鳴のように世界を席巻しているんだろうと思うと、作者なかなかに罪作りな御仁であるな。

一方である種の漫画の展開のセオリーみたいなものを考えると、その裏切り方、またはメタとして認知されるような情報をベースに展開を変化させて行くというのは、見てる側として疲れるなぁという気持ちです。
90年代のThe Yellow Monkeyの「バラ色の日々」の歌詞のように、いつまでも理想の展開を、推しのあなた(と私の)幸福な世界線を望む視聴者に対して、その幻想を真っ二つにするような悲しい結末。これまでのセオリーの中で展開されていないパターンだから、それを描きたいのはわかる、わかるよ〜って思いつつも、どうにも乗れない気持ちもありますよね。乗らずにシンプルな優しい物語を求める気持ちがあるなぁと。

物語の展開のために誰も死なないでほしいとか、そうゆうの。
実際の世界の中で人が死ぬわけではないけれど、、、精神的なダメージもね。あるので、ほどほどにしたいなって思う。

消費する側であるから創造する側の采配により、物語のゲームは形を取っていくんだけれど、それを傍観する側の目線ていうのは一体なんなのかということ。人間讃歌的に世界を見せるような手配に会いたいなぁと思うんです。

負荷かけることに気持ちいいと言うようなSとMの世界観の中に多くはあるのかもしれないけれど、ウェス・アンダーソンみたいに世界ってとびっきりに素晴らしいよねって言う瞬間を垣間見せてくれるような物語の描き方をしたいな、みたいなと思う。
よくまぁ、子供のように画面上の物語を捉えることができるもんだなぁって、思うけれどその集中力には驚くものがある。当たり前か。大監督やぞ。そらそうか。

何を見たいか、何を見せたいか。その選択肢の中にその人自身の性根というか、そういった類が見えてくる気がする。もちろん、どんな形かはその人自身の使いやすい技術を使っての表現になる。
いい言葉、いい音、いい形、いい線、感覚的な心地よさに何かしら訴えかける感じ、もちろんSとMだっていいもののうちに内包されるんでしょう。

うーん。どんな見せ方がいいかな。考え中です。

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