言葉がどんな風に使われているかって、いや、知らんけど、人と話すのマジで難しいのよ
書き始める前に、今回の文章で書き出したいことをイラストに書き出してみることにした。サラサラとだけど、関係するキーワードが拾えるので、これは引き続きやってみると面白そう。今回は言葉を分解して、個人とスペースに関する内容に広げて、その周辺に関係するキーワードを連想的に置いている。
中学の終わりぐらいから、それこそ社会人の何年目かのそこそこの大人になるくらいまで、言葉がどんな風に使われているのか分かってなかった。
例えば中学から高校くらいまでの青春に忙しい時期で、誰かに告白したりされたりしたとしても、よくあるシチュエーションをなぞる体験はあったとしても、そこから互いの意志を確かめ合うような感情のやり取りができるってことはなかった。大学に入ったらより阿吽の空気感みたいなものでつながらなければいけない感じがあって、お前本当に話聞いてるのか?って何回言われたか分からない。言われるたびに向かう方向性がどんどん独自の方角にしか向かえなくなっている感じ。そうしないと、自分を保てなかったから。
唯一の救いというか、取り扱いしやすいものは平面表現で好きなものを描いている時だった。そこから作ったものを中央に置いて対話をすることは可能だった。絵を通じての会話があったから、辛うじて今も机の上に向かわせているし、処理できない感情に押されて、誰かを傷つけることもなくて済んでる。それだけで助かる。
より構成するのが複雑になっていくのが人生のすごいところだけれど、会社で働き始め、共通の話題を取り扱う人間が増えたりすること。誰かとパートナーになり、そして子供を授かったりすることで言葉を扱う範囲が広がること。どこまでも違いを伝え合う必要があることばかりだから。
言葉を構成して、その違いや些細な方向性の異なるところを伝え合って、理解したりすること、基本的なところがわかっていなかったと言うのは結構しんどい状況だったんじゃないか、と思う。(今も本当にそれが解消できているかは自分でも判断に悩むところはあるけれど)
基本的なこと。
1+1=2ですという様な社会通説を共有できれば、生きていくことができる。
1 x(X)=Yですと言う風に仮説を共有できれば、少し豊かな情報量を共有することができ、重宝される。
[1 x(X)]x[1 x(Y)]・・・と言う感じでより重なり合う条件式を計算できれば、より重要な決定についても関与できるかもしれない。
[1 x(X)]x[1 x(Y)]と言う条件式をある特定の環境様式の中で再現できるとすればと言う風に横断的な思考ができ、かつそれが再現できたとしたら、きっと唯一と呼ばれるようなことができていく。
この基本的なことに個人の意識が掛け合わされると、より大きな力が働くんじゃないかな。社会的、自然の摂理をどのように私は認識していて、それをこんなふうにしたいと思うんです。ですから、こうして欲しいんですとか、依頼をかけたりするんですよね。具体的に明確に表現されていればいるほど、世界につながる感覚が生まれやすい。
とかって、今は、考えたりできたりもするんだけど、10代の、その先の20代〜30代前半の頃にそんなに器用に考えられたかって言うと、全然そんなことはなくて、理解されなくて悔しくて能面になっていた。いや、いまだに理解されなくって、瞬間、秒で能面な自分が表出されることがめちゃくちゃあるんだけど、以前よりも頻度は減ってきたような気がする。
複雑じゃない?単純な足し算のように見えるけれど、それを一切の妄想で遮ることなく、余分なイメージに巻き込まれることなくアウトプットするの。僕にはとても難しかったし、いまだにコントロールに困ることがある。
同じように膝に傷持つような人と共有して、同じような悩みを繰り広げていく中で出会ったものを交換し合って、生きていけたらなんて思うけれど、同じように膝に傷持ってるとうまくハイタッチできなくって、これはこれで悶える。ド直球でここ通ってるとしたら、ここもかな、なんて2〜3こつながるとほぼ同じようなトラブルや悩みを持った人だったりする。どのくらいだろうかな。10万人に1人くらいは同じようなタイムラインを過ごしている人がいる気がする。多いと思う?少ないか。私にはとても貴重な存在ですし、が、うまく伝えられているかっていうと分からない。工夫はしているけど。
言語思考が中心となって、便利な言葉を取り交わす世界の中に生きている。文章はインターネットの興隆とともに、速く、そして短く生活を区分していく。便利だとは思うんだけど、それだけでは覆すことが難しいような便利さゆえに難題を抱えることだってある。
その背景には、言葉がどんなものかってのが分からないって人もいると言うことがあるんです。言葉だけではない思考で世界を捉えているから。
時間が経てばいつかうまく言葉にできるものだと思うのだけれど、気長に待っていてほしい。自分の身体感覚と言語感覚が重なり、そこに今の自分の感情や認識が重なることで、とてもうまく世界を言葉で描き出すことができるってことを。
昔から今までもずっと夢見ている。
うまく言葉で表現が難しいとしても、誰かの役に立てるような自分らしい言葉が言えることを。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?