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elenaさんのnoteを読んで③

ピアノ

  これを書いている段階で、elenaさんは僕のnoteを読めない状況にある。もっと早く書くべきだった。
   elenaさんのnote【無理】を読めばその状況はおわかり頂けると思う。そして僕は追い詰められたelenaさんを救いたい一心で、まるでゾンビのようにXのアカウントを復活させた。そしてelenaさんはXから再び去った。それについてはここでは語るまい。

 elenaさんが幼い頃から唯一続け、憧れ、努力し、挫折も味わいながらも常に慣れ親しんできたピアノ。それが弾けなくなるほどの精神的苦痛、いやピアノそのものが見たくもなくなるという苦しみは想像を絶する。
 
僕に送ってくれたelenaさんの演奏動画に、あの出来事(elenaさんのnote【ストレスとデトックス】を参照)と同じ会場で、活き活きと弾いたショパンの「エオリアン・ハープ」と「ノクターン第2番」がある。
 elenaさんが大事なレパートリーとして折りある毎に弾いてきたこの2曲のルーツを、【フジコ・ヘミングさん】のnote記事で触れることができる。
  今年4月にフジコ・ヘミングが亡くなった時、僕は即座にelenaさんに哀悼の意をLINEした。5月の連休中に彼女から、フジコ・ヘミング一大ブレイクのきっかけとなったNHKのドキュメンタリー「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が再放送されるとの知らせをもらった。これは放送当時、僕も見た。
  改めて再放送を見ると、大好きな猫に囲まれながらピアノを弾き、タバコを吸い、自分の経験した苦難を思わせない明るく洒脱な語り口に僕はハッとした。elenaさんが重なったのである。いつも愛猫をSNSに投稿して楽しそうだった。僕がその愛猫をブラームスに似ているとelenaさんにポストして怒られたこともあった。

 elenaさんが少女期にDVに苛まれながらも、唯一、母親と目的が一致したのがピアノだった。elenaさんのnoteのピアノの記事に触れる度に、正統派なピアノ教育を受けるということを学ばしてもらった。そこには、僕が手も足も出ないショパン「スケルツォ第2番」やリストの難曲に挑戦し、コンクールにも出るelenaさんの姿があった。
  高校から気まぐれで始めた僕の場合は多分、ピアノの響きそのものよりも、鍵盤楽器(キーボードやチェンバロも含めて)の単音楽器にはない音楽の総合的な再現力に憧れていたのだと思う。だからどこか、ものまねになってしまう。あらゆるジャンルを囓りたくて、バイエルもそこそこに、練習曲ではなく作品を再現したくて、基礎が何も出来ていない状態で今日まで来てしまった。

 でもelenaさんは言った。フジコ・ヘミングと同じ言葉だった。「自分の弾くノクターンが一番好き」と。この感覚は、巨匠ばかりの演奏に悦に入ってミケランジェリやフランソワ、グールドだののものまねをしようとして結局何も弾けない僕とは決定的に違う精神があると思った。ピアノという楽器を奏でること自体が好きなのだ。だから、練習曲もそれほど厭わない。

 僕がelenaさんにSNSで、いつかピアノが弾ける環境になったら好きな曲を思い切り弾けるのでは?とポストしたら、彼女はポツンと「ハノンからやり直します」と答えた。本当に「ピアノを弾く」とは、そいうことなんだろう。

 僕のelenaさんのお気に入りのnote記事に【合唱部とピアノの伴奏】がある。僕も子供の頃から歌うことが好きで、学校での合唱の練習は楽しかった。小中学生の頃は、まさか自分が弾くとは思ってなかったピアノだが、伴奏を聴くのも好きだった。必ず決まった女子が伴奏していた。僕は聞き惚れていた。あの子やっぱり上手いなぁ、ひょっとしたら先生より上手だ、とか考えながら、真剣な眼差しで時に揺れながら、時に感情を込めて弾くその姿に見惚れた。普段は特に何も感じない女子なのに、ピアノを弾く時だけは「女王」のような風格とオーラを纏った。

 僕はelenaさんに言いたい。コンサートピアニストではなくても、あの時のあなたのピアノを弾く姿と音が焼き付いている同級生が必ずいる。

 だから、またelenaさんのピアノを聴かせて欲しい。

https://note.com/kota1124/n/n8b9565109305



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