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【教育】混沌を許せるのが懐の深さ

最近、幼稚園や公園で3〜6歳の子どもを目にする機会が増えました。(子育てに非協力的で家事もしないしグウタラだという奥様の厳しい視線に晒されているのはさておき)

彼らが遊んでいる姿を見ていると、本当にカオスな状態です。何が楽しいのか分からない、何をしようとしているのか分からない。でも、とにかく楽しそう。

なんとなくみんな主体的に自己主張をしながら遊んでいるわけです。明確な意図、意思があって行動しています。特にうちの子どもは空気を一切読む気がなく、ダントツでわがままなように思えます。(トンビが鷹を生む?蛙の子は蛙?)

中高生とはまったく違う生態です。彼らを観ていると、教育とは何なのか、と問われているように感じます。(彼らが実際に問うてくるのは、この虫何?とか、おやつないの?とかですが)


幼稚園合同の作品展を見比べると、各園の個性がとてもよく出ています。

みんな整った作品を仕上げている園、みんな同じテーマで似たような作品を書いている園、カオスな状態で完成しているものばかりの園…

皆さんはどんなスタイルが理想ですか??

僕は幼稚園児に技術指導しないでほしいな、と思います。巧く描けなくていい。本能が溢れ出ているのが、素晴らしい。もちろん描き方を覚えたら楽しいって側面もあると思うので、バランスが難しいところですが。

何が正しいかという問題ではないので、好きな幼稚園、子どもにあう幼稚園を選べばいいと思います。

子どもが通っている幼稚園は、色々なところで自然体なのが素敵だなあと思います。


学年が上がっていくとどうなりますか??

小学校以降は、とたんに規律と秩序が重んじられるようになります。入学式で整然と並んで来賓の挨拶を聞く。教室で静かに座って過ごす。

うひゃー、出来るかなー。

うちの子どもは黙って先生の話を聞くなんて無理だろうなあ…ビビって教室に入らないか、なんで?と発言しまくって先生を困らせるか両極端のどちらかだろう。(だいたい親のお前が人の話聞いてないだろ、という批判はスルーします。)


子どもに秩序と規律を与えるのは簡単です。

ひどい言い方かもしれませんが、洗脳か調教してしまえばいい。体罰はその例です。

ジェームズ・グラベル『23分間の奇跡』

「世にも奇妙な物語」で映像化もされています。YouTube漁ってください。賀来千香子さんが教師役を怪演。


しかし、教師がまったく生徒を統率しないのであれば、集団生活をする意味がなく、学校が存在する意味はないわけで。(託児所的に子どもを預かってくれるということの価値も、ここのところ納得してきたけど。アフターコロナの学校はどうなるか。)

ピシッと揃ってる方が見栄えはいい、コントロールしやすい。それに満足して評価する大人が一定数存在する。

このあたりの矛盾に葛藤しながら生徒に向き合うことが教師には求められます。

教師は迷うんです。苦悩の日々です。

スパッと言い切ることも必要なんですが、僕は常に迷走しています。少なくとも、迷いながらどうにかこうにか進んでいる先生の方が誠実だと自分に言い聞かせています。(自分で自分を褒め続けないと、豆腐メンタルがぐちゃっとなります)


僕の尊敬するS先生が、「教条主義とルール偏重とが自由を蝕む」とおっしゃっていました。わが意を得たり、です。

緩やかな制限を設けるなかで、混沌をどう生み出せるかが本当の意味で、教師の力量なんだろう。(オンラインだと秩序もへったくれもないので、これからどうなっていくか楽しみ。)

僕は自分自身がズボラで杜撰でへそ曲がりでマイペースで空気が読めなくて、秩序や管理に耐えられない性質なこともあって、生徒に混沌の良さを伝えたいと思っています。

そして、僕の信者にしてやる。

あ…洗脳?笑笑


安井直人

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