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人喜ばせについて理論篇~人生は人喜ばせ合戦~


今回の投稿の趣旨

人生は人喜ばせ合戦という企画は、「人に喜んでもらったこと」「してもらって嬉しかったこと」を楽しんで綴って、繋いでいくというものです。

正直なところ、このような意識の高いキラキラ投稿は僕の陰鬱な生き方やキャラクターに合っておらず、苦手なジャンルですが、アイスバケツチャレンジのように肉体を痛めつけるものでもなく、プッシュアップチャレンジのように衰えた肉体をさらすものでもないので、挑戦してみようかなと。

何より、尊敬する人生の冒険者である谷平亘大先生(教員は辞めたけど)にご指名いただきましたので、断ることはできません。いつも以上にきらびやかに演出して飾り立てて執筆します。内容は事実をもとにしていますが、多分に脚色しています。個人名などは具体的に書けません。

谷平さんの投稿はこちら。

人に喜んでもらったこと

僕は仕事柄、生徒の成長のために貢献するということを常に仕事のインセンティヴとして持っている。

(このあたりは割と真剣に考えているが、常に失敗している。生徒の成長における「成功」とは、「生徒が(保護者の満足度も高く、かつ生徒自身が納得できる方法で答えを導き出しており、学校リソースを割くことが可能な範囲内で)学習、行事、部活動等で達成感を味わうこと」である。無理ゲー。)

本当に良いものを、変化というかたちで広めるためにはコンフォートゾーンから出ようとしない人に対してそれなりの軋轢を生むこともあるため、必ずしも正しいことが喜ばれることだとは限らない。
自分の信念を曲げてでも、妥協しながら他者の力を引き出すことが遠回りでも正解となることもあるが、僕は理念として納得できない場合、現状を甘んじて受け入れることはとても嫌なので衝突も多い。正直であれ、という曾祖父の遺言は、ある意味では僕の足枷となっていることもある。
また、自分ではうまくいかなかったと思っていたことが、思わぬところで評価を受けていることもある。世の中分からないものである。
「3:4:3の法則」と学生時代に聞いた。
無条件に好意的に接してくれる生徒3割、どちらに傾くか雰囲気で変わる生徒4割、どうしても心を動かせない生徒3割、の割合である。
だから批判に落ち込まないで頑張れ、相性もあるから他の先生がアプローチすればいいじゃないかというメッセージだったように記憶しているが、僕は千手観音が理想像なので、少数の批判にめげるタイプである。

このあたりのことは結局、生徒情報を出せないので具体的には書けないのだが、生徒や保護者からの「いい先生」という評価を素直に喜べない、喜ばない自分の屈折した心理はこのような後ろめたさによるものである。

人を喜ばせることに関して、「利他」という言葉を紹介しておく。このリレー投稿の根底には、「利他」的な行動は、つまるところ「利己」的であるという真理が横たわっている。考えれば考えるほど、人を喜ばせるのは難しい。もしかすると、本当にどの時点で喜んでいるのかという点まで含めると、人が喜んでいるのかどうかの判断はできないのかもしれない。
ただひとつだけ言えることがあるとすれば、僕のように「生徒のために」というフレーズを頻繁に用いる教師は、アホか詐欺師かどちらかである。他人のために何かすることは、自分の幸せに繋がっているのだ。
アフィリエイトとかではないので、良かったら読んでください。

してもらって嬉しかったこと

おおよそ僕は周囲の人に恵まれすぎた人生を送ってきたために、「人に良くしてもらうのが当たり前(人のために何かするのは当たり前)」という厚かましい考え方に育ったので、してもらって嬉かったエピソードはあまり思い浮かばない。
当たり前に気付いて感謝する、当たり前に出来ることの水準を上げる、という指導は自分自身への反省が出発点である。
このテーマでふと思い浮かぶのは、サッカーについて論じた大澤真幸の論文(オフサイドは贈与的にイケてないからダメなんですよ的な内容だったかな?)と、本当に辛いときにかけてもらった言葉の数々である。

言葉は贈り物。
というわけで、僕の心に残っている言葉を具体的に挙げていきたい。

「学校なんて理不尽なことを平気でやってるんだから、悩む方がよっぽどまともなのよ」

これは僕が病休していたときに、ハンドボールつながりで偶然が重なって紹介していただいた方の言葉。理不尽を変えられなかった自分の弱さに打ちのめされていたとき、身内の病気や大好きないとこの事故が重なって、壊れかけていた自分にかけてもらった言葉。
世の中とんでもないことばかりだと思っていたこともあったが、同じ事象でも見方が違ったり見ている角度が違ったりなだけだということもある。
学校が理不尽な場かの議論はさておき、話を聞いてもらってとても自然に全肯定してくれたこの言葉に救われました。

「今は楽しいこと、好きなことだけやったらいいんだよ」

当時の自分の状態から、病人は病人らしく暮らせ、みたいな自己内部での同調圧力を勝手に作り上げて苦しんでいたときにかけてもらった言葉。
本を読んで、ハンドボールを観戦して、寝るという生活でリフレッシュ。

「どうせあなたの生き方はマグロ型なんだから、やれるだけやるしかないんじゃないの?」

生き方がマグロ型というのは、働きすぎて止まったら死んでしまうのではないかというワーカホリックな姿勢を、寝ているときも泳いでいるマグロの生態で喩えた言葉です。
僕自身はとにかく仙人のようにひっそりと霞を食べて生きていきたいと思っていましたが、客観的に見たらそうなんだよね、ワーカホリックな側面があるよなと気づかされた言葉です。そして、それでもいいんじゃない、という力の抜けた緩やかな肯定も僕の心の支えとなりました。


終わりに

ここまで駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
僕は、心のどこかで認められたい、求められたい、許されたいと思っているのかもしれません。取り上げた言葉からそんな自己分析ができました。
そして、やはり国語教師として、言葉には力がある、いい言葉を紡ぎだせるように研鑽していきたいと改めて思いました、頑張ります。

リレー企画なので、この後をお任せする方をご紹介します。
僕の後にお願いするのが恐縮なくらい、ハンドボール界のビッグネームのおふたりです。

銘苅淳さん…言わずもがなのスーパースター。熱量ある指導は小学生から大人までたくさんのハンドボーラーのハートに火を付けます。

櫛田亮介さん…東京オリンピックの女子日本代表コーチ。歩く心理的安全性という呼び名もあるほどの人格者。ハンドボールという熱く激しい競技で、これほど紳士的に選手やプレーと向き合う人はいないのではないでしょうか。

以上です。
あまり具体的なエピソードを掘り下げられませんでしたが、僕自身は久しぶりにアウトプットしてストレスを発散しました。ありがとうございます。
おふたりの投稿をお楽しみに!

安井直人

皆さんのサポートで、ハンドボール普及のためのイベント企画やハンドボールに付加価値をもたらすアイデアを広めていきたいと思います!よろしくご支援ください。