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幼馴染という存在

幼馴染が2人いる。
2人と出会ったのは幼稚園の年中クラス。ちょうど今の長男と同じ年の同じ時期だ。
それから中学卒業までの11年間を同じ場所で過ごした。

高校はみんなバラバラに進学し、それぞれ部活動が忙しくあまり会うことはなかった。
大学から私だけ県外に進学し、ごくまれに帰省した際には誰かの実家に集っていた。

私が結婚し、子どもが生まれてからは、たまにテレビ通話をつなげてお酒を飲んだ。画面越しに乾杯をし、お酒を飲み、くだらない話を1時や2時まで続けて笑う。
結婚期間中、1度しか夜に外に飲みに行けなかった私にとって、その時間が唯一、お酒を楽しめる時間でもあった。

2人で新幹線にのって、わざわざ大宮まで、私の子どもたちと遊ぶために来てくれたこともある。
「わざわざ来なくてもいいのに~」と言いながら、まるで距離なんて感じないように遊びに来てくれた2人の存在が嬉しかった。

突然福島に帰ってきた私を、何も聞かずに「おかえり!」と迎えてくれた。
「帰ってきてくれてうれしい」と、よく会いに来ては子どもたちとたくさん遊んでくれる。
まるで自分の子どものように私の子どもたちを可愛がっている。

帰ってきた理由を、2人は私に何も聞かない。
私も2人に何も話していない。

別に隠しているわけでもないし、話せないわけでもない。
単に、話さなくてもいいかなという感じ。
別にそれがあってもなくても、私たちは私たちだから。

こういう存在ってあったかいと思う。
生い立ちとか、過去とか、抱えていることとか、全部ひっくるめて「その人」として認めあえる人。そういう関係性。
深く立ち入らないけども、深いところでつながれる人。

多分、私が話せば2人は聞いてくれる。
でも、話さない限り何も聞かない。
それで良い。ありがたい。

そういえば、姉が人生の難しい局面に直面した際、大学時代の親友の家にしばらく滞在していた。
そのとき姉がおかれていた状況は本当に過酷なものだったんだけど、親友は「なにもなかったかのように」「本当にいつも通り」に接してくれ、姉はそれに救われたという。

本当の意味で人を救うって、そういうことなんじゃないかな。

そういう風に思って、わたしは夫にそうして接してきたんだけど、「なにも察してくれない」「寄り添ってくれない」って批判されたっけ。
わたしの気持ちが伝わるための何かが足りなかったんだろうな。信頼関係かな。人って難しい。

何も言わずとも相手を包み込めるような、そんな関係性であれる人たちを大事にしたい。


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