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ハリーポッターにおちる

ハリーポッターが大好きだった。

初めて読んだのがいくつの頃かは覚えていない。
小学校4年生ぐらいだっただろうか。
瞬く間に魔法の世界に引き込まれた。
最終話「死の秘宝」はまだ発売されていなくて、何ヶ月も前に予約をして発売当日に書店に走った。それほどあの世界が好きだった。

歳を重ね本をじっくりと読む時間も無くなり、ずっしりと重いハリーポッターシリーズは実家の本棚で埃を被り開かれることはなくなった。
あの頃のように魔法の世界に没頭することはもうできない。
そう思っていた。

時は2022年コロナ禍真っ只中。例に違わずコロナに感染し自宅療養10日間。2日目、全快。
さああと8日間何をしよう。
そうだ、本を読もう。時間ならたくさんある。どうせならシリーズものを。
そうだ、ハリーポッターだ。

Kindleをダウンロードし、ハリーポッターをダウンロードする。
あの頃両手で抱えた重量が、いまは片手のスマホの中。

タップして本を開く。1行目から文字を追う。ページを捲るたびに、胸の高鳴りが大きくなる。
ハリーが、ロンが、ハーマイオニーが、そこにいた。ホグワーツがそこにあった。
15年たっても何も変わらない魔法の世界がそこに広がっていた。
ワクワクする、ドキドキする、スワイプでページをめくる。幼い頃に何度も繰り返し読んだ本。好きな言い回しは覚えている。登場人物の次のセリフも、話の展開だって全て知っている。それでも気持ちの昂ぶりが止まらない。

第一巻から際立つハリーの勇敢さ、巻を追うごとに成長していく登場人物。
魔法界のことを何も知らなかったハリーが魔法使いとして歩み出し、死闘を潜り抜けて戦う姿。
最終巻のホグワーツの決闘、ホグワーツを守るため、悪と立ち向かうため、命をかけて戦う学生たち。ダンブルドアの愛。
そして最後まで死の呪文を使わずに勝利する、ハリーポッター。
全てが自分の目の前で起きているような錯覚がするほど、物語に引き込まれていた。

読みながら、15年前の自分が戻ってきた。
小さい頃から何かに没頭しがちな子で、読書はそんな自分に合っていた。本をひらけばいつでも違う世界に行けたから。
大人になり、本を読む時間も減り、読む系統もかわり、子供の頃のように本の世界に落ちていくような、周り全てが物語の世界になるような感覚はなくなっていた。どんなに本に没頭していても、すぐ隣には現実がある。

ハリーポッターは違ったのだ。魔法の世界は、15年経った私にも開かれた。それがただただ嬉しい。
ハリーや、ロンや、ハーマイオニーと冒険の旅に出られたことが嬉しい。
そして彼らを通して、幼き頃の自分にもう一度出会うことができた。

もちろん15年前とは感じ方が変わったこともある。
読了後のハリーたちへの気持ちは、友人であるとともに成長を喜ぶ親のような気持ちになった。ホグワーツ入学当初はあんなだった彼らが、こんなに立派になるなんて…と。
また、ハリーの成長を見ることができずに亡くなったジェームズとリリーのことを想うと胸が張り裂けそうになる。最終話の蘇りの石で現れた彼らが語ったように、死しても尚ハリーのことを見守っていてくれていたことを願う。
これらは親になり子を持つ立場になった今の自分だからこその受け止め方だ。

そしてこの物語で私が1番感銘を受けたこと。
最後に闇の帝王を破ったのは、死の呪文ではなく、「エクスペリアームス」武装解除の呪文、つまり守りの魔法だった。
ハリーポッターは守りの話だ。
ハリーの傷跡はリリーが命をかけて彼を守った証。スネイプは我が身を危険に晒して愛する女性の血を引く子を守っていた。ハリーが受け継いでいた透明マントは、大切な誰かを守れるという点で他の秘宝より長けていた。ホグワーツでの決闘、仲間を守ろうとして死の呪文を受けたハリーの愛が、盤石の守りになる。
彼らの最大の武器は「守り」だった。

自分を何よりも強くするのは、誰かを守る気持ち。誰かを愛する気持ち。
攻撃は何も生まない。仮に誰かに攻撃されたとしても、自分が誰かを守る気持ちが最大の武器になる。
15年経った今の私は、ハリーにそれを教えてもらった。

最後の1行を読み終えた時、冒険の旅が終わってしまったのが寂しくて、まるで次の冒険が始まることを願うように真っ白なページを見つめてしまった。残念ながら、ハリーの冒険はそこでおしまい。
だけど、本をひらけば魔法の世界はそこでまってる。ハリーは今日もホグワーツにいる。
いつだって私は魔法の世界に行ける。

26歳、それがわかっただけで、なんだか誰にも見つからない秘密基地をもてたような、絶対に離れない友人と出会えたような、そんな最強の気分になるのだ。

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