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11.24

興味が持てないことは恥ずかしいことでもなんでもない、とつくづく思う。たくさんのものを深く愛すなんてことは出来なくて、狭いところいっぱいの愛情を注がことはとても価値があることで。だから一夫多妻制は広く認められないのでは?なんて考えていた。

自分はどうしても、何でもかんでも好き!と言える人の気が知れない。現に私は自分よりそのコンテンツに時間やお金をかけてきた人がいる前で好きなんて絶対に言えない。同じ「好き」繋がりの人と話をしていたら実は上澄を拾っただけの人だった、なんて時はかなりショックを受ける。自分の心が狭いだけで、他の人はそう思わないのかな?と何度も考えたけど、きっと深く考えてさえいないんだろう。

よくTwitterで語りたいです!なんて言ってる人を目にする。何を話すのだろう、そんな奴に何が語れるのだろう。本当に大切なものは自分だけの宝箱に入れておきたいと思わないのだろうか。時たまいる本当にそのコンテンツが好きな人を前にしても尚、ぼくも好き!なんて言うのだろうか。私は芸術に対する価値観が同じ人としか話したくないし、好きな音楽や絵画、物語を紹介したいとも思わない。自分よりそのコンテンツを愛していない人に好き!と言われると腹が立つし。他人事でもイライラする、要するに心が狭い。

ある意味、そういう人たちの方が人生楽しんでいるよな。共感も愛情も、適当なくらいが楽だと思う、その先は別として。私は心が狭いし余裕なんてものはないけれど、大好きな作品を大好きな人たちと自分の中で温めるだけの今がたまらなく幸せ。

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