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逝く夏


「もうできない」と思っている。もうできない、これ以上仕事を抱えられない、まわすだけの知力も体力も経験も私にはない、大学を卒業してからずっと非正規だったからほとんどこの能力は叩き上げなのである、自力でどうにかしてきた、でも、がむしゃらに頑張ったところでここでは雇用形態が変わることもなければ給与も上がらないしボーナスもないし夏季休暇ですら正規雇用同様には扱われない、まるで雑巾だ、私は雑巾、使い古されてくたばったら新しいものが用意される、それだけの存在。わかっているから「もうできない」と独りになるたび思う。

それでも、職場のロッカーで、スニーカーからハイヒールに履き替えると自分の中でスイッチが切り替わって、仕事も留守番も引き受けている。公私の私はもはや別人格である。今年の夏も、一人残って電話番をする。というか留守番せざるを得ない、なぜなら私の業務は完全に属人化しているうえ、いまひっきりなしに問い合わせが来るので、休んだところで自分の首が絞まるだけだからだ。非正規に業務が属人化している意味がわからないし、挙げ句、先般、国からの遅すぎる通知でまた対応がひっくり返った。ああもう本当に、もうできないと思っているのにな。やるけどな。

右耳の聴力が明らかに下がっている、7月末は、3日置きくらいでろくに聞こえなかった。主治医が大学病院の耳鼻科教授で決まった日にしかいないとなるとどうしようもないし、コロナなのでなるべく来るなと言われているから相性最悪のセファドールを嫌々飲んで「聞こえない状態」は凌いだ、これは凌いだと言っていいのか? わからないけど。セファドールは副作用が強すぎる、むしろセファドールのせいで吐き気がひどいのだだからできるかぎり飲みたくない、とはいえ聞こえないのは本当に困るから飲む。さておき、この感じで仕事を続けると近い将来失聴するだろうなと思うので、失聴するまでに死ぬほど音楽を浴びたい、むしろ音楽にこの凡才を全て否定されてそのまま朽ちたい、これは前に書いたか。ねえ、エル知ってるか、人が最初に忘れる記憶は「音」なのだそうだ、死ぬほど音楽を聴いたら一生消えずに私の傷痕になってくれないだろうか、あなたたちの詞。


気づくと「うっかり死ぬ」方法を探している。何かの手違いでうっかり死んでしまいたいのだ。積極的ではない、けれど間違いのない、緩やかな自死を夢見る。過激なピンクのインナーカラーだけが、私の正気を保っている。担当美容師に遊ばれたら、もはや蛍光ピンクみたいになったんだけれど。服装規定がない職場での、私のささやかなる反逆である。ピンクが私の戦闘カラーになる日が来るなんて、子どものころの私は想像もしないだろう。私はピンクが嫌いだった。

こういうとき、怒りだけがいつも私の動力だった。怒りの衝動だけが、私の心臓を止めることなく動かした。私の怒りを否定するなら生きるためのエンジンを切るようなものだと、このごろよく思う。怒ることをやめたら私は死ぬだろう。私が為すべきは怒りのコントロールであって、怒りそのものの否定ではない。私は、理不尽に屈することなく怒っていい、はずだが、一度それを当てこすられてしまえば、自らの情けなさに感情を止めてしまう、もう考えるのが面倒臭いんだよな、本当にさ。生きるの面倒臭いんだよ昔から。


夏になると死が近くなる。夏は一番、死を想う。春は死ぬには美しすぎ、秋は寂しすぎ、冬は清らかすぎる。夏の喧騒のただ中で、誰もがまばゆさに目を眩ませているところの小さな翳で、雑巾の私はぽいと捨てられればよい。一人も悲しまなくていいし、一人も責任なんて負わなくていい、こんないびつな化け物に育った私がおかしいだけ、私は存在を悼まれたくなどない。可哀想だと言われるのが、ずっと、ずっと嫌いだから。

濃い青の空に、雲が棚引いている。海辺の墓地に祖父母の墓がある。潮の匂いがする霊園っていいなあと来るたびに思うところだ。親族寄り集まっての墓参りに休みを取れそうになかった私は、仕事帰りに一人で行った。花も蝋燭も線香もない、手ぶら、身内とはいえ申し訳なかったので草むしりをしてきれいになるまで水を掛けた。蒸していた、暑かった、夕方とはいえこれは日焼けするなあと、しょうもないことを考えながら墓前で手を合わせた。いつもどおり、特に何も思わずに供養しようと思っていたのに、3秒後には涙ぐんでいた。ああ。夏になると、死が近くなる。


「私、30過ぎて初めてストレートアイロンを買ったんだよ、おもしろすぎるよね」と、コロナ禍の中でようやく会えた、気の置けない友人と笑った。クラスメイトが10代のときにはとうに持っていたようなものを、この歳になって手に入れた。20歳になったら死のうと思っていたあのころ、生活を豊かにしてゆくものたちへの無関心だけが息をする方法で、南条あやの『卒業式まで死にません』をお守りのように毎日鞄にひそませていた、将来に夢なんか見なかった私は、人生が周回遅れすぎている。たかがストレートアイロン、されどストレートアイロン、ストレートアイロンに人生を感じている人間なんて世界中探しても私だけではないだろうか。どうでもいいな、でも、あまりにくだらなくておもしろすぎる。ストレートアイロンと私の人生。

飾って、彩って、美しくなって息をして。息をして。息をして。

これは私のお家芸なので喉元過ぎ去ればなんとやらである、大丈夫、今までどおりこの夏が過ぎ去るのを待てばいい、死は近づいて遠ざかる、いつも、いつもそうだから。


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