吉凶を分かつものとは?
この数ヶ月、ありがたいことに鑑定のご依頼が増えていて、産休を前に活動モードに入っています。そんな中であった気づき、願いの吉凶を分かつ最大の要因についてシェアしたいと思います。
易に限ったことではないと思いますが、例えば
この事業はうまくいくか
転職はどうか
年内にパートナーはできるか
人間関係はうまくいくか
こんな問い(願い)があったとして、その吉凶を分かもつのは何か?
それは運命でもなければ宿命でもなく、そこに意志が在るのかが大きな鍵をにぎっています。
占いに翻弄されないためには”自分がどうしたいのか”、意志をもって聞くことが大事とはよく言いますが、吉凶の結果を左右するのもまたその“意志”。
意志ある上で「〇〇はどうか」と聞くのと、答えを知りたい・未来を教えて欲しいという気持ちで聞くのとでは全く結果が異なるということです。
ただ答えが欲しくて聞いてみる
希望が欲しくて聞いてみる
こういうパターンはその問い(願い)自体を他人に委ねてしまっているので、結果として凶、不成就・不実現となりやすい。
もちろん自分の意志に自覚的な人もいれば、そうでない人もいます。対話の中で「他の選択肢は考えられないので、実際にはやるしかないんですけどね」とある程度腹を決めていたり、自分の中ではこっちだと決まっているけど念の為見落としがないか把握したいというご相談もあります。
何かを成就させるとなった時、私はその願いをよく“一本の木”に例えるのですが、鑑定結果の中で一番に見るポイントはその木に根っこがあるかどうか、そして仮に今その根っこがなくともその人(自分)とゆくゆくは縁があるのかどうかを見ています。この“縁”は、これまでの蓄積とその延長線上の未来から判断される部分が大きいです。
もちろんタイミングやこれまでに積み上げてきたことの大小によって実現の時間軸に長短はありますが、少なくとも根っこの有無はその人の意思であり覚悟の現れなんだろうなと感じる場面がよくあります。
そんなことを思考していた時に、とある記事と出会いました。
記事のタイトルは『運命・宿命・立命』(PHP人材開発・筆者小田全宏)。
この記事では、運命とは「あらかじめ人間の意志を超えて決められていること」、宿命とは「自分の意志や力とは無関係に決定されているもの」としたうえで、その運命や宿命との対峙について次のようなことが書かれていました。
「立命」と書くと仰々しくて日常に当てはめることが難しい方もいらっしゃるかもしれませんが、これはここでお話しした「意志」と同義です。
この二つは鶏と卵の関係だと思いますが、いずれにしてもそこに“純粋な意志”、言い換えると“覚悟”があるかどうかでその先の見通しが大きく変わってくるということはゆるぎない事実のように感じます。
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花卜宙 Hirano Mao
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