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想いたけのこ

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誰だって子どもを育てる初心者

Twitterとかネットをダラダラ見ていると、子育てに苦労する親御さんを沢山目にする。私自身親に沢山の迷惑をかけてきたし、心配もしてもらったし、それはこれからも続くかもしれない…人ひとりを育てるのが大変だということは理解している。しかし、私はまだ誰かの親ではないから経験から実感することは少し先の話だろうと思う。子育ての経験がない人間が子育てのことについて書くには、私の何もかもが足りない。ただ、子育てをされた子ども側の発言として、この文を読んでもらいたいと思う。 私は中高と度

    • 言葉の受け取り拒否はできる。

      続けることが大事。継続は力なり。なんて言うけど、わたしが続けられたことはいくつあるのかな、と指折り数える今日。お久しぶりのnote更新です。 言葉の受け取り拒否はできる。 この事についてここ最近書きたいな、と思っていてnoteを引っ張り出してきました。この言葉だけでなんとなく理解できる人はフィーリングが合いそうなタイトル。 SNS上で様々な論争を目の当たりにする中で、ある意味凄く真っ直ぐで意見や批判を素直に受け止める人が多いな、と最近思っています。多いというよりも目につ

      • 「言葉の余白が言葉の意味を誤認させる」

        ふと、別のnoteの下書きをしていたときにこの言葉が浮かんだ。この言葉を書こうとした動作を取り止めて、急いでこのnoteを書き留めている。この言葉をたった一文で終わらせるのは惜しいと思ったのだ。この言葉にはきっと私の考えが詰まっていると思った。 そう、言葉には余白があるのだ。空白があるのだ。その事に気づいてハッとした。これはきっと人と人とがわかり合えなかったりすれ違ったりするギャップであり、相手を理解するために必要な鍵なのだと思った。 言葉は辞書を引けばどのような意味を持

        • ファッションへのトキメキが死んで病んだ話

          私は大学時代の約3年間オフィスワークで事務のアルバイトをしていた。服装はオフィスカジュアルでと言われ、できるだけシンプルな服を手に取った。仕事着だからと安く済ませてできるだけ当たり障りのない服に身を包んで、だんだんと服に対する興味を失っていった。 当時、私が服を選ぶ基準はバイトに着ていける服かどうかということが大きかった。安い服、バイトに着ていける服、シンプルな服…そんな基準で服を見ていると、洋服に対してトキメキのようなものを感じなくなってしまった。完全に仕事着とプライベー

        誰だって子どもを育てる初心者

        • 言葉の受け取り拒否はできる。

        • 「言葉の余白が言葉の意味を誤認させる」

        • ファッションへのトキメキが死んで病んだ話

          将来のわたしが今を言い訳にしないためにやれることをやっている

          過去のnoteを見てもらってもわかるように、私は今就活生、大学四年生である。 沢山の企業の説明会に参加し、沢山の企業からお祈りされ、先月やっとこさ内定を頂いて、それでもいまだに就活を続ける就活生である。   そう、私はいまだに就職活動を続けている。 このアホみたいに暑い時期にもスーツを着て汗をかきながら街を歩いている。   運命の出会い就活ももう終盤と言われた6月末。私は焦っていた。何せまだ一つも内定を取れていないのだ。周りはどんどん就活を終えていくし、日が経つほ

          将来のわたしが今を言い訳にしないためにやれることをやっている

          人も情報もアマチュアが溢れる時代にホンモノを見つける難しさ

          私は最近作詞作曲を始めた。動機はやってみたかったから。とりあえずネットで下調べをし、ソフトをインストールして必要なものは購入して、環境を整えた。探り探りでクオリティも低いものだが、作曲をすることは可能になった。作詞は作曲を始めることよりも容易く始められた。もし私が世の中に発信したいと思えば、その作品をYouTubeやSNSで発信することも簡単だろう。  人も情報もアマチュアが溢れる時代にホンモノを見つける難しさ  ▶お手軽で気軽に最近は何でも始めることが容易いと感じる。ほ

          人も情報もアマチュアが溢れる時代にホンモノを見つける難しさ

          自分に投資する人と他人に奉仕する人

          自己投資は自分の人生を充実させるために支払う前払金だと思う。 例えば新しい知識を得ること、新しいスキルを得ること、今よりもっと綺麗になるために努力すること。そこにお金を費やすことは必ずしも必要ではなく、何より余裕がなければ難しい。 だからこそ自己投資をする時間的余裕、精神的余裕、経済的余裕がない人から羨望の目を向けられることもあるし、嫉妬に狂った人たちから傷つけられることもある。 けれど自分がより良い自分になるために費やしたお金の価値は自分にしか決めることはできない。自

          自分に投資する人と他人に奉仕する人

          記憶とエッセイ②居場所としての、

          中学生のわたしは洗脳されていた。 実際そこに思想があったかなんて、理想があったかなんてわからない。たぶんおそらく、それほどに高尚なものではなかったと思う。 中学校というのは不思議なもので、皆同じ制服を着て個性を殺されて、普通の公立中学校でさえなんとなく否応なしに所属意識というものを植え付けられるものだ。連帯責任の名の元に縛られる。 環境は外から人を変えてしまう。人は変わろうと思って変われるものじゃないなんて言うけれど、環境ほど人を変えてしまうものはない。それが良いもので

          記憶とエッセイ②居場所としての、

          記憶とエッセイ①寝たふり

          遠くから皆の話し声が聞こえる。楽しげに笑う音。ドアの向こうの出来事なのにどこまでも遠く感じている。 半年ぶりに祖母の家を訪ね、休憩と称してひとり別部屋でゴロゴロと過ごすのは恒例のことだった。幼い頃は福岡から埼玉までの長い移動、人混み、そういったものに疲れ、久しぶりに会う祖父母への挨拶も早々に雪崩のように寝ていた。その目的が変わったのはいつからだっただろう。いや、変わったのではない。消えたのだ。いつからかその目的は消え去り、到着後にぐだぐだとひとり床に転がるのが習慣のようにな

          記憶とエッセイ①寝たふり

          就活辟易記

          今年は売り手市場だとか言われているが、それを実感することはない。 就活が始まって早何ヵ月内定がでている子も知っているが、わたしにはまだまだその道のりは険しそうだ。 世間で言われる言葉は聞き飽きた。 マッチングが大事だとか 早さじゃないとか 就職は縁だとか 落ちたからってあなたの価値が否定された訳じゃないとか そんなのとっくに知っていて、理解していて、でも受け止められないものは受け止められない。 あまりに長引くと持ちそうにない。 わたしは所謂F欄出身で、バックグラ

          就活辟易記