見出し画像

名もなき感情

つい先日、10年くらい一緒に音楽やってるドラムの子から、初めて、歌詞についてダメ出しを受けた。
ダメ出しというのは大げさな言い方だけど、「ハユナって歌詞書くの嫌い?」と聞かれたのだ。どういうことか聞くと、「伝えたいことがある歌を歌ってほしい」ということだった。

歌詞を書けること、曲を作れることは、私の唯一の特技であり価値だと思っていたから、なんだかひどくショックだった。
でも最近、確かに、歌いたいテーマもなくなってきたし、これっていう言葉もあまり出てこない。
使い回した言葉を語呂で飾り付けるような歌詞が増えていたことは認める。
図星を突かれて傷つけられた心を守ろうと、とっさに色々言い訳を思いついたけど、とりあえず反省した。こんなに長く一緒にやってくれてるメンバーが、思っていることを言ってくれたのだ。素直に受け止めようじゃないか。

かなり落ち込んだけど、ちょっとだけ納得できない気持ちもあって、「歌を作る人間にしかわからないんだ」とか「でも、もう一つやってる方のバンドでは絶賛してもらってるもんね」とか、ブツクサ言って。色々自分を励ましてなんとかプライドとモチベーションを維持していた。

そんな中、その「もう一つのバンド」の方で、近々レコーディングをしようという話があり、候補曲として5年くらい前にやってた曲が上がった。すっかりどんな曲かも忘れてしまっていた私。なんだったら当時スタジオで一発録りした音源すら残していなかった。

音源を送ってもらって、聴いたとき、
不覚にも泣き崩れてしまった。

あぁ、彼が言ってたのはこういうことだ、って一瞬でわかった。
歌詞ももちろんだけど、一発録りで不安定な歌なのに、しっかりと「想い」が伝わってくる。クリアでピュアな感性がそこにはあった。

なんで?
私はそれをどこに置いてきてしまったんだろう。
うまく生きるために、楽に生きるために、どうして置いてきてしまったんだろう。
風が触るだけでヒリヒリするような、むき出しの傷で、目も向けられない。でも愛おしくて、尊いもの。生きるのに必死で、不器用だけど、精一杯だった。

ずっと、救われたかった。ここから救って欲しかった。
だから私は歌っていたのに。
いつか、それを諦めてしまったんだ。
曖昧な日常に慣れて、感情の振れ幅を最小限にすることで、誰も救ってはくれないこの世界で生き抜こうとでも思ったんだろうか。

「その感情は知っている」「このシーンは経験がある」
そうやって、データの中からパターンを割り出すAIみたいに。
最近では、無理やりそのパターンに気持ちを押し入れることもある。

感情はもっと多彩で、きっと、初めて感じる気持ちもあるはずなのに。
感じることが劣化したのではない。きっと、感じたことを処理する過程が大雑把になったんだろうな。

もっと、丁寧に、素直に、自分の感情と向き合おう。
そのためのnoteでもある。アウトプットしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?