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金八先生から学ぶ理想のリーダー像

先日、(プロ野球を観るために)スカパーの無料お試しプランに契約して何気なくザッピングをしていたところ、懐かしのドラマ「3年B組金八先生」が放送されているのを発見しました。

金八先生と言えば、平成生まれの僕らよりも上の世代のドラマのような印象もありますがどっこい、いわゆる第5〜8シリーズと呼ばれるシーズンは、僕らが学生時代に放送されたもので、特に第7シリーズ(2004年)なんかは僕が中学3年生の時に放送されたものだったので、リアルタイムで自分の青春と重ねるように見ていたものでした。(当時見てたよ、っていう同世代、語ろうぜ)

そして図らずも今回スカパーで遭遇したのが、まさにこの第7シリーズの金八先生だったため、懐かしさと哀愁が好奇心となって約18年ぶりに金八先生を見ることになるのです。(結局、無料期間内で最終回まで辿り着けないことがわかり、後日まんまとスカパーに課金してしまうのだが)

そんなひょんなきっかけで見始めた金八先生が、30代になった自分にまぁ刺さること刺さること。

その中でも特に、きっと大人になった今だから刺さるんだろうなと思ったのが、金八先生のリーダー論でした。

いや、厳密には金八先生がリーダー論というものを直接語るシーンはないんだけども、その圧倒的な求心力を得る教師の背中に、リーダーとしてあるべき姿のようなものをメッセージとして感じたため、今回そのいくつかをまとめてみようと思いました。

※どうしても作品のネタバレを含んでしまう投稿になるため、これから真っ新な状態で金八先生(第7)を見るつもりだったという方は読まない方が良いかもしれないです。

金八先生とは

金八先生通ってこなかったよー、という方のためにザッと金八先生の概要に触れておきます。

東京都の区立桜中学校[注 2](第3シリーズとスペシャル7・8のみ区立松ヶ崎中学校。いずれも架空)を舞台に、中学校の教員である坂本金八が、学級担任をしている3年B組内に起こる様々な問題を体当たりで解決していく。そんな彼の姿に心を打たれた生徒たちが考えを改め、人間として成長していく様子を描く。
wikipedia

「GTO」や「ごくせん」のようなヤンキーものの学園ドラマというよりは、社会問題を題材に扱うことが多く、それらと対峙し、解決していく金八先生の人間性が「理想の教師」として語られていることが多い印象です。

ただ、この人間性の凄みは「教師」の範疇にとどまることなく「リーダー」と抽象化した場合でも同じことが言えるのでは、と感じたシーンが今回見た第7シリーズにいくつかあったので、紹介したいと思います。

対話で解決する

第7シリーズの冒頭では、自身がこれから担任をすることになるクラス(この時はまだ2年B組)の生徒たちに教室で自己紹介をするシーンがあるのですが、学年イチのやんちゃなクラスとして知られているB組の生徒たちは、誰も先生の話を聞こうとはせず、先生のお話や授業を妨害します。

学園ドラマの冒頭としてはよく見受けられるシーンな気もしますが、この時金八先生は「うるさい」「話を聞かんか」と、とにかく怒鳴る。

そしてこの日に限らず、なかなか大人しく話を聞こうとしない生徒たちに苛立つ日々はしばらく続くのですが、金八先生ももう50代で、年齢が離れた子たちをまとめる難しさに直面していると思うと、イライラしてつい怒鳴ってしまう金八先生の気持ちも、大人になれば分かる気がします。

そんなある時、クラスの孝太郎という生徒が薬物に手を染めてしまう。

孝太郎は元々薬物に関心があっただけではなく、先生にも反抗的な態度を示すなど、金八先生から見ればクラスでも特に厄介な相手だったのですが、この事件を知った金八先生は孝太郎の家に向かって対話を試みます。

その際、金八先生がとった対応はいつものように怒鳴って叱るのではなく、対話でした。

孝太郎の気持ちを聞きながら、ドラックの恐怖はもちろん、クラスメイトの孝太郎への愛などを語りかけ、その優しさと器の大きさに孝太郎は胸を打たれます。

ここでいつものように怒鳴っていたら相手もいつものように反発していたかもしれません。

しかし、相手にとって本当に必要だと思うことを伝える時は、一方的に感情的に吐き出すだけでは、相手は心の扉を開いてはくれない、というメッセージのように感じました。

「相手の立場になれるかどうか」リーダーとして基本中の基本かもしれませんが、改めてその大事さを教えてくれるシーンです。

怒りの矛先を自らに集約する

文化祭の季節を迎え、3年B組(以下3B)でもクラスの出し物を決める議論がにわかに生まれます。

候補としてソーラン節があがるもののなかなか話がまとまらず、業を煮やした金八先生が一喝。

そして「どうせあなたたちにソーラン節は無理ですよ。うまくできたものなら私が土下座してもいい。」と、挑発します。

しかし、これによって元々それぞれに反発していた生徒たちの怒りのベクトルが先生の一方に向かうことになり、先生をギャフンと言わせるために文化祭当日まで、3Bの生徒たちは死に物狂いでソーラン節の練習に励みます。

結果的に文化祭当日の発表ではソーラン節が大成功。

見違えるほど1つにまとまった生徒たちに先生は自分の負けを認めて土下座をしようとするのですが、クラスの一致団結に充実感を覚えた生徒たちは、きっかけを与えてくれた先生にも感謝し、良きライバルとしてこれからも戦っていくことを誓います。

暗に生徒たちに発破をかけたことで「反発」というエネルギーを同じ方向に集約させ、バラバラになっていった組織を団結させるという、金八先生なりのアンガーマネジメントが成功したシーンでした。

自分の弱さを認める

少しずつまとまり始めたクラスに激震が走ったのが、卒業まであと1ヶ月と迫った2月に起きた3Bの丸山しゅう(以下しゅう)という生徒による薬物使用。

しゅうは元々大人しい性格で、3Bの中でも真面目なポジションだっただけに、薬物に手を染めてしまうことは意外にも見えますが、実はこの直前にしゅうの父親が覚せい剤の所持で逮捕されてしまったり、逮捕に至るまでしゅうは母親からDVを受けたりと、家庭での様々な問題を抱えていました。

そんな状況を鑑みて、父親の逮捕後は金八先生が定期的にしゅうの家に訪れて、可能な限り私生活の面倒も見るよう努めていたのですが、そんな中密かにしゅうも覚せい剤を使用してしまったという事実を見抜けなかったことに、金八先生は自分の無力さを痛感します。

みんなが見守る教室でしゅうが警察に捕まるシーンは、クラスメイトにとってショックな一幕でしたが、金八先生にとってもそれは同じで、事件から数日経って金八先生はとうとう30年以上の教師生活にピリオドを打つことを決めます。

しかしそれを知った3Bの生徒たちは猛反対。

「先生やめないで」と生徒たちの涙の訴えを前に、金八先生は「自信がなくなった」と自分の弱さを認めます。

これに対して先生が自信を取り戻すべく、生徒たちは覚せい剤で逮捕されたしゅうの処分を見直す嘆願書を提出するために、全員で街に繰り出して署名運動を行います。

これを見た金八先生は、今度は生徒に心を打たれ、辞任を撤回し、教師を続けることを改めて決意。

自分の弱さを告白しなかったら、生徒はここまで行動できなかったし、金八先生が生徒から希望をもらうこともなかったでしょう。

希望というものはリーダーが与えるものではなく、リーダーとメンバーで掴むものだと考えさせられました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

あくまでドラマの話だし、相手も中学生なので、これをビジネスや日常の世界に当てはめて考えようとすると飛躍した解釈になるかもしれませんが、金八先生の手法は決してどれも真新しいことではなく、ビジネス書などでよく語られるものが反映されている部分も多かったので、個人的には腑に落ちました。

今回は第7シリーズだけに注視して色々とピックアップしてみましたが、改めて他のシリーズも見直すとまた新しい発見があるかもしれませんね。

また見る機会、学ぶ機会があればnoteにまとめてみようと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

追伸:後から調べたら動画サブスクサービスのParaviで金八先生の全シリーズが配信されていました。わざわざスカパーの契約を延長する必要なかったみたいです。

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